地下遺跡のさらに地下で
薄暗い地の底で目が覚めた。
落とし穴に嵌ったときは死を覚悟したほどだったが、身を起こしてみれば意外なほど身体の痛みはない。
気絶していたのは精神面のショックが大きかったようだ。
落ちてきた穴を見ると、垂直落下のものではなく、どうやら長い滑り台のような形になっている。斜度がきつい上に斜面の石材はつやつやに磨かれており、よじ登ることは手に吸盤でも付いていない限り不可能と思えた。
「……まずいの」
前方に広がる地下空間は、先の見えない隧道となっている。
壁面には光を放つ苔が生えていて、それが天然の照明の役目を果たしていた。天井からは絶え間なく雫が垂れていることからして、草原に降った雨が流れ込む地下水脈を利用した通路なのかもしれない。
出口の手がかりはないか――そう思って一歩を適当に踏み出したとき、何かを「ぱきり」と踏んだ。
骨だった。
「……おんわっ!」
わしは間抜けな悲鳴を喉に詰まらせて、猛烈な勢いで後ずさって壁にぶつかった。
ドキドキする心臓を深呼吸で宥めつつ見れば、どうやら獣の骨のようだった。馬や羊などの四足獣の形をしている。
「この洞窟に迷い込んで落ちてしまったんかの……? かわいそうに」
盗賊がこの洞窟を根城にしたのはそう昔の話ではあるまい。
以前はずっと放置されていたのなら、そういう悲劇もあったかもしれない。
「大丈夫……大丈夫じゃ。1日待てばレーコが戻ってきてすぐにわしを見つけるじゃろう。そのときは居心地のよさそうな場所で昼寝でもしておったとごまかせばいい……」
何とも情けないが、わしは既に洞窟の奥に進むという選択肢を放棄していた。
鼻で嗅ぐ限り、洞窟の先から危険な獣や魔物の匂いはしない。かといって何の保証もなく闇雲に前進するのは愚策だ。
何より怖いし。
だが、うずくまってしばらく過ごしていると、滑り落ちてきた穴のすぐそばに、一冊の書物が落ちているのに気付いた。
近寄って爪先に様子を確かめてみると、湿気まみれの洞窟に放置されているというのに、まったく紙に痛んだところがない。特殊な紙でできているようだ。
暗闇でも読めるよう、光るインクで記されたその表紙には、遥か昔に人間たちが使っていた文字でこう書かれている。
『探索留意書 狩神の贄洞』
人が読むために作られた書物をわしの手でめくるのは、特に神経を使う。
だが、そこに記されていた内容はわしに大いなる希望を与えた。
なんでもこの書物は、ギルドという存在が生まれる前の冒険者たちが、せめてもの情報共有にと記したものであるらしい。
『――この洞窟は、かつてこの周辺に住んでいた狩猟民族が、彼らの神を崇めるために作った神殿である。生け捕りにした獲物の身体に財宝を括りつけ、地下に送り込んで狩神への生贄とする風習が彼らにはあった。
だが、過去の盗掘者の手によって財宝のほとんどは失われており、残っているのは半ば風化した獣の骨のみである。
完全な閉鎖遺跡のため、魔物や危険生物の生息は確認されていない』
丁寧なことに、盗掘者の掘った出口までのルート図までもあった。
最終ページ付近の注意事項を見ても、あまり気になるものはない
『大雨が降り続くと水没する危険がある』
『苔で滑りやすいので足元に注意すること』
『危険性が薄いダンジョンのため、冒険者の子が遊び場とすることがある。動くものがあっても即座の攻撃は控えること』
当時の生活感が窺える微笑ましい注意事項である。
わしはすっかり緊張感を解いて、うむうむと頷いた。
「こんだけ長閑なダンジョンならわし一人でも抜けられそうじゃの。レーコに変な言い訳をするのはできるだけ避けたいし、肝試しと思ってちょいと頑張るのもええかな」
鼻で感じていた魔物の不在を、この書物が後押ししてくれたことが効いた。
子供が遊び場にしていたくらい安全な場所なのだから、滑って転ぶ以外の危険性は排除してよさそうだ。今日は快晴だったから水没の心配もない。
それで、つい最後の一文を流し読みしたまま、深く考えもしなかった。
『獣を使役する冒険者は留意すること。人と共に入るなら害はないが、獣一匹で迷宮に歩ませた場合、彼らは例外なく骨となって帰ってくる』
このときのわしは、安堵感からすっかり忘れてしまっていたのだ。
人間基準でいえば、わしも「獣」の部類に入るということを。




