【アニメ放送記念短編】おそろしい水魔のものがたり
世の中には二種類の存在がいる。力を持つ者と、そうでない者である。
強者と弱者――そう換言してもいい。
そして水魔は、己を強者だと自負していた。特に根拠はなかったが、自分は特別な存在なのだという確信があった。いつかビッグになって世界中に恐怖の異名を轟かせるに違いない。そんな未来に思いを馳せながら、毎日頑張って沼をせっせと湧かせていた。
それがどうだ。
「人間めぇ……」
ぶくぶくと沼の水面に泡を吹きながら、水魔は地上の様子を窺う。
そこには、鍬を持った人々が労働に励む開拓の風景が広がっていた。誰も彼も身なりはボロボロで、点々と建つ住居も竪穴に草の屋根を葺いただけの簡素なものである。だというのに、一様に彼らの表情は希望に満ちている。
それもそのはず。ここら一帯は、水魔がなけなしの魔力を振り絞って他の魔物を寄せ付けないようにしているのだ。非力な人間たちにとっては、さぞ住みやすいことだろう。
無論、これは無償の奉仕ではない。集めた人間どもを他の魔物に横取りされぬためだ。
問題は、これだけ環境を整えているのに誰一人として沈んでくれないことである。
「まったく、ほんとに人間って自分勝手なんだもん。これだけわたしが頑張ってるんだから、たまには沈んでくれたっていいのに……」
嘆いていると、何人かがこちらに歩いてきたので慌てて水面下に潜る。
手に持った桶と布で彼らの目的が分かる。沼から上澄みの水をすくって、さらに布で濾過するつもりだ。
自慢ではないが沼の水質にはこだわりがある。少し濾しただけで、そこいらの井戸水よりも美味くなること請け合いだ。
「あぁ。疲れたな」
「んまあ、働けるだけいいことだっぺ。そろそろ収穫も近いでよ」
「そうそう、もうちょっとの頑張りどこってやつよ」
笑顔で頷きあって水を汲む男たちだったが、そのうち一人が沼の縁で足を滑らせた。
「あっ、やべっ」
ばしゃんと水音を立てて、男が沼に滑り落ちる。そしてそのまま深い闇へ――沈まない。
「おいおい。みんなの大事な水場なんだから汚すなよ。さっさと上がれ」
「分かってるって。あーあー、水浸しだわ」
泥に埋もれたのはせいぜいスネの高さぐらいまでである。しかも、男がちょっと踏ん張っただけで簡単に足が抜け、地上に逃げられてしまう。
水面下で一部始終を眺めていた水魔は歯噛みしてそっと呟く。
「また失敗した……。なにがダメなんだろう。いろいろ泥の作り方も変えてみてるのに」
その頭上で男たちは「最近ここの泥、前にも増していい土になったよな」と話していた。それを耳に挟んで水魔はやや元気を取り戻す。いい土と褒められるということは、方向性はたぶん間違っていない。
「んでよう、そろそろ沼から水路引くのはどうよ? 毎日水汲んで運ぶのも大変だし、これだけ水が湧くなら少しくらい延ばしたって枯れたりしないだろ」
「そう思ってんだけどなあ、婆さんがいつも反対するだろ?」
愚痴っぽく言いつつ、男たちは再び仕事へと戻っていく。
隠れていた水魔は、最後に聞こえた会話の内容でぎくりとした。正直、この沼を保つだけで魔力はカツカツである。下手に水でも引かれようものなら、魔力の浪費に耐えられなくなって消滅してしまうかもしれない。
現に今の自分の大きさは、人間の掌に乗る程度だ。魔力不足でかなり縮んでしまった。
ぽちゃん、と。
どうしたものか悩んでいると小さな水音がした。人が落ちた音ではないが、気になって視線を向けると、竹竿を握った老婆が沼に釣り糸を垂らしていた。
――へんなの。魚なんていないのに。
だが、釣り糸の先に結び付けられているものを見て水魔は仰天した。それは、色とりどりの宝石が嵌った金の指輪だった。魔導士の装備品らしく、強い魔力が染み込んでいる。
前後のことは考えず、本能的にたまらず食いついた。
