魔王をも倒す邪竜
まず静寂を破ったのは、耳をつんざくほどの雷轟だった。
首都の全域を呑み込まんとするほどの雷光が雷雲の中で輝き、今にも落ちんと魔力を迸らせる。
「もはや手加減は不要! 正真正銘、吾輩の全力で挑ませてもらう! 今こそかつての決戦の続きを!」
たとえレーコでも防御できるか分からないほどの攻撃である。
その雷が降り注ごうとする中心――焔華は手を上空に向かって差し広げた。
「再戦だリベンジだってうるせえけどな……決まってんだろうが。てめえの方がアタシなんかよりずっと強えよ。雷剛鎧」
焔華のその呟きとともに、地表より赤い光が噴出する。焔のごとき煌めきをもつその光は、街を襲わんとしていた影の魔物の群れを瞬時に焼き尽くしていく。
しかし、焼かれていくのは魔物だけだ。
人や家屋は一切が無傷のままに、ただ害なすものだけを焼き払っていく。
「こっちは必死なんだよ。てめえみたいにお気楽な馬鹿と一緒にすんな」
残り何秒だろうか。既にもう三秒もないはずだ。
わしがそう思ったとき、最後の衝突が起きた。
天より注ぐ光瀑と、地より噴きあがる焔光が、まったくの同時に炸裂した。
すべての音は置き去りにされて無音。
銀の雷光と赤熱の焔光が首都の上空で混ざり合い、拮抗して弾け、まるで極光のような煌めきを放つ。
「よいぞ! これこそ吾輩の望んだ決闘だ!」
歓喜の声とともにガラスの割れるような音が響いた。
ぶつかりあって相殺された大量の魔力が光の粒子になって砕け散り、星屑のごとく辺り一帯に散っていく。
その星屑の中を、拳を握ったヨロさんが一直線に突っ切って飛んでくる。
「さあ焔華よ、決着といこう!」
しかし、その拳が向かおうとする焔華は俯いていて応戦の構えを見せない。まさか、既に時間を使い果たしてしまったのか。それとも先ほどの魔力の撃ち合いでダメージを負ったのか――
「……ったく、そういうとこがウザくて面倒だっつってんだろ。この――」
俯いた棒立ちに見えた焔華は、飛来したヨロさんの拳を頬に掠めるだけでかわした。
機敏にして最小限の動き。
そして高速のすれ違いざまにヨロさんの胸部へと自らの拳を吸い込ませる。極度の緊張で引き伸ばされた時間感覚は、その決着の一瞬をわしの目にもどうにか捉えさせた。
「馬鹿野郎が」
ヨロさんの胸部を穿った拳から、一筋の焔光が放たれた。
ヨロさんの胸を貫いた光は上昇をやめず、空に突き刺さって首都上空の雷雲を一瞬で消滅させて青空へと塗り替える。
もはや五秒は確実に過ぎた。
最後の攻防を終えて立っていたのは――
「見事だ。やはり貴様はそうでなくては」
胴体に風穴が空いてなお、ヨロさんは平然と立っていた。
一方、焔華はもう飛ぶのもやっとといった様子で肩を上下させている。
「うっせえな、勝負の最中に余裕ぶって相手を褒めてんじゃねえよ……」
「いいや。もう勝負は付いた」
「ああ、そうだな」
と、予想外の事態が起きた。
ヨロさんの身が突如として重力を取り戻したかのように、空から地へと落下していったのだ。
「よ、ヨロさん!」
なぜか反射的にわしはヨロさんに向かって飛んだ。
かなり重いヨロさんの身を前脚で抱え、翼で着陸に向けて羽ばたきを――
ぽんっ、と。
「ありゃ?」
どうやらわしも分け与えられていた魔力が底をついたらしい。地面に向かって降下しようとしたところで、背中から翼が消え失せた。
「んぎゃあぁ――っ!?」
あまりにも急な落下にフォローも間に合わない。黒爪をクッションに変形させる間もなく、
自由落下の勢いのまま、わしらは石畳を砕いて地面に落下した。
だが、わしは無傷だった。
ヨロさんがわしを担いで、その両足でしっかりと着地したからである。
「ヨロさん……?」
「すまなかったな、竜。そして安心しろ。この勝負、吾輩の負け――」
「てめえの勝ちだよ。雷剛鎧、いや。今はヨロか」
満身創痍らしくフラついた仕草を見せながらも、焔華がわしらを追って地面に降りてきた。
「何を言う。先の攻防でもう決着はついた」
「正々堂々の勝負ならな。さすがにさっきの魔力のぶつけ合いでアタシも気付いたよ。てめえ、とっくの昔に消耗しきってんだろ」
消耗?
