大事な話を
「昔のことを思い出させる……? 具体的に、どうするつもりだ?」
「えっ。昔のことを思い出してもらうつもりじゃけど」
アリアンテに問われて、わしはちょっぴり困惑しながら答えた。
「……だから、具体的にどんな作戦を想定しているんだ?」
「なんかこう、勢いでなんとかならないかの?」
「お前というやつは」
アリアンテに両頬をつねられて、わしはフガフガと痛みにもがく。
「あれは魔物に成り果てて、今では暴走した邪竜の魔力に呑み込まれている。思い出してくれと言ったところで、そう簡単に話が通じる相手ではないぞ」
「でも、とりあえず近くに飛んでみて説得してみるつもりじゃよ。わしとかライオットには覚えがあるじゃろうから、呼びかけてみたら反応してくれるかもしれんし」
それに、とわしは微笑んだ。
「今回も大丈夫じゃよ。レーコがおるから」
「だが、レーコの魔力があれに通用するとは限らんぞ」
「うん」
分かっている。
それでも、きっと大丈夫だと思う。これまでずっとそうだったのだから。
「心配せんでおくれ。ちゃんと無事に帰ってくるでの。みんなは避難しておいてくれるかの?」
「あいにく、逃げろと言われて逃げる奴はもうこの場におらんだろうよ」
そう言ってアリアンテが背後を振り返る。
操々やヨロさんは親指を立てて頼もしく立っており――ちょうど聖女様は、地面に水を張って逃げようとしているところだった。
わしとアリアンテの視線に気づいて、びくりと跳ねて麦わら帽子を落とす。
「……ああ。うん。すまなかった。逃げても別に構わない。悪かったな、聖女様」
「べ、別に! 逃げようとしてないですよ? ちょっと水を鏡代わりにして髪を整えてただけで!」
「無理せんでええんじゃよ聖女様」
「逃げませんよちゃんとここにいます!」
ぷんとそっぽを向いて、聖女様はその場に正座した。
と、そこで唯一わしと面識のない王冠を付けた女性が尋ねてくる。
「ふむ。どうやらこの場で逃げては余も空気が読めない扱いとなりそうだね?」
「えっと……誰じゃの?」
しかし不思議だった。見知らぬはずだというのに、奇妙な親近感がある。あまり他人とは思えなかった。
もしかすると、場合によっては友達になれていたかもしれない。この戦いが終わったら、いろいろと話してみたい。
「ははは。余はヴァネッサという者で、しがない国王だよ――君が邪竜殿か。噂と違って、とても優しい目をしているのだね」
「面と向かってそう言われると照れちゃうのう」
「今から、あの悲しい目をした魔物を助けに行くのだろう? 余も応援しているよ」
「悲しい……やっぱりそう見えるかの?」
「ああ。余はいろいろとダメな王なんだが、目だけは少し自信があるんだ。そうだ、君の背中に乗っている凄まじい少女がいるだろう?」
「うん? レーコのこと?」
「君とそっくりな目をしている。優しい子なのだね?」
わしは迷うことなく頷いた。
身に残された魔力を振り絞って、黒翼を大きく広げる。『ガンバッテ』という狩神様の声が翼から聞こえる。
「さあ、レーコ。ライオット。これから飛ぶけど、準備はええ? わしの角にしっかり掴まっておっての」
「もちろんでございます」
「お……おう!」
「よし! じゃあ、偽眷属さんを助けに行こうかの!」
翼は風を掴んで、わしの身を大空に運んでいく。
自壊していくドラゴンの元へと。魔物と成り果て、己を呪う悲しい存在へと。
「偽眷属さんっ! 目を覚ましておくれ!」
みるみるうちに距離は縮まっていく。
わしは前脚を伸ばそうとして、
「ってきゃあぁあ――――――っ!!」
弾き飛ばされた。
ドラゴンがその崩れかけた翼を振るって、猛烈な風を巻き起こしたのだ。
