分断作戦……?
「ありがとうの精霊さん。また助けてくれて……」
『山浮かぶ』
わしの背中に跨っているのは、リアに憑依した精霊さんである。いつぞや精霊さんから魔力の手助けを受けて空を飛んだことがあったが、この憑依状態でも同じことができるかは賭けだった。
失敗していたらそのまま尖塔の頂上から落下していたことを考えると、いまさらながらに寒気がする。
しかし、そんな寒気もすぐ吹き飛ぶほどの威圧感が目の前にあった。
「あの、ヨロさん……話を聞いてもらえるかの?」
半壊した塔の中で、じっとこちらを見ているヨロさんである。目まで覆う兜のせいでどんな視線は分からないが、ひしひしと感じる重圧は明らかに穏やかなものではない。
「なるほど……。なかなかの度胸だな、竜よ。貴様が焔華に代わって吾輩との決闘を受けるというわけだな?」
「いやいや。買いかぶりじゃってヨロさん。わしがそんな大それたことをできると思う?」
「む、違うのであるか?」
「そうそう。今はそういう物騒な話じゃなくてね、もっと大事な話をすべきだと思うのよ」
そう言いつつも、わしは何も言い訳を考えていなかった。
しかし、大事なのは一秒でも時間を稼ぐことである。仮に世界の果てに飛ばされようが、レーコなら数十秒もしないうちに高速移動なり空間転移なりでここに戻ってくるはずである。
レーコがいれば何とかなる。ヨロさん相手に勝てるかどうかは分からないが、逃げるだけならそう難しくない。
今は信じて待つしかない。
「ええっとの、ヨロさん。神様……焔華さんじゃっけ? その人にも気分とか都合とかあるじゃろ。なにもここまで急がなくてもいいんじゃないかの?」
「だが、吾輩がいくら待とうと戦うつもりはないのであろう?」
ヨロさんの指摘は的を射ていた。
「吾輩もすべて聞いた。焔華は火山と一体の神ゆえ、全力を振るえばこの国を滅ぼしかねん。故に戦いを忌避しているとな」
「聞いたって、誰から――」
「あの仮面の魔物だ」
わしは目を剥いた。ヨロさんはあの偽眷属を嫌悪していたのではなかったか。
「い、いかんよヨロさん! あの偽眷属が何を企んでおるかは分からんけど……たぶんそんなことを教えたっていうことは、ヨロさんと神様を戦わせようとしておるのよ! 思う壺になってはいかんよ!」
「ああ、実にいけ好かん話ではある。吾輩とてこんな形での決闘は不本意極まる。しかし――言ったであろう。悠長なことは言ってられんとな」
ヨロさんが塔の端から眼下の街を指差した。
そこに広がっていたのは、さきほどまでの平穏な街ではない。
「あれは……?」
街のあちこちに、墨でできた水溜りのような黒い穴が浮かび上がっていた。いいや、街の内側だけではない。城壁の外――平原のあちこちでも、斑模様に黒い吹き溜まりが湧いている。
そしてその黒い穴から、這い出すように何かが地へ登ってくる。
――魔物の群れだ。
正しくは魔物に「なりかけ」の魔力の渦とでもいうべきか。明確な形をもたない不定形の黒い影が次々と穴から噴き上がり、百鬼夜行の列を織りなしつつある。
「吾輩もどういう事態かは分からんが、あの仮面が仕込んだことであろう。国中で魔物が大発生している。このままでは神の力の源泉――民衆どもが全員呑まれてしまう。そうなっては決闘もできなくなる。勝負を付けるならば今しかないのだ」
「何を短絡的なことを言っておるの! ヨロさんも一緒に協力してこの事態を収めればええじゃない! レーコも呼び戻してね……ヨロさんとレーコが一緒なら、あの偽眷属だって倒せるじゃろ?」
見下ろす街の中では、レーコが引き連れてきた国の守護聖獣たちが駆けまわって魔物を討伐していた。
彼らのおかげでこの首都では安全がまだ保たれているようだったが、見果たす限りの国土すべてでこの大発生が起きているとしたら、とても聖獣だけでは対処が足りないだろう。
「ねえヨロさん。お主は魔物じゃけど、決して悪い人ではないと思ってるよ。わしは見る目だけには自信があるから」
悪くない魔物というのも妙な響きだが、実際にわしはそういう存在と何度か会ってきた。
