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狩りの神


 よくよく考えたら、あの場でずっとレーコを待つわけにはいかなかったのだ。

 なにしろ、身体を縮める若返り薬は、他の荷物と一緒に盗賊のアジトに置いたままである。

 あの場で夜を明かそうとしていたら、いきなり身体が元のサイズに戻って、洞窟に収まりきらず落盤を起こして生き埋めになるところだった。


「ほんと、安全な洞窟でよかったわい。ええと、こっちを右じゃったの」


 記憶力はそれなりに自信がある。

 いざとなれば引き返せるように、苔を削って地面にマーキングもしてある。

 本を持ってくるのが一番確実だったが、あの本は入口から動かさないのが暗黙のマナーだろう。もしいつか別の人間が落ちてしまったとき、あの案内書があるだけでどれだけ安心できることか。


「そんでこっちを左に曲がって――最後の部屋をまっすぐ抜ければ地上までの盗掘路と」


 何ら手違いなく道筋を辿っていくと、ぬかるんでいた地面が唐突に硬い感触になった。

 盗掘路のちょうど手前。

 地図に記されていた唯一の「部屋」と呼べる広めの空間は、床から壁、天井に至るまでがすべて均一サイズの石のブロックで築かれていた。


 石室というやつか。

 古代の王族の墳墓がこのような造りであったと聞いたことがある。


 わしは言い知れぬ不気味さを覚えた。

 石室の至るところには、弓矢や槍を持った男たちが草原の獣を追い立てる壁画が描かれている。


「さっさと出よ」


 ここはわしのいていい場所ではない。直感的にそう思って、足早に部屋を通り過ぎる。盗掘者の手によって石のブロックが崩された一角を抜ければ、すぐに地上までの上り坂だ。


 そのとき、二つの出来事が同時に起こった。

 一つ目はわしの足に付いていた苔が石室の平坦な床で潰れて、盛大に滑り転んだこと。


 そしてもう一つは、転んだわしのすぐ頭上を掠めて、凄まじい勢いの矢が通過していったことである。


「……は?」


 石室の壁に、黒い矢がざっくりと深く突き刺さっている。

 あれがもし当たっていたら、わしは入り口に転がっていた獣の骨と同じ運命を辿っていただろう。


「わ、罠か。危なかったわい。いやあ幸運じゃった。あと一歩というところで死んだらいかん」


 しかし、違和感を覚える。

 あの案内書には「子供が遊び場にしている」とすら書いてあった。矢を放つ罠があるような場所で子供を遊ばせるだろうか。


「……冒険者の子供っていうのはすごいんじゃの。小さい頃からこんなので修行するんじゃなあ」


 強引にそう解釈してから、わしは矢の放たれた方を敢えてにこやかに振り返った。

 そうとも。だって、罠じゃなければもっと恐ろしい。


 罠じゃなければ、誰かがすぐ傍で矢を撃ったことになるじゃないか――


「エモノ、狩ル」


 不安的中。なんかいた。


 黒い霧が密集して人間の形になったような異形の存在。そいつが、同じく黒い霧で構成された弓矢を構えて、きりきりとわしに向けて引き絞っていた。


「いやぁあああああ――――――っ!! 出たぁ――――っ!!」


 わしは半狂乱で逃げ出した。逃げ出すなり、今までいた床に「ずだんっ!」と矢が突き刺さる。

 地下迷宮に引き返して、右へ左への逃走を繰り返す。

 袋小路に突き当たって、わしは息を殺しながら肩を上下させる。


 ――そういえばわしって、獣じゃん。


 しくじった。今になって案内書の警告文を思い出した。

 あれはきっと、ここに祀られている狩りの神なのだろう。わしのことを捧げられた動物だと勘違いして、狩りの獲物にしようとしているのだ。


 どうしよう。こんな陰気なところで死んでしまうなんて。最期はせめて日の当たるところがよかった。


 必死に耳を澄ませても化物の足音一つ聞こえない。

 だが、あの黒い霧のような不気味な姿がいつ目の前に現れるかと想像するだけで、わしの精神はゴリゴリと削れていく。


 考えろ。

 あんなのと戦っても勝てるわけはない。なんせ神様だ。戦闘用に訓練された冒険者の使い魔すら狩ってしまう存在なのだ。

 わしなんてあっさり生贄にされてしまってお終いではないか――


 生贄?

 ちらりと頭の中でレーコの顔が思い浮かぶ。


(狩りの神様かぁ……)


 仮にレーコが同じ境遇だったらどうするだろう。まあ、いざとなればいつもの通り強硬手段であの神様すら返り討ちにするのだろうけど、もし生贄としてわしのところに捧げられたのと同じように、ここに送られたのだとしたら。


 死んでしまうだろうか?

 否。

 レーコが素直に生贄にされる絵面を想像できない。たとえ魔力を覚醒させずとも、だ。


「どうせ死ぬだけじゃ。やってみるかの」


 わしは死の覚悟にため息をついて、ぴしゃりと水音を立てつつ袋小路から出た。

 そして洞窟中に響くように叫んだ。


「おぉーい、狩猟の神様殿! わしは貴方様の生贄として捧げられた駄竜にございます! さあ、どうぞいかなるようにもお喰らいください!」


 地面に背中を付けて四肢を開き、完全に服従のポーズを取る。

 その姿勢を取るなり、どこからともなく放たれた矢がわしの顔のすぐ横に突き立った。


 それでもわしは動かない。

 まあ実際、動きたくてももう腰が抜けて動けなかったのだけれど。


 洞窟の中には、きりきりと次の弓を引く音だけがこだまする。


「わしは逃げも隠れもしませぬ。偉大なる狩猟の神である貴方様の弓にかかるなら本望というもの。さあ、慈悲があるならば我が心臓を射抜いてくださいますよう願います」


 レーコならそう言うであろう台詞をシミュレーションする。思った以上にスラスラと出てくるのが自分でも何か嫌だった。

 永遠とも思える数秒がそのまま経過する。

 いつの間にやら弓を引く音は消え、代わりに地面を踏む水音が近づいてきた。


「オマエ、ニゲナイ?」


 ぬっ、とわしの顔を覗き込んできた黒い霧の化物に、わしは気絶しそうになる。

 

「に――逃げませぬ。わしの命は既に貴方様に捧げたものですゆえ」

「オマエ、ヘン」


 やっぱりあなたもそう思いますか、とわしは異形の神に共感した。


「マッテロ」


 すたすたと黒い霧の神様が背後の通路に戻っていき、しばらくして戻ってきた。

 その手には水をたっぷり吸わせた苔が乗っている。


「チョット、アタマヒヤセ。オマエ、ツカレテル」




 久しぶりに触れた優しさに――わしはとうとうその場で声を上げて泣いた。

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