ぐるぐるとわしの身が錐揉み回転し、なすすべもなく吹き飛ばされる。たぶんレーコは余裕で角にしがみついているだろうが、ライオットの安否が気になる。
「案ずるな!」
そこに、ヨロさんの声が聞こえた。
宙を駆けてきた彼は、錐揉み回転するわしの尾を掴んだ。
「もう一回行ってくるがいい!」
「っきゃあ――――――――っ!!」
そして、わしを再びドラゴンの方へとぶん投げた。
しかし、ドラゴンの方も再び翼を広げてわしを風圧で迎撃しようとしている。
「軌道変更!」
と、わしの胴体に糸が絡まる。操々の放った魔力糸だ。
飛翔ではありえぬ軌道でいきなり上空に吊り上げられ、ドラゴンの風による迎撃を見事にかわす。
なんとなくわしは、前にセーレンでレーコが暴走したときのことを思い出した。
あのときも乱雑に投げられたりいろいろと酷い目にあったが、みんなの協力のおかげでレーコを助けることができた。今回もやり遂げてみせる。
眼下にあるのは、無防備なドラゴンの背姿。
――届く。
わしは前脚を伸ばした。
それを拒むかのように、半ば朽ちたドラゴンの口から言葉が紡がれる。
『闇夜生み出すは無尽の牙。吼えよ喰らえ万象無に帰せ――【天地喰らう大牙】』
同時、魂のすべてを焼き尽くすような漆黒の光条がドラゴンから放たれた。闇の奔流と見紛うその攻撃は、上空から迫ろうとしたわしを呑み込もうとする。
「暴れるな。おとなしくしていろ」
即座に反応したのはレーコだ。短剣を振りかぶって、巨大な斬撃を放つ。
しかし、光の斬撃は漆黒の光条に触れるや、粉々に砕けた。
やはりレーコの攻撃は無効化される。
「二人とも! 角に隠れて伏せといて!」
回避は不可能。
わしは前脚を交差させて防御の姿勢を取り、真っ向から【天地喰らう大牙】なる攻撃の光条に突っ込んだ。
わしに偽眷属の攻撃は効かない。
それでも、そのアドバンテージすら無視するかのように、攻撃はわしの身を削ってきた。それだけ死力を尽くした技なのだろう。魔力で強化された身でこれなのだから、通常時なら蒸発していたかもしれない。
押し寄せる光条に身を焼かれながら、わしは必死に歯を食いしばる。
わしの身に残された魔力も、限界が近い。
翼が重くなり、じわじわと身が光条に押し返されていく。
このままでは――
『預けた名を、返して貰いに来た』
黒い咆哮に覆われた視界の中に、銀色の疾風が吹き渡った。
その途端、突如としてわしの翼が軽くなる。
「ドラドラ!?」
誰よりも早く叫んだのは、わしの角に掴まっていたライオットだった。
銀竜の姿はどこにもない。ただ、銀色の風がその場を吹き抜けただけだ。それでも彼は、その存在を確かに察していた。
『――俺が分かったか、小僧』
「分かるに決まってるだろ! お前は……」
『ああ。邪竜レーヴェンディアに一矢報いると決めた同志、だったな』
この感覚に、わしは覚えがあった。
そうだ。金山の精霊さんが魔力を与えてくれたときだ。神でも魔物でもなく、その二つの中間。
人に依拠することのない、自然に宿る大いなる存在――精霊。
それが今、確かにわしの身に、力を貸してくれている感覚があった。
『どうだ邪竜レーヴェンディア。この俺の力を思い知ったか』
「お主、ドラドラさん……?」
『風雨竜だ』
風は、短くそう告げた。
その声には、どこか勝利の余韻があったように思う。
『見たか小僧。俺は、勝ったぞ』
光条に押し返されていた身が、風によって踏みとどまる。
それでも攻撃の奔流を突破するまでには至らない。偽眷属に手が届かない。
この現状を打破する存在があるとすれば、
「……のう、レーコ」
「はっ」
目を閉じて、わしは決めた。
不安がないといえば嘘になる。だが、わしは知っている。レーコは強い子なのだと。
「とても大事な話があるから、よく聞いてくれるかの」




