邪竜様in精神世界
「ここは、どこじゃの……?」
わしが目を覚ますと、真っ暗な空間だった。
以前は洞窟暮らしだったから、それなりの暗さには慣れている。しかし、視界一面を墨で染められたかのような暗黒は、さすがに背筋が寒くなった。
「ええと、なんで眠っとったんじゃろ。何をしとったっけ……」
微かに思い出せるのは、正体不明のドラゴンと戦っていたところまでだ。勝ったのか負けたのかも覚えていない。
戦っているうちにだんだん意識が遠ざかって――気付いたら今ここにいる。
「ええいっ! こういうときはアレじゃの! レーコ! 来ておくれ!」
ぴょんとその場に跳びはねて、わしは合図のように前脚を振った。
これで大丈夫。たとえここが隔絶された異空間の果てだろうと、レーコは絶対に迎えに来てくれる。
だというのに、静かだった。
いつもの調子なら一秒以内にどこからともなく姿を現して、嬉しそうに「ただいま馳せ参じました」と言ってくるのに。
と、そこで声がした。
「何かご用件でしょうか、我が主よ」
「あ、よかったちゃんと来てくれたのね。焦ったぁ」
しかし振り向いた先にいたのは、暗闇の中にぼうっと浮かぶ偽眷属の白い仮面だった。
「きゃぁ――っ! なんでいるのお主! あ! 夢!? 夢じゃね!? 覚めろえいっ!」
わしは地面に頭をぶつけて目を覚まそうとするが、不思議なことに地面の感触がひどく曖昧でぶつけられない。
まるで雲か綿の中にでも埋没しているかのようだった。夢の中で逃げ回っていて、不思議と足場が安定しないときの感触に近い。
やはり夢か。
「夢ではありません。とはいえ、現実ともいえません。ここはあなたの心の中ですよ」
「えっ、わしの心ってこんなに暗いかのう? もっとこう……森とか草原とかそういう感じだと思うんじゃけど」
「そう仰らないでください。ここまで仕立て上げるのに、私も相当苦労したのですよ」
うん? とわしは首を傾げてから尋ねる。
「だけどなんでお主がおるの? レーコが倒したはずだと思うんじゃけど……」
「ええ。倒されましたよ。一度殺されただけでなく、つい先ほどは復活もできぬほど完膚なきまでに死の概念を打ち込まれてしまった次第で」
「じゃあやっぱり夢じゃないのかの?」
偽眷属はゆっくりと首を振った。
「いいえ。あなたが助けてくれたのです。レーヴェンディア様」
「わしが?」
「ええ。私の肉体はもう滅んでいます。ですが、既に私はあなたと共にあります。あなたは私を『お召し上がりになった』のですから」
今度はわしが猛スピードでぶんぶんと首を振り返す。
「いやいやいや。わし、草食じゃから。お主を食べたりするような趣味はないから。レーコみたいなことを言って困らせんでおくれ」
「いえ。あなたは立派に召し上がってくださいました。この私が用意した――嘘を」
闇の中に仮面が溶け、唐突に偽眷属の姿が見えなくなる。
その声だけが、空間全体に反響するように響く。
「曰く『邪竜レーヴェンディアは古よりの怪物。魔王軍の最高幹部の地位にありながら、その真の力は魔王をすら凌ぐ。されど無益な暴虐を好まず、ただ泰然と世を見守る強大なりし竜』」
響いた言葉が、わんわんとわしの頭の中に沁み込んで鳴り響く。
「実に出来の悪い嘘です。しかし、幸いにも私には時間がありました。少しずつ――本当に少しずつ、こんな馬鹿げた話が人々の間で信じられていき、その嘘を司る私の元には膨大な魔力が集うようになりました」
「あっ。そうじゃったの。わしはてっきり、その魔力がレーコに行ってたかと思ってたんじゃけど、お主の方だったのね」
焔華に「レーコの魔力は自前」と指摘されるまで、その説が濃厚だと思っていた。
その魔力をわしの元に誘導すべく、聖女様と一緒にワルを志したこともあったくらいだ。
「ということは、わしが邪竜だなんて嘘を広めとったのはお主じゃったの。ひどいのう。なんでそんな意味のないことをしたの」
「私に文句を言わないでください。この嘘を仕組んだのは、あの忌々しい祭司の一族の初代ですよ」
「祭司……ああ、ライオットの家かの」
「あの一族の初代の男は、勇者を騙る詐欺師でした。それが邪竜と一戦交えたと武勇伝を作りたいがために、偽りの物語を生み出したのです。ご丁寧なことに、その嘘を支えるために私という魔物まで作り出して」
ライオットの先祖が嘘の発端ということは知っていたが、この偽眷属がまさかその初代によって生み出されたとは知らなかった。
しかしなんともまあ、大仰な嘘である。
どうせ武勇伝をこしらえるなら、もう少しボロの出ないやり方があったのではないだろうか。
心の中ということゆえか、偽眷属はわしの不満をあっさり読み取ってきた。
「まったくそのとおりです。もっとも、あれは救いようのない愚か者でしたから。最初にあなたを殺そうとしたときも、失敗して勝手に死にかけるという醜態を晒したそうですからね」
「えっ、わし殺されかけてたの?」
「ええ。しかもあなたはそれに気づかぬまま、重傷を負ったあの愚物に手当を施していたのですよ。我が主ながら、呑気が過ぎるというものです」
わしは頭を捻って記憶を掘り起こす。
そういえば、いつだったか。崖から落ちて大怪我をしていた人を、洞窟の中で看病したようなことがあったような――あの人が、わしを殺そうとしていた?
