邪竜様の一撃
真っ暗闇な空間で、わしは外へと声を送り続ける。
語る言葉は、その場しのぎの取り繕いや弁護ではない。偽らざるわしの本音だ。
「今までも、ずっと変だと思っておったんじゃよ。とても無理のある嘘じゃなって。もし詐欺目的で『邪竜を退治した』って言うなら、わしのことを本当に退治してしまった方がよっぽど簡単じゃろう?」
そう言うわしの耳元で、「ふう」というため息が聞こえた。虚である。
「おい雑魚トカゲ、実際そうだったのだろう? 貴様は殺されかけたそうではないか」
「でも、現実はそうなってないんじゃから。途中で止めてくれたんじゃと思うよ」
「それは、結果論だろう。だいたい貴様を守るつもりだったなら、せめて一族の子孫にはその本意を告げるというものだ。そうでなくば、暴走して貴様を討とうとするような者が出てくるかもしれん」
まさにライオットがその通りだ。
もしもわしの正体を正確に子孫へ伝えてくれていたら、たぶんここまで厄介なことにはなっていない。
それでも、思うのだ。
「でもね。やっぱりわしは、あの人はそう悪い人ではなかったと思うのよ」
『……なんでだ?』
光の向こうから声が響いた。ライオットの声だ。
『なんでそう言えるんだ。俺はずっと……俺の親もその前の代もずっと……あんたに迷惑をかけ続けてたんじゃないか。俺なんか、あんたがすべて悪いって恨んで……』
「まあまあ、お主もいろいろアリアンテにしばかれて大変だったみたいじゃし、おあいこということでええのではないかの」
それに、とわしは続ける。
「自慢ではないけど、わしは眼力だけはちょっと自信があってね。目を見ればその人がどんな人か分かるんじゃよ。それで、前に会ったお主のご先祖様を思い出してみたら――お主とそっくりだったのよ」
『……俺と?』
「うん。とっても、優しい目をしておったよ。あの村でたった一人、レーコのことを心配してくれてたお主と」
相手の性質を見破る眼力は、唯一といっていいわしの特技だ。
それがなくてはこの歳まで生きられなかった。
「わしを守ろうとしてくれたんじゃないかっていう根拠は、実はそれだけなんじゃよ。わしはあんまり推理とか得意じゃないから」
『気休めは、よしてくれ』
「気休めではないよ。わしは本当にそう思っとるから」
そしてわしは切り札を出す。
今までのお返しとばかりに。
「ライオット。今までお主は、わしの言うことをちっとも信じてくれなかったじゃろ? だからそのお詫びというわけではないけれど、今回くらいはわしのことを信じてくれていいんじゃないかの」
ぐにゃり、と。
わしが外界に声を届ける光が、大きく歪んで不安定に明滅した。
何事かとわしが慌てていると、虚がにやりと笑った。
「は。やらかしたなトカゲ。あの仮面のご不興を買ったようだぞ」
「偽眷属さんの?」
「ああ。今までこちらに見向きもしていなかったのが、全力で潰しにかかってきた。どうする。このままでは貴様も我もじきに消されるぞ」
どこにも光が見えなくなる。周りの暗闇は、宙に流した墨のようにわしらを覆い尽そうとしてくる。
その暗闇は、肌で感じられるほど、明確な怒りと焦燥と敵意を放っている。しかし、やはり最も伝わってくるのは――悲哀の感情だ。
「そっか」
わしはようやく納得できた。
「偽眷属さん。だからお主はこんなに悲しんでおるんじゃね。お主は――わしを守るための嘘のはずだったのに、みんなそれを忘れてしまったから。何かを守るための優しい神様のはずだったのに、魔物になってしまったから」
そう分かった瞬間に、わしはもうこの暗闇が少しも怖くなくなった。
どんなに邪悪な気配を漂わせていても、わしに危害を及ぼしてくることはないと確信できた。
彼は、そんなことをするための存在ではないのだから。
「これまでずっと、守ってくれてありがとうの」
光が差した。
さっきまでのように、小さな抜け穴が一つだけではない。あちこちに光の漏れる亀裂が走り、壁が剥がれ落ちるように暗闇が消えていく。
それに逆らうように空間が蠢き、わしを押し潰そうとしてくるが、それはレーコの魔力と同じように、わしの身を傷つけることは叶わない。
「んぐぁああああああ!」
が、虚がねじれた空間に呑み込まれて悲鳴を上げていた。わしに効かずとも、彼には効く。
とりあえず手を伸ばして救助。
わしの腹下に隠れた虚は、ふんと強がった息を吐いて、
「この我を助けたつもりかトカゲ?」
「助けたつもりじゃけど」
「いいか、これだけ精神に隙が出来て崩落したら、我はもう外の世界へ逃げられる。それも、ここに満ちた邪悪な魔力をたっぷり土産に持ってな……。慄くがいい。ここまで貴様に味方してやったのは、こうやって脱出する機を見計らっていたからだ。助けたことをせいぜい後悔しろ。超絶パワーアップした我がこれから世界を震撼させ」
「あ、もう出ていくのね? いろいろお世話になったのう。元気でね」
「ちょっとは我を恐れろこの雑魚トカゲ」
そうは言っても、もうあんまり怖がる気になれない。
ついでにいえば、もし敵になることがあっても彼がレーコに太刀打ちできるとは思えないし。
「……最後まで気色悪い奴め。二度と貴様の前には姿を現さんからな」
そう残すと虚は、ふわりと漂って亀裂の隙間に消えていった。無事に出られたならいいが。
空間の崩落は止まず、周りはやがて白一面の何もない空間になっていく。
その中をわしが歩むたび、足跡からぴょこぴょこと新芽が生えていく。
「――やめなさい」
そこで、わしの背後から声がかかる。
立っていたのは偽眷属だ。だが、いつもと違って声に余裕がないように思える。
「それ以上この場を乱すとあらば、あなたといえど実力で排除します。もはや、真のレーヴェンディアはこの私なのですから」
「ううん、お主はわしに勝てんよ。お主はわしの――」
言い終える前に、偽眷属が動いた。
右手に膨大な魔力を宿らせての狂爪。わしの身を引き裂こうとした一撃は、
ぽんっ、とわしの鱗を軽く叩いただけに終わる。
「眷属なんじゃから」
眷属への説教とばかり、わしは振り向きざまの尻尾で、偽眷属の仮面を思い切り叩いた。




