わしのせいじゃない
沈黙がちょっと気まずかった。
気心の知れた間柄ならいざ知らず、隣に浮かんでいるのは、未だにあんまり友好的というわけではない魔王軍の幹部である。
もう少しフランクに会話でもできたら、この場を明るくできるのだけれど。
「えっと……虚さん。好きな食べ物は何かの?」
「あ?」
「いやね。ただ黙って歩くのも退屈じゃないかの? せっかくだしちょっと雑談でもね」
「なぜ貴様と馴れ合わねばならん。話すことなどないわ」
「じゃあ、しりとりはどうかの?」
「我が『よし、やろうやろう』などと言うと思っているのか?」
気難しい人である。
早く外に抜け出したいとは思うが、行けども行けども真っ暗闇な空間は終わりを見せない。『虚』が照らしてくれる足元が、ほんの僅かに光を反射するだけだ。
試しに穴でも掘ってみようと前脚でガシガシと地面を掻いてみるが、まるで手ごたえがない。
「これって泥なの?」
「だからここは心の中だと言っているだろうが……壁にも地面にも実体などない。すべては精神状態を反映した光景だ」
「うーん……じゃあ、もしもわしが『野菜畑になれ』って念じたら、こんな暗闇じゃなくて野菜畑になるのかの?」
「できるものならやってみろ」
「えいっ」
念じてみたが、周りは相変わらず暗いままだった。暗いならせめてキノコかモヤシでも生えてくれればいいのに、それすらない。
「今ここを支配しているのは、あの仮面の魔物だ。貴様の心理が反映される余地はない」
「偽眷属さんの心がこんな風だっていうこと?」
「さあな」
浮かんでいる『虚』に、わしはふと尋ねる。
「ところで、前にお主が覗いたレーコの心ってどんな感じ」
「思い出させるな」
ぶるるっ、と怖気を堪えるように人魂が震えた。たぶんトラウマになっているのだろう。ちょっと責任を感じたのでそっとしておく。
「……まあ、我の感覚では仮面の魔物の他にもいろいろと混ざっているな。今、貴様の身には膨大な魔力が流れ込んでいる。そのせいだろう」
「世の中で信じられてた『邪竜への恐怖』というやつかの?」
「それ以外にも、だ。魔王軍という偽りの嘘の元に、数々の魔物が集められた。その魔物どもの魔力も、そっくり貴様に徴収されている」
「え? なんで?」
「貴様が魔王を倒した――ということになったからだろう。すなわち魔王軍も敗北したということになり、世の魔物どもの多くが貴様に力を吸われた」
ということは、ドラドラさんが弱っていたのは、わしに魔力を持っていかれたからだったのだろうか。
「しかし困ったのう。そんな風にゴチャゴチャした場所でわしが出口を探せるとは思えんよ」
「……だから」
「うん?」
「だから、この世界は心の反映だと言っているだろうが」
「それがどしたの?」
「だ、か、ら! 闇雲に探しても出口があるわけないということだ! 欲しけりゃ作れ!」
我慢できぬとばかりに『虚』が怒鳴った。
驚いて跳ねあがったわしだったが、ややあって少し微笑む。
「なぁんじゃ。やっぱり手伝ってくれるんじゃないのお主」
「うるさい! 貴様があまりに鈍いからイライラしたのだ……さっさと作れ」
「了解っ! さあ出てきとくれ出口!」
無音。
外に続く門をイメージしたのだが、真っ暗闇に光明の一つも差さない。
「……なんでかの?」
「精神力が足りん」
「目一杯頑張ったつもりなんじゃけどなあ」
そこで、『虚』の人魂がわしの鼻先に寄ってきた。
「ならば、我が憑りついてやろうか? 闇に囚われし時こそ、人は本性を示す。深淵より生まれいずるその精神力は通常と比にならぬほど強大な……」
「あ、んじゃ憑りついてくれるかの」
「ちょっとは躊躇えこの雑魚トカゲ」
「だって手伝ってくれるんじゃろう?」
「言っておくが、手心を加えるつもりはないぞ。貴様がそのまま闇に落ちて自我を失う可能性も考慮しておけよ」
「お手柔らかにお願いね」
「人の話を聞け」
苛立ったように『虚』の人魂が燃え上がり、わしの全身を包み込んだ。
――さあ、本性を晒せ。
――醜い心の内を吐き出せ。
いつぞやも聞いた、懐かしい悪魔の囁きがわしの心を満たしていく。わしはうなされながらも、かつての所業を思い出す。
わしは、美味しい葉っぱのなる木を独り占めしたことが、
――その程度か?