「ですが、皮肉なものです。虚栄のためについた勇者という嘘が、巡り巡って最悪の魔物を生み出すことになったのですから」
「うん? 最悪の魔物ってどういうこと?」
「あなたのことですよ。邪竜レーヴェンディア様。あなたに、私が得た『嘘』の魔力のすべてを還流したのです」
またまたぁ、とわしは前脚を振る。
「わし知っとるよ。なんかわしは、そういうのに全然適性がないんじゃって。聖女様と草むしりをしても、ちっとも魔力なんて集まらんかったしの」
「ですから、あなたに召し上がらせるための特別な『餌』を用意したのです。これまでに溜めた魔力を使って」
「餌?」
「はい。『魔王軍幹部』という餌です。強大な魔力を持ちながらも、あなたに対しては相性が非常に悪いアンバランスな存在の魔物たちを。あなたが彼らを退けるたび、少しずつあなたは『魔王に匹敵する邪竜』に近づいていきました。そしてついに先日、あなたはかつての魔王――雷剛鎧に敗北を認めさせた。すなわち、邪竜レーヴェンディアとしての逸話を成した。嘘にふさわしい存在となった」
はっ! とわしは戦慄する。
「ま、まさか! そういう陰謀じゃったのなら、レーコの力もお主がお膳立てしたものなのかの!? わしの眷属として、魔王討伐を助けさせるために――」
「いいえ。あれについては、残念ながら私は何も関知していません。はっきりいってイレギュラー以外の何物でもありません」
「じゃよねえ」
「正直にいうと、末恐ろしくはありました。底が知れませんでしたから」
「分かる分かる。どこまでも行っちゃいそうだもんの」
たぶんレーコの力は誰かが仕組んでどうこうなるものではない。種も仕掛けもなく、ごく普通に人間の限界を超越しているだけなのだと思う。
だからわしは、今もあんまり慌てていないのだ。
これがどんな状況だろうと、レーコがわしを探せないはずがない。すぐに来ないのはちょっとトイレ休憩とかなのだろう。
「本当にそう思いますか? ここはあなたの心の中ですよ」
「あの子は精神世界とかにも普通に来るんじゃないかのう。聖女様とわしが思念で会話してたときに割り込んできたこともあったし」
「レーコ嬢の力は、あなたには通用しないのですよ。いや、それ以前の話です」
偽眷属の声が四方八方から響いて、わしに問いを放ってくる。
「――あの娘が、あなたの心を真に理解したことが一度でもありましたか?」
わしは即答できなかった。その隙を縫うように、偽眷属の言葉は続く。
「ご安心ください。ここにあなたを脅かすものはありません。静かに、平穏に、永遠に――ここにお留まりください」
ずぶりと沈むような感触。足元を見れば、一面の漆黒にわしの身体がじわじわと呑み込まれつつあった。
抵抗できない。
わしにそんな力はない。そしてここに、わしを助けてくれる味方は誰もいない。
天地も左右もなくなって、わしがわしであるという意識も朦朧となり、たまに「野菜」というフレーズが聞こえたような気がして覚醒しかけて、やっぱり眠りそうになり、長い時間が経った。
もう何が何でもどうでもよくなりかけてきた、
そのとき。
「おい、クソ雑魚トカゲ」
闇の淵から、わしを呼ぶ声があった。