老婆が吼え、一気に竹竿をあおってフッキングする。
空中にぶち上げられて正気に戻った水魔だったが、口に咥えた絶好の餌を離すことはどうしてもできなかった。
「おやま。ずいぶん可愛いのが釣れたね」
「わふぁひを、ほうふふふほり(わたしを、どうするつもり)!?」
魚のごとく老婆に掴まれても、指輪だけは離さない。こちとら長い断食続きなのだ。
「どうともしないよ。ただ、いつも世話になってるからちょっと挨拶がしたくてね」
「挨拶? なんのつもり? あっ、分かった。そんなこと言ってわたしを油断させて襲うつもりでしょ? わたし、賢いから騙されないもん!」
「いやだね。照れなくていいんだよ。私らはみんな、あんたに感謝してるんだから」
掴まれたまま頭を撫でられる。その隙に釣り糸を噛み切って指輪は飲み込んだ。
「いつもみんなを護ってくれてありがとうよ、聖女様。その指輪は捧げ物と思っとくれ」
「せいじょさま?」
「ああ。みんな噂してるんだよ。ここの沼を湧かせてるのは、大昔に亡くなった聖女様の霊だって。あたしゃこう見えても若い頃はそれなりの魔導士でね。今じゃあすっかり衰えたけど、見る目だけはまだ確かさ。あんたがその聖女だっていうのは一目見て分かったよ」
「ふんだ! 節穴さんだね! 残念でした、わたしはそんなのじゃなくて――むぐ」
憎まれ口を叩こうとしたが、老婆の手で口をすぐ塞がれた。
「やっぱり間違いないね。そうだね。聖女様しかありえないね。ほら頷く。いいから」
物凄い剣幕で睨まれて、水魔はあっさりと頷いた。怖かったから仕方ない。
「いやあよかったよ。実はあたしゃ、あんたが悪い魔物なんじゃないかって疑ってたんだ」
「むっ! 鋭い! そう、私の正体は――むぐ」
「いいからお黙り よ。だいたいあんたね、ちょっと前に沼で溺れた子供を助けたろう? これが聖女の行いでなくてなんだい?」
「ふっ、遅れてるなあ。いまどきキャッチアンドリリースも知らないの……?」
精一杯に強がって不敵な笑みを浮かべてやるが、デコピンで眉間を弾かれた。
「うぅ……。ごめんなさい……。つい、目の前で溺れてる子を見たらパニックになって助けちゃいました……」
「いいんだよそれで。あんた、素質があるから今後もその路線でお行き。村の連中には噂のお墨付きをしといてやるから」
「素質?」
「面倒くさいから平たく言うと、お腹が減らなくなるってことさね。私のいうとおりにするだけで、魔力がどんどん集まってくるよ。悪い話じゃないだろう?」
水魔は首を傾げる。そんな美味い話があるのかと、にわかには信じられなかった。
しかし、お腹が減らなくなるのは実に魅力的である。そんな水魔の心の揺れを察したか、老婆がそっと微笑んで言った。
「簡単さ。これからは聖女様ってお名乗りよ。それ以外は一切、そのままでいいからさ」
やがて訪れた収穫の時期。
祝うべき作物の実りを前にして、村人たちは恐慌に陥っていた。その原因は、村に絶望を与えんと地平線からゆっくりと迫ってくる、巨大な魔物の影である。
以前の水魔では到底太刀打ちできる相手ではなかった。
しかし、老婆が変な忠告をしてきて以来、沼のほとりに祠が建てられたり、捧げ物が置かれたりして、魔力には事欠かぬようになっていた。この水魔の恐ろしさに、村人たちもようやく気付いたと見える。
今後とも末永く搾取してやるために、こんなところで屈するわけにはいかなかった。
意を決する。これだけ魔力があれば自分は無敵だ。ときおり村人たちが噂する最強の邪竜とやらも、今の自分には決して及ぶまい。
村を背に守り、魔物の前に一瞬で姿を現した水魔は、捧げ物の衣の袖を大きく振った。
「横取りするなんて許さないんだから! ここの人達はわたしの獲物だもん! わたしは水魔……じゃなくて聖女! 覚悟しろっ!」
背後に湧き立つ村人たちの後ろで、満足げに微笑む老婆の姿がちらりと見えた。