だが、前と違って悪魔の囁きは止まらなかった。
――我を舐めるな。同じ手で二度も我を浄化できると思うな。
わしの心の中に異物が入り込んでくる感覚。ぞわぞわと怖気が立ち、無性に恐ろしい気分になってくる。
だが、それは同時に、わしを試すようでもあった。
――どうした。貴様は何も成長していないのか?
「そうじゃの」
わしは頷いた。
もう、前までのわしではない。悪魔の囁きになんて負けはしない。
「今のわしは、美味しいものを独り占めになんてしないからの。美味しいものはみんなと一緒に食べたいからの」
レーコと、アリアンテと、狩神様と、聖女様と、これまでの旅で会ったみんなと一緒に。
だから今のわしは、前よりもずっと人畜無害に違いないのだ。
心の闇になんて、負けるはずがないのだ。
「ったく、相変わらず貴様は気色悪いな」
吐き捨てるような口調でわしから人魂が抜け出てきた。
「すまんのう」
「知っていたことだ。別にいい。それより、足元を見てみろ」
言われて下を見れば、真っ暗闇だった地面に、小さな灯のような光が生まれていた。
「なんじゃのこれは?」
「今、貴様が発した言葉が少しだけこの暗闇に抵抗したのだろう」
「抵抗といっても……なんじゃろこれ」
わしが光を覗き込むと、なんとその向こうから応答があった。
『山は山』
聞き覚えがある独特なノリの声。
「えっと……精霊さん?」
『山』
「やっぱそうじゃね」
わしは『虚』を振りむいた。彼は知らんとばかりに左右に揺れる。
「おおかた貴様の仲間の誰かに繋がったのだろうとは思ったが、知らない奴か?」
「いや、知ってる人ではあるんじゃけど……なんでこのチョイスなのかなって。あっ、精霊さんの魔力を借りたことがあるから、それがわしの中に残ってたのかの? それを辿って通信が通じたとか……」
「いや知らんが」
わしは悩む。
知っている人と話せたのは嬉しいが、精霊さんはこの場で助けを求めるには微妙な相手ではないだろうか。意志疎通がやりにくいし――そうだ。
「あ、そうじゃ。精霊さん。近くにシェイナはおるかの?」
『山呼ぶ』
「手間かけてごめんの」
しばらく待っていると、ガサゴソという音がしてから声が切り替わった。
『ん? どうしたの精霊さん? あたしに何か用事?』
「あ! シェイナ! わしわし! わしの声聞こえる!?」
『え? 邪竜様? え、なにこれ。精霊さんから邪竜様の声が聞こえる』
無事に通じた。
よかった。外界に対してわしの状況を伝える命綱ができた。
「すまんの、今ちょっと緊急事態で。レーコかアリアンテにすぐ連絡を取れるかの?」
『また危ない目にあってるの?』
「そんな感じでの。よろしく頼めるかの」
『はいはいちょっと待ってね。レーコちゃんは分からないけど、ペリュドーナにはうちの駐屯地から通信ラインがあるから……ん?』
怪訝な声を発するシェイナ。
『ごめん邪竜様。なんかペリュドーナ宛ての通信ラインが死んでるみたい。整備中か何かかな? おっかしぃなあ。こういうのって全部一度に切れることはないんだけど』
「アリアンテに直通でどうにかならんかの?」
『あ、大丈夫大丈夫。前に会ったとき、もしものためにアリアンテさんが持ってる通信具の周波数を聞いておいたから。あたしの音響魔法で直接繋げられると思う』
「じゃ、お願い!」
『オッケー。集中するから少し待ってて』
通信の向こうでシェイナが集中している気配がする。やがて、何かが繋がったようなノイズ。
「もしもし! わしじゃけど、アリアンテ!? 聞こえるかの!?」
『レーヴェンディアか!?』
即座に応答があった。
「うん。わしわし。心配かけてごめんの」
『お前、今どこから連絡してるんだ!?』
「えっとね、わしの心の中とか……そういうところから、精霊さんとシェイナにお願いして中継してもらってお主に連絡をしてもらっとるの。今、外のわしってどうなっとるの?」
通信の向こうで、何かとんでもなく大きなものが破壊されるような凄まじい音がした。
「……アリアンテ? 今の音って何?」
しばしの沈黙の後、アリアンテが告げる。
『今、外のお前は本物の邪竜と化してペリュドーナの街をぶち壊してる最中だ。さっさと元に戻れ。さもないとしばく』
わしは現実逃避気味に、ぶつりと通信を切った。




