負けない邪竜様
わしは荒野をひた走っていた。
身をぶつけ合いながら並走してくるのは、わしによく似た小型の黒いドラゴンだ。
もっとも、似ているのは見た目だけで、その雰囲気や気配はわしと比べものにならない。獰猛かつ凶悪なオーラは戦闘態勢のレーコのようだし、瞳にはわしに対しての明確な敵意がこもっている。
「お、お主! 追いかけっこはそろそろやめんかの!? 落ち着いて話せばきっと分かるから――きゃあっ!」
幾度も説得を試みてはいるが、そのたびに「問答無用」とばかりに突進され、わしはよろめいてしまう。
しかし、魔物化という謎の現象で強化されたわしの身は、凶悪なドラゴンの突進を喰らってなお傷一つ負うことはなかった。
「こうなればわしが戦うしか……ううん、無理じゃのう。レーコが来るのを待とうかの」
わしは黒爪を変化させて翼を生やし、空へと舞い逃げる。
相手のドラゴンも同じく翼を生やして、こちらを追跡してきた。やはり、わしとそっくりな翼の形状だった。
ところが、いきなり相手の身に変化が起きた。
今までは小サイズ時のわしと同じくらいの大きさだったが、突如として巨大化し、わしの本来の巨体に匹敵する大きさへと変貌したのだ。
そして大きく開いた口には、灼熱の火球を溜めている。
わしに狙いを定めて。
「いかんっ!」
わしは急旋回して狙いを外そうとする。しかし、放たれた火球は猛禽のように鋭い動きでわしをホーミングしてくる。
いかん、直撃する。死んでしまう。
生命の危機がわしの生存本能を刺激したか、身の内でドクンと湧き上がるものがあった。
みるみるうちにわしの身が膨らんでいく。若返りの薬の薬効が解除され、敵と同じ巨大な体躯へと伸長したのだ。
咄嗟に前脚を交差させて防御姿勢を取る。
「ぎゃ! あぢぢぢっ!」
防いだ前脚に炎が纏わりついて熱さを訴えたが、全身を丸ごと火球に呑み込まれることにはならなかった。
それどころか、巨大化と同時に魔力がさらに溢れ出し、前脚すらほとんどダメージを訴えていない。
「えっと……本当にそろそろやめんかの? わしも何だか強くなってるみたいだし、このままだと長引いてお互い疲れてしまうじゃろう? というかお主はいったいどこのドラゴンさんなの?」
一切の返事をよこすことなく、ドラゴンは再びわしに向かって飛来してくる。
まるで、意志を持たぬ人形か何かのように。
―――――――――――……
「敵の姿もないのに、レーヴェンディアだけが飛び出した……幻覚か?」
「何を言う。邪竜様が幻覚などに惑わされるはずがあるか。邪竜様にしか視認できぬ冥府の怪物あたりが襲来してきたのだろう」
冥府の怪物とは何か、というツッコミは置いておく。
しかし、単に幻覚と済ませてしまうのも違和感がある。この洞窟には聖女様が結界を張っていたのだ。性格的にはアレだが、防御性能に関してはかなりの実力がある。それを容易く突破してみせる術とは考えにくい。
「聖女よ。結界に異常はなかったか?」
「はい。外から侵入者とか攻撃とかはありませんでした。この私が保証します」
えっへんと胸を張る聖女様。そこまで自信満々に保証されると、裏目に出そうな気がするのでもう少し控えめにして欲しい。
「外部からの攻撃でなければ……」
アリアンテは熟考する。
偽眷属から聞いた『レーヴェンディアを本物の邪竜にする』という話と併せて考えると、一つの仮説が浮かび上がる。
「レーヴェンディアは魔物化しかけて……もとい、妙な魔力が植え付けられた状態にあった。その魔力に対する拒絶反応が、敵の姿として視認されたとは考えられないか?」
アリアンテの推測に対し、その場のほぼ全員が首を傾げた。
「病に侵され、高熱にうなされれば悪夢の一つでも見るだろう。それと同じことだ。異物として侵入した魔力を、自らを脅かす敵として誤認識したのかもしれない」
「邪竜様がそんな病人のような失態を犯すと思うか?」
「そう怒るな。寝ぼけるのと似たようなものだ。レーヴェンディアも寝ぼけることはあるだろう?」
「む、確かにそうだな。邪竜様はたまに寝起きで『レーコ~。実はわしって草食動物なんじゃよ~』などと仰られることがあられる」
あの馬鹿トカゲ。
寝ぼけた勢いで日常的にそんな地雷を踏んでいたというのか。
