このストーカー野郎
「レーコが戻ってこないって……ヨロさん、それはどういうことじゃの」
「言葉通りの意味だ。現に今、ここに駆けつけてこないのがその証拠だ」
確かにヨロさんの言葉は痛いところを突いていた。
いつものレーコのトンデモぷりならば、とっくの昔にこの場所へと舞い戻ってきているはずである。だというのに、今に至るまで戻って来ないということは――何かしらの異常が発生していると見た方が妥当だ。
「で、でもレーコは無事なんじゃよね? 危ない場所に送ったりなんかしておらんよね?」
「他人よりもまずは自分の心配をするがいい、竜よ」
宙に浮かびながらヨロさんが掌をこちらに向ける。掌から散る紫電は今にも放たれんとする雷撃の予兆を思わせる。
「よもや吾輩に太刀打ちできると思っているわけではないだろう。巻き添えになりたくなければ、焔華を置いてどこへなりと去るがいい。弱者を悪戯に害するのは吾輩も望むところではない」
わしは背中をそっと振り向く。
リアは精霊さんを宿したまま、呑気そうな表情を浮かべている。
「あのー……確かにわしはお主と戦ったりするつもりは万に一つもないんじゃけど、少しだけええかの?」
「何だ」
「弱者というなら、このリアさんもそうではないのかの? 元は焔華さんと同一人物なのかもしれんけど、あの荒っぽい神様とはまったく別人格のようじゃし……」
「たとえ人格が異なろうと、吾輩を破った神と同一の存在であることに違いはない。追い詰められれば真の力も発揮するだろう。さあ」
ヨロさんはわしに着陸を促すように地を示す。
「二度は言わん。焔華を置いて――……?」
ヨロさんの言葉は尻すぼみに聞こえた。向こうが言い淀んだのではない。
わしが全速力で明後日の方向にぶっ飛んで逃げていたからである。
「待て。吾輩がせっかく忠告してやっているのになぜ途中で逃げる」
が、逃走は失敗。あえなく空中で尻尾を掴まれ、わしの加速は急ブレーキがかけられた。
「す、すまんの。わしって飛ぶのになれておらんから勝手に翼が動いてしまうことがあっての……」
『ソンナコトナイ。オマエ、チャント動カセテル。自信モテ』
「狩神様。このタイミングでそのフォローはちょっと悪手じゃと思うよ」
わしと狩神様が言い合うのをしばし見てから、ヨロさんは静かに言う。
「茶番はやめろ。いくら時間を稼ごうが、あの娘は来ないと言っているだろう」
「いやいや時間稼ぎだなんてそんな。あ、ヨロさん。いい酒場があったんじゃけど今から一緒に呑みにいかないかの? 奮発してわし奢っちゃう」
「清々しいほどの時間稼ぎであるな……とにかく、この体勢からは逃げられまい。焔華は貰い受けるぞ」
ヨロさんがわしの背に座るリアへと手を伸ばしてくる。咄嗟にわしは叫んだ。
「精霊さん! 『吐いて』くれるかの!」
『土砂崩るる』
この状況でもできるかどうか半信半疑だったが、結果は吉と出た。
精霊さんの口から岩塊が怒涛の勢いで吐き出され、手を伸ばしてきたヨロさんを呑み込む。いつぞやシェイナと一緒に操々と戦ったときに使った技だ。
さっきの短距離ダッシュで採石場の真上まで逃げていたのが幸いして、眼下にも被害はない。
これでまた少しは時間を稼ぐことが――
「砂煙ごときで吾輩を撒けると思ったか?」
できなかった。
大量の岩塊を浴びせられてなお、ヨロさんはわしの尻尾を離すことなく平然と浮かんでいた。その鎧には傷跡の一つもない。
「え、えっとね。今のはちょっと精霊さんがゲップをしただけで……」
「もういい」
その瞬間、ヨロさんの手が青白く輝き――
「あばばばばっ! し、じびれるっ!」
「心配するな。これ以上悪足掻きができぬよう、軽く痺れていてもらうだけだ」
事実、この電気ショックを浴びただけでわしは力尽きてぶらりとヨロさんの手にぶら下げられる形となった。リア(に宿った精霊さん)は、どこか楽しそうにわしの角に掴まっている。
ヨロさんはそれを奪い取ろうとして――
「む?」
わしは黒爪を縄状に変形させて、リアの身をぐるりと巻き取った。奪われないよう、最後の力を振り絞った抵抗だった。
「なぜそうまで必死に庇う、竜よ。こいつはお前などよりずっと力を持った存在だぞ」
「そうは言っても……戦いたくない子を無理に戦わせるのは酷いじゃろう」
「しかし、お前にとって焔華は赤の他人だろう。そのためにここまで大立ち回りができるほどの度胸がある奴には見えなかったが」
黒爪を必死に引きながら、わしは自分でも漠然としていた理由を考える。少しでも時間稼ぎになればと思いながら。
「……なんとなくの。レーコに似てる気がしたのよ」
「あの娘は好戦的であろう」
「それはそうじゃけど。でもね、焔華さんは自分の力で国を壊してしまうのを怖がってるんじゃろ? レーコもね、あの子も……」
息切れしてわしは言葉を途切れさせる。
レーコはまだ、自分で自分の力を制御することができない。アリアンテ曰く「邪竜という拠り所」がなければ己の力に呑み込まれて暴走してしまう。実際にそうなってしまったことすらある。
あの子も心の奥底で、自分の力と戦っているのだ。
だからどうしても、今回の件も他人事とは思えなかった。
「だけどわしは信じておるのよ……レーコはきっと来てくれるって。あの子は本当にすごい子じゃから。だからねヨロさん、わしは最後まで諦めんよ」
「そうか……」
残念だ、とヨロさんが呟いた。
「弱者をいたぶる趣味はないが、敢えて敵対する者に容赦はできん。せめてこの吾輩に歯向かった者として覚えておくこととしてやろう」
ヨロさんが雑な仕草でわしを宙に放り投げた。リアに撒いていた黒爪もあっさり振りほどかれ、わしはヨロさんの頭上を舞う。
こちらに向けられているのはヨロさんの掌だ。今のも雷撃を放たんと膨大な魔力を纏っている。
「竜。せめて苦しまんように葬ってやる。さら――ばっ!?」
そのとき、わしの眼下でヨロさんが吹き飛ばされた。
並大抵の一撃ではない。ヨロさんの兜にぶつかった拳の衝撃が大気の輪になってはっきり見えたほどである。
その拳を放ったのはレーコ――ではない。
「……悪かった、爺さん」
落下するわしの身を受け止めたのはリアだった。
だが、言葉遣いが今までと違う。精霊さんを宿していたときの金髪から、今はじわりとマグマのごとき灼熱の色に変貌しつつある。
いいや、髪の色だけではない。身の丈までもが伸長し、幼げな子供から凛々しい女性へと変貌していく。
「アタシが腑抜けてた。しっかりこの落とし前は付けるから、許してくれ。でもその前に何よりも」
焔華は宙を吹き飛ばされたヨロさんに向き直った。少し離れたところで踏みとどまっていたヨロさんは、拳を握って溌剌としている。
「おお! やっと吾輩と戦う気に――」
「クソ鎧! しつっこいんだよ! このストーカー野郎がぁ――――っ!!」
ヨロさんの胸に特大の言葉の矢が刺さったのをわしは見た。




