聖女様よ永遠に
お馴染みの妄想なのか。はたまた第六感じみた推察か。
順当に考えれば前者だろうが、レーコの異様な能力を考慮すると後者である可能性も否定できない。
――だが。
「レーコ。実はわし、さっき聖女様に会ってきたんじゃけど」
あの態度からして、彼女の性質は決して悪いものでなかったように思える。
魔物という正体を謀ってあんな演技ができるなら、街の子供のフリだってもっと上手くできただろう。
「なるほど。では、私の杞憂でしたか。既に聖女が抹殺されたのでしたら問題はありません」
「抹殺しとらんよ?」
「では、まだ利用価値があるので泳がせている――と?」
「そうでもなくて。いい? レーコ。お主はもうちょっと平和的に物事を考えなさい。そんな風にいつも殺伐な考え方をしておったら本当に悪人になってしまうよ」
片脚を上げてレーコの肩をぽんぽんと叩く。
レーコはしばし首を傾げていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「分かりました邪竜様。邪竜の眷属たるもの、小悪党じみた損得勘定には囚われず、より悠大な視点を持てということですね」
「うん。よく分からないけどそういう感じね。んで、ゆっくり話を聞かせて欲しいんじゃけど、聖女様が魔物というのはどういう根拠で言っとるの?」
わしが邪竜扱いされているように何かの誤解があるのかもしれない。その場合はちゃんと正してやらねばとてつもない不幸が起きてしまう。
「根拠ですか。眷属としての勘でございます」
わしは仏頂面になる。
誤解の余地がない。あまりに根拠が弱すぎて逆に矛盾を突くことすらできない。
「えっと。落ち着こうかレーコ。それだけで魔物判定するのは早いんじゃないかの」
「自白が必要ならば捕らえてきて吐かせることもできますが」
「やめてあげて」
聞かなくても分かる。きっと悪質な尋問を行うつもりだ。そうでなければ何故腰の短剣に手を伸ばしているのか。
間近でレーコに脅迫されたら、魔物でなくたって白状してしまう。
現にわしは邪竜でないのに邪竜ということで通すハメになっている。
聖女様はこの会話を盗み聴いているのだろうか。
だとしたら、また街から逃げようとしているかもしれない。
「ともかく、お主悪い方に考え過ぎじゃって」
「それならよいのですが」
「そんなに気になるなら、わしが明日もう一回聖女様と話してみとくよ。こう見えて眼力には少し覚えがあるでな、向かい合って話せば良き者かそうでないかくらいは分かると思う」
「邪竜様がそう仰るなら安心です」
実のところ、わざわざ見極めるまでもないとは思ったけれど。
ようやく一息ついたわしは、小樽の薬を一滴飲んで、部屋の隅に伏せた。
「邪竜様。床などで眠らずともこちらに寝台がございますが」
「ええのええの。人間用の寝台はわしに合わんし。お主が使うといいよ」
「しかしそれでは私の方が邪竜様より高い位置で眠ることになってしまいます。主より高い場所で眠るなど眷属にあるまじき暴挙」
「お主、よくわしの背中で寝てるよね」
その辺の解釈はどうなっているのだろうと思うが、レーコはしれっと聞き流して、わしのすぐそばで横になった。
せっかく広めの部屋を用意してもらったというのに、揃いも揃って隅っこの床で寝るとは何とも味気ない。
「せめて毛布くらいは床に敷いときなさい。風邪ひいたり身体を痛めたらいかんし」
「では邪竜様も」
「はいはい」
本当は枯れ草とかを敷いた方が好みなんだけど、と思いつつ、わしはレーコのかけてくれた毛布に大人しくくるまった。
翌朝。
「お客様ー。朝食の準備が整いましたー。お運びしてもよろしいでしょうかー」
ノックの音で目が覚めた。
カーテンごしに窓の外を見れば、空はまだ深い青色で、時間を惜しむ旅商人でもなければ朝食は早すぎる時間帯だった。
「何じゃなこんな早くに……」
ごしごしと前脚で目をこすって老体を起こす。
年齢的に仕方ないが、筋肉痛はまだ抜けていないようだ。
「……邪竜様の眠りを妨げるとは許せません」
と、背中から寝起きらしきレーコの声がした。
なぜそこにいるのかと言うことはこの際聞かず、わしはのそのそと床を這って、
「とりあえず部屋の前に置いといてくれてええよ。腹が減ったら食べるわい」
「そんな! 当宿の朝食はできたてが命なんです!」
ごんごんと強引なノックが続く。
やけに押しが強い。宿屋がここまで客に強く出るだろうか。
「黙らせますか?」
「いんや、ドア開けてあげて」
レーコが不穏な気配を発したので、わしはとりあえず開けてあげることにした。
すると、ドアを開けるなり目に飛び込んできたのは――
「はいはーい。当宿自慢の新鮮な大魚の釜焼きですよー。なんと本日は特別に、旅人さんの道中に役立つ保存食の干物も用意してありますよー。いやあすごくいい天気ですねえ、もう朝一番に街を出発したくなっちゃいますねえ? さ、早くお腹一杯にして元気出して旅立ちましょ?」
エプロンドレスを身に纏い、まるで宴にでも供するような大皿を台車に乗せた――青い長髪の女性だった。
よく聞いてみれば、昨日の夜に話した子供と同じ声である。
わしは昨晩同様にすべてを悟ったが、敢えて気付かないふりをした。
「ありがとね。でもわし、魚は好きじゃないのよ。レーコ? お主はどのくらい食べる?」
「このくらいの魚なら私一人でも」
大人の腕一本分くらいの長さはある大き目の魚だったが、レーコは余裕らしい。ここ数日の食事風景で何となく察していたが、結構大喰らいなのだ。
「で、では――そうだ! ちょっと待っていてくださいね! ドラド……じゃなくて、お客様の好みに合った食事をすぐ用意してきますので!」
「くれぐれも急げ」とレーコがドスを利かせようとしたのは、すんでのところで制止した。
しかし数十秒後、聖女様はさらなる爆弾を投下してきた。
竹編みのザルいっぱいに、土まみれのボロボロの野菜を載せてきて、
「その辺の畑に転がってた野菜クズです! これ、好きなんですよね!?」
そのときのレーコの顔を、わしは直視することができなかった。