「ということなら心配ないな。じきに目が覚めて邪竜様も戻ってくるだろう」
レーコは落ち着いていたが、アリアンテは危惧を覚えずにはいられなかった。このままレーヴェンディアが凶悪な魔物と化す可能性は低い。魔力との親和性が最悪だから、身に馴染む前に漏れ出して終わりだ。
いわば今の状態も、下痢で腹痛を訴えている状態と大して変わらない。
しばらく耐えて、悪い魔力を出してしまえばそれで終わる。
だが――
「私の術と同じ、か……」
アリアンテは、洞窟に置いていた荷物の中から一本の鞘付き剣を抜いた。3億4320万倍事件を受け、場合によってはレーヴェンディアをしばくために持ってきたものである。
「レーコ。いくらレーヴェンディアとはいえ、そう安心するのは早い。レーヴェンディアやお前は、強すぎるがゆえに無防備なところもある」
「ふん。百獣の王が羽虫に防備をする必要がどこにある」
「そこまで言うなら、少し構えてみろ。羽虫なりの工夫というのを見せてやる」
アリアンテが腰だめに剣を構えた。
レーコは余裕綽々で、短剣を抜く気配すら見せない。
剣閃。
アリアンテの全力で放った居合だったが、レーコはさしたる動揺も見せずに指一本でそれを受け止めようとして、
「むっ」
ぴしりと表情をこわばらせた。
指先で剣を受けた瞬間に、明らかに顔色が変わった。
「非力な人間にも工夫というものがある。お前ほどの力の持ち主なら、突き指程度とはいえ、痛みを感じたのは久々だろう?」
初対面のときのレーヴェンディアにも同じような挨拶をしたことを思い出し、アリアンテは苦笑する。
レーコは指をぶんと振りながら、
「どんな隠し玉を使った? 貴様ごときが私にダメージを与えるとは」
「なに。ダメージは与えていない。表面的な『痛み』を与えただけだ。実際、腫れもしていなければ傷にもなっていないだろう?」
アリアンテは鞘付きの剣を地面に転がす。レーコはそれを睨んで、
「なるほど。痛みを与える特殊な剣というわけか。小癪な」
「ああ。まさしく魔剣――といいたいところだが、これはただの『訓練用の剣』だ。道場稽古なんかに使われるありふれた品だ」
そこで聖女様がぴょこんと耳を立てて反応した。
「すごいじゃないですか! そんな剣でレーコ様に攻撃を通すことができるなんてむにゃにゃ」
「通されてなどいない。少し驚いただけだ」
聖女様は途中からレーコに頬をつねられて涙目になっている。
「いや、普通の剣を使ったら指で止められるどころか、返り討ちで粉砕されていただろう。こんな『訓練用の剣』だからこそ、邪竜の眷属にも通用したといえる」
「どういうことだ?」
「お前がこの剣を強化したらどうなる?」
レーコは地面に落ちた剣を拾って、ふんと鼻息をつく。
「私が魔力を通せば、訓練用のナマクラだろうが関係ない。山をも切り裂く斬撃を放ってやろう」
「そういう発想が、お前やレーヴェンディアといった圧倒的強者の欠点だ」
「なんだと?」
「魔力を通して強化するというのは、基礎中の基礎だ。しかし、単に『強くする』といっても攻撃力や強度を上げるばかりでは芸がない。私がやったのは『訓練用』という道具の本質そのものの強化だ」
訓練に扱う以上、相手に怪我をさせてはいけない。
しかし、痛みなくして訓練生に攻撃への警戒心を叩き込むことはできない。
そうした道具の本質を最大限に強化すれば『相手に痛みだけを与える魔剣』の完成となる。
「で、それがどうした。自慢のつもりか?」
「いいや。小手先の技を侮るなと言いたいだけだ。あの偽眷属が、レーヴェンディアに対してどんなペテンを働いたかまだ分からんのだからな」
仮にこの強化術理をそのままレーヴェンディアに適用しても、生まれるのは『圧倒的パワーで草や野菜を育てて食べまくる草食獣』にしかならない。奴の『本質』はそういう生き物だ。
それでも、完全に安堵はできない。かなり迂遠な手法にはなるが、やり方次第では『本質』を歪めることも不可能ではない。
「そういうわけだ。不測の事態を避けるためにも、すぐにレーヴェンディアを迎えに行ってこい。このまま寝ぼけて遭難されても面倒だろう」
「指図をするな」
不満げになりながらも、レーコは目を蒼く光らせてレーヴェンディアを捜索し始めた。
