邪竜様、緊急事態
「あの偽眷属が夢に出てきただと?」
わしの言葉を受け、アリアンテは俄かに警戒の色を顕わにした。
そこまで大仰な反応をされるようなことと思っていなかったので、わしは若干狼狽する。
「でも、あくまで夢の話じゃよ? 本物の偽眷属さんはもう倒したわけじゃし」
「例の3億倍攻撃でか」
「それについては本当にごめんの」
あの超威力のレーコの攻撃を受けた偽眷属が、無事に逃げ延びたとは思えない。おそらくこの世に塵一つとして残らなかったはずだ。
それでもアリアンテは腕を組んで何やら熟考している。
「レーヴェンディア。お前、あの偽眷属の正体に心当たりはないのか?」
「え? ないけど……なんでわしに聞くの?」
「そもそもあの魔物は『レーヴェンディアの眷属』を自称している。この時点でお前と何か関係がある気がしてならん。それに、奴はライオットにも妙に執着していた」
「そういえばそうじゃったの」
偽眷属はライオットのことを『忌々しい』とまで評していたという。普通の少年であるライオットが、魔王軍幹部の強力な魔物と接点があったとは思えないが。
「……これは私の勘だが、偽眷属はお前を祀っていたあの村と関係があるように思える」
「村? ライオットとレーコがいた村かの?」
ああ、とアリアンテは短く頷く。
「ライオットの一族は村の祭司として邪竜レーヴェンディアを祀り続けていた。偽眷属がお前とライオットの両方に何らかの因縁を持つ存在なら、あの村に関係している可能性は大きい」
「ライオットの一族というと、アレじゃよね。勇者さんの伝説の」
「なんだ、知っていたか」
シェイナのところで文献を読ませてもらった。確か内容は――
『かつて勇者と呼ばれていた男が、暴虐なる邪竜レーヴェンディアを止めんと戦いを挑んだ。戦いは邪竜の勝利に終わったが、勇者は死力を尽くして邪竜に一太刀の傷を浴びせた。神すらも貫き得ぬ黒鱗の護りを破られた邪竜は、そこに人間の未知の可能性を見出した。それ以降、邪竜は人間に対して中立の立場となり、殺戮を控えるようになった』
こんな感じだった。
もちろんこの中には、毛一本ほどの事実も含まれてはいない。本当に勇者なんて人が来ていたら、わしは一瞬で細切れにされている。
ついでに、わしに傷をつけた伝説の勇者の剣というのは、今現在レーコが愛用している宝石飾りの短剣である。アリアンテ曰く『飾りは豪奢だが、実用武器としては三流以下。いかにも詐欺の小道具らしい』とのこと。普段あれだけ威力があるのは、レーコが尋常ではない魔力を帯びさせているからだ。
アリアンテは深く唸る。
「お前に魔力が芽生えた異常と偽眷属の夢は、決して無関係のことではないだろう。奴の正体を探るためにも、私が一度あの村を洗いざらい調べてくる」
「わしも行った方がええかの?」
「むしろ来るな。お前があの村を訪れたらどうなると思う?」
「とんでもない騒ぎになるじゃろうね」
それこそ新しい生贄でも調達されてしまうかもしれない。そうなっては事態が混沌としてアリアンテの調査も進むまい。
と、ここで聖女様が話に割り込んできた。
「それなら、その間トカゲさんはわたしの町で休んだらどうですか?」
「おお! そりゃあええのう」
野菜の名産地である聖女様の町セーレンは、わしにとって最高の滞在地である。住民たちから厄介払いされた過去はあるが、そこは被り物とかをして変装すれば大丈夫に違いない。
しかし、浮かれかけたわしの首に「きゅっ」としがみついてくる者がいた。
「ねえレーヴェンディア……? まさかとは思うけど、アタシを置いてそのアホの子のところで休暇なんて過ごさないよね……?」
穏やかな口調で脅迫してくるのは、やはり操々である。
聖女様に対して「しゃーっ」と牽制の歯を剥き、このまま洞窟に残るよう促してくる。
「えっと、操々さんも一緒にセーレンに来るというのはどうかの?」
「ヤダ。あの町に近づくとアタシ気持ち悪くなっちゃうから」
「気持ち悪いとはなんですか! うちの町は水も空気も一級品なんですよ!」
「あんたが町中の水路に垂れ流してる魔物除けの水? あれがアタシどうも気に入らないんだよね。もうアタシは魔物じゃなくなったわけだけど、それでもなんていうか『他人の縄張り』臭くてヤダ。犬のションベンみたい」
「なっ!! なななっ!! このわたしが丹精込めて湧かせてる泉の水を、こともあろうに犬のションベンとはなんですか! その侮辱は看過できませんよ!」
鼻の穴を膨らませて憤慨した聖女様は、頭上に手を掲げて魔除けの水の球体を作り出した。
「操々さん! 謝ってくれないとこれぶつけますからね!」
「はいはいごめんごめん」
「誠意が感じられません! そんなんじゃもう友達やめちゃいますよ!」
「えっ……アタシとあんたって友達だったの?」
「当たり前じゃないですか! 友達の友達は友達に決まってます!」
途端に操々が息を詰めたように口を結んだ。
おそらくは嬉しいのを堪えている顔である。嬉しくはあれど、聖女様に弱味を悟られたくないのだろう。
「ふ、ふ~ん。そっか。そこまで言うならアタシも友達になってあげてもいいけど……?」
「そうですね! じゃあ仲直りしましょう!」
ぱっと笑顔になった聖女様が、頭上に掲げていた水球をその辺にぽいと投げ捨てる。洞窟の岩壁にぶつかって、魔物除けの水の飛沫が散り――
「あちちっ!」
わしは跳びはねた。
かかってきた水飛沫が思った以上に熱かったのだ。
「もう聖女様。熱湯ならもうちょっと扱いに気を付けてくれんかの。火傷するかと思ったわい」
「そんな危ないことしません。熱湯じゃなくて普通の温度ですよ?」
「え?」
わしは水にぬれた岩壁を振り返る。既にそこでは、アリアンテがしゃがんで指先に水の温度を確かめていた。
「レーヴェンディア。これが熱く感じたのか?」
「えっと……お主は熱く感じないの?」
「少し冷たいくらいだ」
そう言うと、アリアンテは指を弾いてわしに水の飛沫を飛ばした。わしの鱗に触れると、やはり熱湯のような刺激が走る。
「オマエ、魔物ニナリカケテル」
一瞬の沈黙の後に、狩神様が心配そうな声で告げてきた。
魔物除けの水でダメージを負うというのは、まさにそうとしか考えられない。
「狩神。操々。聖女。ここでレーヴェンディアに異変がないか監視していてくれ」
アリアンテが焦った様子で、昼寝中のレーコの方に歩き始めた。
「悠長にはしていられん。レーコを借りるぞ。あの娘の能力で、今すぐ偽眷属の手がかりを探してくる」