わしの理解が追い付く前に、焔華は肩で息をしながら言葉を続けた。
「さっきアタシが焼き払うまで、そこら中で魔物が大発生してたろう。でも最初からおかしかったんだ。あれだけ大惨事だったのに、『誰一人死んでない』ってのが神としての感覚で分かったからな」
「教会の人たちとか聖獣の動物たちが頑張ったからではないの?」
「そりゃあこの首都だけだろ。特に聖獣なんかあんたの眷属のちびっ子のパレード未遂でほとんど全部ここに集まってたからな。他所の街は無防備に近かった。なのに誰も死んでない。それでさすがに気付いた」
焔華は詰るようにヨロさんを指差した。それから上空にも指を向ける。
「さっきまで国中に雷雲が広がってた。ってことはヨロ。てめえ、アタシと戦いながら他所の魔物を始末し続けてたろ? 並行しながら何百発撃った? それとも何千発か?」
「ちょ、ちょっと待って! そしたらヨロさんは、魔物の大発生から人間を守ってたのかの……?」
「勘違いするな」
ヨロさんは胸の風穴を塞ぐように腕を組んで見せた。
「何度も言ったであろう。神の魔力源はこの国の者どもだ。それを一人でも害せば、万全の状態での決闘ができなくなる。そのような愚を犯すのは吾輩の本意ではない」
「そのためにてめえが見る影もないほど消耗してちゃ話にならねえだろうが」
「吾輩が弱るのは構わん。気力でカバーすればいいだけの話だからな。しかし相手が弱っているのだけはどうにも我慢ならんのだ。こればかりは個人の好みの話だからしょうがない」
えへんとヨロさんは鼻で息を吹いた。それから少し笑った。
「――どうやら目は覚めたようだな。焔華よ」
ヨロさんは大聖堂の方から駆け寄って来る枢機卿にも目を向ける。
「この地は貴様の国だろう。貴様が腑抜けていてどうするのだ。いくら重かろうが歯をくいしばって背負え。それが崇められる者としての責務だろう」
「……ああ。悪かった。世話かけたな」
「うむ。だから今回は吾輩の負けということにしておくぞ。そして負けたからこそ、また再戦を挑む機もあるというもの。次を早くも楽しみにしておこう」
ここでヨロさんが自身のマントを取り外した。
レーコをどこかに飛ばしたあのマントだ。
「そうじゃヨロさん。レーコは」
「感謝するぞ、竜」
尋ねかけたわしの先を制してヨロさんは言葉を放った。
「焔華が腑抜けたまま目を覚まさぬことも考えていたが……お前のおかげでそうはならなかった。吾輩を前にして足掻いた奮戦、見事だったぞ。吾輩を相手にあれだけ臆せず立ち向かった者は今までに片手の指もおらん。見事な勇姿だった」
「そ、それは買いかぶりすぎじゃよ。わしは正直めちゃくちゃ臆しとったし、ただ逃げ回って時間稼ぎをしておっただけじゃし……お主と戦ってきた人たちとは比べ物にならんほど弱いじゃろ」
「ああ、はっきりいって吾輩と戦ってきた戦士たちと比べれば、蟻んこ同然の弱さであってな。わはは」
褒めたと思いきやの快活な掌返しにわしは呆気に取られる。だが、すぐにヨロさんは笑いを収めた。
「だからこそ、なお讃えよう。己が力を頼りに蛮勇を振るうのは容易い。だが、力もなしに勇気を奮い出すは、本当に強い者でなければできんからな」
そう言ってヨロさんはわしにマントを手渡した。
「貴様と共にあるレーコという娘――あれは今、仮面の魔物と戦っている」
「に、偽眷属さんと!?」
「ああ。吾輩が焔華の目を覚ます間、他にあれを足止めできる者はおらんからな。だが、貴様の娘はあれを相手に勝つことは難しいだろう。だから、貴様が助けに行け」
「わしがレーコを助け……? しかしヨロさん、わしはレーコよりずっと弱」
ヨロさんがわしの頭に掌を乗せた。
「あの娘は力はあるが弱い。貴様は、力こそなかったが――確かに強かった。他の誰が認めずとも、この吾輩が保証する。並び立てばあのような仮面の魔物ごとき敵ではあるまい」
そこでついに精魂尽き果てたかのように、ヨロさんは地面に片膝を付いた。見れば口の端には微かに血も流れている。
「ヨロさん!」
「そろそろ限界か……だが心配するな。吾輩は何度でも復活する。そうだ竜よ、今度はお前もリベンジの対象にしておこう。焔華と共闘とはいえ吾輩を倒したわけだからな」
「えっ、それはちょっと遠慮願いたいんじゃけど」
「はは。冗談に決まっていよう」
ヨロさんの身体がじわりと薄れていく。彼の鎧に付随していたマントも同様だった。急かすようにヨロさんはマントを揺らす。
「さあ、あのいけ好かん仮面野郎をさっさと倒してこい。竜――いいや」
僅かに笑んでヨロさんがかぶりを振る。
「魔王を倒した邪竜。レーヴェンディアよ」