と、すぐにその顔が笑みを作る。
「女騎士、無用な心配のようだったな。邪竜様はちょうど自ら帰ってきたところだ」
「何?」
レーコが指で示したのは、洞窟の外側だった。
確かに耳を澄ませば、巨大な何かがずしんずしんと足音を立てて迫ってきていた。
「あっ! レーヴェンディア帰ってきたんだ! よかった!」
操々が喜んで外に出ていきかけたが、狩神がそれを制した。
「待ッテ。様子オカシイ」
「ん? 何が?」
「爪デ連絡トレナイ。ズット、変ナ雑音デ邪魔サレテル。普通ジャナイ」
アリアンテも同感だった。
この足音ということは、レーヴェンディアは巨大化している。しかし、あの愚鈍なトカゲが自力で若返りの薬の効果を解除できるわけがない。
何かあったのだ。
警戒しながら、一同で洞窟の入口まで進む。
平原の向こうに、レーヴェンディアの巨体が見えた。
だが、アリアンテにはそれがいつものレーヴェンディアではないと一目で分かった。禍々しい気配。殺気を滲ませた足取り。どう化けても同一人物ではありえない変化だ。
そして、その邪悪なドラゴンはこちらに近づいてくると、牙を剥きだしにして笑った。
「ククク……わしは邪竜レーヴェンディア……この世に滅びをもたらす者……神も魔もわしの前には等しく無力……」
凶悪な気配のわりに、どうも安っぽい台詞が来た。
そう、まるでレーコのような感じの。
「おい。レーヴェンディアか?」
「ふ。愚かなる人間如きがわしの名を気安く呼ぶとは……命知らずもいいところじゃな……哀れよの……」
「なんかムカつくなお前」
つい素で本音をこぼしてしまった。
たぶん乗っ取られているのだろうが、緊迫感がどうも薄い。
「どけ女騎士」
と、レーコがアリアンテを押しのけて背後から出てきた。
「待てレーコ。あれは」
「ああ。悪質な偽物だ。この私の千里眼を謀ってくれるとはな……だが直に見れば分かる。あんなものは邪竜様ではない」
短剣を抜くレーコ。
「邪竜様はあんなチンピラじみた脅し文句は吐かない。常に強者の余裕を漂わせていらっしゃる。眷属の私の目はごまかせない――死ね。『竜王の大爪』」
止まる間もなく、レーコがレーヴェンディアに向けて光の斬撃を放った。
直撃。
しかし、撒きあがった煙の向こうから現れたレーヴェンディアは、傷一つ負っていなかった。
当然である。洗脳されているとはいえ、本物は本物なのだ。レーコの攻撃が通用するはずがない。
レーヴェンディアがゆっくりと爪を振り上げた。
「痒くもない一撃でも、返さぬわけにはいかんからの。喰らうがいい。『竜王の――」
まずい。もしあれが邪竜と呼ぶにふさわしい力を備えていたら、防御する術はどこにも、
「トカゲさん! 野菜あげますから目を覚ましてください!」
ぴたっ、と。
時間でも止まったかのように、レーヴェンディアが急停止した。
「野菜……野菜……うっ、頭が」
「そうです! 美味しい野菜ですよ! 採れたてのキャベツにニンジンもあるんですよ!」
「芋も……欲しい……」
「分かりました! お芋も付けちゃいますから!」
「う、ぐ……わしは……わしは……」
ごろごろと地面に転がってレーヴェンディアが苦悶の声を発し始める。
「違う……わしはこんな怖いことは……それよりキャベツ……」
「カボチャもあるんですよ!」
「ぐあぁっ!」
アリアンテが無表情で眺めるそばで、操々がうるうると涙を流し始めた。
「レーヴェンディア……心の中で敵と戦ってるんだね……。あたしたちを傷つけないために……」
「戦ってはいるんだろうが、なんかちょっと戦いの方向性が違う気がするぞ」
しばし苦しんでいたレーヴェンディアは、やがて肩で息をしながらむくりと起き上がった。
そして、まるで口の動きと合わぬ言葉を発した。
『やれ。単なるトカゲと思いきや、意外にしつこいものです。あなた方の始末はまた後日にしましょう』
翼を生やしたレーヴェンディアが、ふらつきながらその場を飛び去って行く。
アリアンテとレーコは目を見合わせた。
「どういうことだ。偽眷属は完全に始末したんじゃなかったのか?」
「……そのはずだ。しかし……」
レーヴェンディアの口から発せられた声は、紛れもなく偽眷属のものだった。




