最後の給与
「ダイジョウブ、カナ?」
洞窟の中で、狩神は状況を案じていた。
弟子のオオトカゲは無事に邪竜の魔力から解放されたようだったが、まだ戦いは終わっていないようだ。
そこで、狩神は素早く弓を構えた。
邪悪な気配が洞窟に侵入してきたのを感じたのだ。
振り向けば、紫色の人魂のような物体が洞窟の入口に浮いている。
「ナニモノ」
『そう邪険にしてくれるな。我はただ、部下に会いにきただけだ』
「ブカ?」
『そこに転がっている銀色のドラゴンだ』
言われて、狩神はその存在を思い出す。ずっと死体のように動かなかったので、ちょっと忘れかけていた。
しばらく弓を構えながら警戒を続けた狩神だったが、やがて弓を霧消させた。
「イイヨ」
『む?』
「オマエカラ、弟子ノトカゲト同ジ匂イスル。キット、トモダチ」
『おい待て誰があの雑魚トカゲと友達だ』
抗議を叫びつつも、人魂は特に害意は示さず、ふわふわとドラゴンに寄って行った。
『おい貴様。久しいな。我を覚えているか』
「……虚か。俺を、笑いにでも来たか?」
声をかけられたドラゴン――ドラドラがむくりと顔だけを上げる。
『まさか。そんな暇はない。我はただ、手駒を探しに来ただけだ』
「……また俺の身体を乗っ取ろうというのか」
『分からんぞ? 闇の支配に耐え抜けば、我の魔力を逆に貴様が取り込むこともできよう』
「……らしくないな。前は俺に許可など取らず、乗っ取ってきたくせに……やるなら、さっさとやれ」
人魂がドラドラの背に溶け込み、紫色の光がその全身を包み込む。
『風の竜よ。さあ、貴様の暴威を人類に知らしめるがいい。その力を我がくれてやろう』
「……は。気乗りがせんな」
ドラドラが微かに笑ったように見える。
「かつての俺はそうだった。暴風の化身として、数多の人里を恐怖の坩堝に陥れた。だが、それでは決して勝てぬ者がいた。だから俺は、とうにそんな道を捨てたのだ」
『ほう。そこの弓持ちのように、人に使われる神にでもなるつもりか?』
「まっぴら御免だ。俺は誇り高き風の暴竜、人間どもと馴れ合うつもりはさらさらない」
『ならば貴様はとんだ半端者だな。もはや魔物でもなく、神にもなれぬただのトカゲだ。そんな愚者になり果ててなお、我の力を拒むのか?』
「俺は風だ。何者の支配も受けぬ」
しばしの沈黙があって、ぽんと人魂がドラドラの背中から抜け出してきた。
人魂の表面に浮く人面は、不愉快そうな表情に歪んでいる。
『まったく……あのトカゲの周辺は気持ち悪い連中ばかりだと思っていたが、貴様まで気持ち悪くなったな。もうやめだ。我は二度と関わらんぞ』
そのまま、洞窟の外へぷかぷかと出ていく。
とりあえず見逃しても害はなさそうか――と判断した狩神だったが、ちょうどそこでドラドラが起き上がった。フラついた様子もなく、しっかりとした足取りで。
「待て、虚。何のつもりだ」
『む?』
「なぜ俺に魔力を残していった? しかもこれは……莫大な量だ。こんなものを恵んでもらう謂れはない」
『馬鹿め。我が誰だったか忘れたか』
「……?」
『我は誇り高き魔王軍幹部だ。そして貴様は、その部下だった。支払い忘れていた給料を、利子付きで払ってやったまでよ』
もう二度とは会わんぞ、と残して虚はその姿を完全に消滅させた。
ドラドラはただ立ち尽くしている。
「ドウスルノ?」
狩神は尋ねた。ドラドラは鈍く振り向く。
「どうする、だと?」
「キミ、強クナッタ。ドウスル?」
「……強くなった? 笑わせるな。奴の言ったとおり、俺はただの半端物だ」
薄暗い洞窟の天を仰ぐドラドラ。
「だが……それも悪くないように思う。風は誰にも囚われぬ。神にも魔にもあらぬ身でこそ、吹き渡れる空もあろう」
のしのしとドラドラが洞窟の外へ歩んでいく。
「少し飛んでくる。何も考えずに、心の赴くままにな」
ドラドラの全身が淡く輝き始める。
四肢両翼の竜の身は、溶けるように実体を失くし、一陣の風となって洞窟に突風をもたらす。
それを見送った狩神が一人で頷く。
「ヤッパリ、強クナッタ」