たとえば人を沈めようとして養分たっぷりの泥を作ってしまう水魔とか、友達が欲しいばかりに料理の腕を磨く生き人形とか。
ヨロさんもきっと、その類だと思うのだ。
「そうか、竜よ。見る目がある――か。吾輩をずいぶん見込んでくれたようだな。嬉しく思うぞ」
「うん。じゃから一緒にこの場をね」
「だが、吾輩は魔王だ」
ヨロさんが放つ雰囲気が一瞬にして莫大な闘気を帯びた。
地が揺れ、紫電を散らす雷雲が空の果てまでを覆い尽くす。
「そう甘い存在と思われては困る。ここで吾輩が国を救おうと、焔華は決して決闘に応じまい。吾輩が望む誇り高い決闘は永久に叶わん」
ヨロさんが塔の端を飛び立ち、ゆっくりとこちらに向かって浮上してきた。近づくだけで肌が焼けそうなほどの圧迫感がある。
「選べ、焔華。ここで吾輩と戦って自ら国を滅ぼすか、それともこのまま魔物に滅ぼされるのを良しとするか」
精霊さんを憑依させたままのリアは、当然のごとく反応しない。
迫るヨロさんを前に、わしは息を殺して背中に展開した黒爪――『疑似・影なる双翼』に意識を集中する。気絶しないギリギリの最高速度はレーコとの実践経験をもって学習済みだ。
逃げ切れるとは思わない。
だが、その逃走が数秒を稼いでくれる可能性はある。
「精霊さん! しっかり掴まっとっておくれ!」
『了』
翼をはためかせて、全速力でヨロさんと反対方向に飛翔した。普通の魔物なら十分に置き去りにできるほどの速度だ。
「この期に及んでそんな悪あがきをするとはな」
だが、相手は魔王だ。まるで普通に歩くかのような気楽さで、あっという間にわしに並んで飛んできた。
「無駄な庇い立てをするな、竜。これ以上の邪魔をするようであれば、吾輩も貴様を敵とみなすぞ」
『あっそ。アタシは既にそっちを敵とみなしてるけどね。アタシの友達のレーヴェンディアに何してくれてんの……?』
わしの翼から声が発せられた。黒爪を介した交信――操々だ。
次の瞬間、黒爪から投網のごとく糸が放たれヨロさんをぐるぐる巻きに絡めとった。
『はっはぁっ! いいよね!? このまま八つ裂きにしちゃっていいよねレーヴェンディア? だってあいつから手を出したもんね……? そのくらい当然の仕打ちだよね……?』
「後半にいくにつれトーンが暗くなっていくの怖いからやめてくれんかの。っていうか」
ぶちぶちと音を立てて、ヨロさんは魔力糸を普通に引きちぎっていた。
『え……何あれ。かなり強めに攻撃したつもりだったんだけど』
「えっとの。控えめにいってレーコと同じくらい強い相手じゃと思ってもらえれば」
沈黙。
しばしの後に、操々から静やかな言葉が告げられる。
『ねえ。もし死んだらアタシも後を追ってあげるから、来世で会おうね……?』
『冥福ヲ祈ル』
「何を諦めムードになっておるのぉ! 狩神様まで!」
と、わしは抗議を叫びながらも横目でヨロさんの様子を窺う。
この会話の間、ヨロさんは律儀に浮遊して待ってくれていた。取り込み中に横入りするのは彼の流儀に反するのだろう。
チャンスだ。この調子で会話を長引かせていれば――
「竜。もしあの娘を待って時間稼ぎをしているのなら、やめておけ」
図星を突かれたわしは、思わずヨロさんを振り返った。
同時にヨロさんが指を弾く。その一鳴りで無数の雷が降り注ぎ、あらゆる逃げ場を塞ぐように首都を包囲する。
柱のごとくして絶え間なく落ち続ける雷は、まるで天から伸びた牢獄の柵のようだった。
「いくら待とうが、あの娘はここに戻って来ない」
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同刻。
レーコは黒い斑に覆われた平原の上で、短剣に魔力を漲らせていた。
「やはりグルだったというわけか、貴様ら」
旧代魔王の手によって転送された、首都から程離れた平原。そこでレーコを待ち受けていたのは、×印の仮面に黒衣を纏った――
「やれ。言いがかりはよしてもらいたいものですね」
邪竜様に仇なす憎き敵。偽眷属だった。




