使えないプレゼント
地平線の先が夜明けに白み始める頃、わしは死を感じた。
草原を羽ばたく蝶は黄泉への道案内だろうか。
わしは5000年の生涯の終わりをいよいよと感じ、柔らかな草に埋もれながらゆっくりと目を閉じた。
「オキロ!」
「んぎゃあっ!」
ところが、鞭で叩かれて安らかな往生は妨げられる。
瞼の裏に見えていたお花畑は一瞬で遠ざかって、気づけばまた夜明け間際の草原だ。月はすっかり色を薄めて空に漂っている。
「一晩カカッテ、兎スラ狩レントハ。ココマデニブイ猟犬ハハジメテダ」
「だってしょうがなかろう。わし猟犬じゃないし、それに意味もなく狩るなんて兎がかわいそうじゃろう」
まあ、本気で走っても小動物にすら追いつけなかったのは事実だけど。
「マアイイ。基礎ハ教エタ。アトハ、オマエシダイ。死ニタクナケレバ、ツヅケロ」
「毎日こんな徹夜の運動してたら、それはそれでわし死ぬと思うんじゃけど」
しかもレーコの目を盗んで敢行するのは至難の業だ。
ため息をついて今後の苦難に思いを馳せていると、狩神が背中を降りてぽんぽんとわしの頭を優しく叩いてきた。
「ダイジョウブ。キット、ナントカナルヨ。ガンバッテ」
「やっぱりお主って完全に二重人格よね」
「ボク、スッキリシタカラ、ソロソロ、カエルネ」
「体のいい玩具にされてしまった気がするの」
狩神はずっと没収していた薬の小樽を地面に置き、わしに向かって握手を求めるように手を差し出してきた。
もはや手を伸ばす体力も残っていなかったわしだったが、それでも律儀に狩神は手を差し出したまま待っていた。
なんとか身を起こして片腕の爪先を触れる。
「オミヤゲ」
狩神がそう言うなり、彼の身体を形作る黒い霧の一部が、わしの手にふわりと纏わりついた。
やがて霧はすぅっと腕に吸い込まれていき、見えなくなる。
「え? 何したのお主?」
「ブキ」
「武器? ああ、そういえばお主も黒い霧の弓矢とか持っとったけど――」
「爪ニチカラ、イレテ」
「こうかの?」
ふんっ、と力んでみる。
すると狩神の言ったとおり、わしの爪を上から覆うように黒い霧が出現した。
――ただし現れた霧の爪の長さは、ハエ一匹分にも満たない。
切れ味を確かめようと地面を掘ってみると、元の爪と大して変わらないぐらいの鈍い掘り心地だった。
てんで使えない。
事実上、爪の長さが小虫一匹分伸びただけである。
「アッ……」
狩神も何か言葉を失っていた。
彼に表情はないが、言いたいことは分かる。この武器はきっと使う者が使えば強いのだろう。
ここまで残念な代物になってしまったのは彼としても初めての体験に違いない。
「……エエト……ガンバッテ……」
斜め下に(目はないけど)視線を落として、狩神は逃げるかのように姿をかき消した。
なんだろう。すごく申し訳ない。
どっと疲れが出て、わしは腹這いに倒れ込んだ。地響きが鳴って、周りの草から小鳥が一斉に飛び立つ。
うとうとしてくる。
このまま朝日を浴びながら眠りに――
「邪竜様!」
遠くからレーコの声がしてわしは全身で跳ね起きた。
怯えながら周囲を見渡すと、遥か地平線の先からレーコが全力疾走してきていた。
速い。まるで風が人の形をとったかのように、重みを感じさせない軽やかな走りっぷりだ。
まばたきを三度もする間に、レーコは飄々とわしの前に辿り着いた。
「ただいま戻りました。街の警備兵もじき到着します」
「あ、お疲れ様」
「とんでもございません。この程度の遣い、息をするよりも容易いことでございます。ところで邪竜様……見たところ、お疲れの様子ですが」
わしは身をこわばらせた。
いけない。スパルタ指導で疲れ果てたなんてことがバレたらレーコはきっと幻滅してそのまま暴走してしまう。
「いや、違うのよ、これはね」
「――やはり、あの時の古傷が疼くのですか」
「どの時の傷じゃろ」
そんなの初耳だけど。
「かの神魔大戦で千の敵を斬り抉り――」
ただの筋肉痛に対する解釈のスケール感たるや。
わしは「まあそんなとこ」と言葉を濁して、ようやく警備兵たちの馬が駆けてくるのを見た。
「おつかれさーん。こっちじゃよー」
疲れてほとんど動かせなくなった腕の代わりに、尻尾を振って誘導する。
が、騎兵たちは唐突に手綱を引いて馬の足を止めた。そして誰がともなく呟いた。
「邪竜レーヴェンディア……」
あ、いかん。
疲れて薬を飲み忘れとった。
レーコが「バレてしまってはしょうがない」とノリノリの口上を始めようとしたので、それだけは何とか阻止できた。




