巫女の少女・リア
ほとぼりを冷ますために首都から逃亡したというのに、これでは人質を連れて逃走しただけになってしまう。
わしは咄嗟に前脚で顔を覆い、地面に向かってうつ伏せになった。
「あれ? ドラゴンさん?」
神様の憑依が解けたらしく、正面から寝ぼけたような調子のホワホワとした声がわしに降ってくる。
だが、ここで応じるわけにはいかない。ここで関わってしまっては、この子の失踪にわしが関与した形になってしまう。
あくまで、わしがわしだとバレない形でこの子を首都まで無事に送り返さねば。
「メェ」
伏せながらわしは鳴いた。
毛の抜けた黒ヤギ――そう見間違えてくれる一縷の可能性に賭けて。
「ドラゴン……さん……?」
「メェ、メェメェ」
未だ前脚で顔は隠しつつも、ちょっとだけ視線を上げてみる。わしの渾身のヤギ真似が功を奏してか、巫女の子は判断に迷うような顔でこちらを見ている。
「えっと……今はヤギさんなの?」
「メ!」
わしは跳ねあがって肯定に頷いた。よかった、上手く騙せたようだ。
嘘をつくというのは非常に申し訳ないが、お互い無事にこの場を乗り切るためにはこれが唯一の方策なのだ。
と、わしの傍らにレーコが駆け寄って来てそっと跪いた。
「そう……これは邪竜様・暗黒山羊形態。かつて喰らった黄泉の山羊の力をその身に宿した超レアなスタイルだ。この形態になった邪竜様は、亡者を統べる邪神としての側面を強く発露させる。このタイミングでその姿になられたということは……なるほど。この国の者どもをすべて邪神の支配する黄泉の国へと送り、邪竜様の統治下に置くというわけですね……」
「いやー! たまにはこうしてちょっとふざけてヤギごっこをしてみるのもええのう! ヤギごっこ!」
危なかった。ヤギのふりをして急場を凌ぐつもりが、とんでもない設定を付与されるところだった。
というか、よく考えたら近くにレーコがいたのだから、わしだけが正体を隠したところでこの場を乗り切れるわけがなかった。なんということか。
「やっぱりドラゴンさんに、レーコお姉さまも!」
両手を祈るように組み合わせて、少女はわしらにぺこりとお辞儀をしてくる。
だが、挨拶を終えると周りを見渡して、疑問符を浮かべながら首を傾げた。
「あれ? でも、ここってどこ? 教会じゃないよね?」
「えっと、お主がここにいるのはね……落ち着いてよく聞いてね」
よく考えれば、わしにやましいことはない。
ここに連れ去って来たのは神様本人の犯行だと胸を張って知らせればいいのだ。この子も巫女に選ばれたと知れば喜ぶに違いない。
「お主が神様から巫女に選ばれたみたいでね。その神様がお主に憑依して――えっと、そこにいる聖獣たちに顔合わせをさせようと連れてきたみたいじゃよ」
本当は暴走していた聖獣たちを止めに来たのだが、そんな不安にさせるようなことは言わない。そこだけ適当な理由をでっち挙げておく。
「わ、わたしが巫女に……? 本当?」
「本当よ本当。おめでとの」
「貴様は邪竜様が見込んだのだ。選ばれて当然といえる」
わしらのお墨付きを得た少女は、目を輝かせて聖獣たちの方に駆け出して行き、ペコペコと何度もお辞儀をする。
「リアといいます。聖獣のみなさま、今後ともよろしくお願いします!」
どうやら巫女の子はその名をリアというらしい。
レーコに国歌を仕込まれていたときと違って、聖獣たちはしっかりとお座りの姿勢になったりして規律正しく並び直している。挨拶をする者の心の清さが分かるのかもしれない。
ひとしきり挨拶を終えて、巫女の子――改め・リアはこちらに戻ってくる。
「あの、あのねドラゴンさん! 巫女になったみたいだから、約束どおり今から神様呼んでみるね! お話がしたかったんでしょ?」
「あ、それはもう終わっ――」
言いかけて、わしは止めた。もし今からでも仮眠から神様を呼び戻せるなら、それに越したことはなかった。
レーコの能力で数分で首都まで直行し、神様の口から枢機卿あたりに無実を訴えて貰えばいい。
「そうじゃの! ぜひ、よろしく頼めるかの!」
「うん! 頑張ってみるね!」
晴れやかな笑みでリアは手を組んだ。ダメで元々である。もし不発に終わってもフォローするつもりだ。
だが、意外にも祈り始めてすぐにリアの雰囲気が変わった。
桜色の髪の毛は俄かに逆立ち始め、色は神様を宿していたときと同じオレンジ色に――ならなかった。そのかわり、毒々しい紫色に変化し始めた。
『愚カシイ亡者共。平伏セ。従エ。業火二灼カレテ永劫ノ苦痛ヲ味ワウガイイ。我ハ冥府の暗黒山羊メェ……』
レーコがすかさず駆け寄って、リアの肩に両手をおいて「はっ!」と気合を込めた。
その途端にリアの髪色は元に戻り、急速に憑依が解けていく。
「どうやら、邪竜様が宿していた黄泉の山羊が混線したようです」
「語尾に申し訳程度のメェ要素が入っとったね」
「どうしますか邪竜様。咄嗟に憑依を遮断しましたが、奴と通話したいことはありますか?」
「特にないから二度と着信が来ないようにしてもらってええかな」
「かしこまりました」
寝ぼけ眼で目をこするリアの横で、レーコが空中を掴んで締め上げるような姿勢を取った。わしには見えないが、たぶんあそこで冥府の山羊さんが胸倉を掴まれているのだろう。
レーコは何度か恐ろしくドスの聞いた声で「メェ……メェ……」と呟き、その手を離す。その場を一瞬だけ寒気が通り抜けた。
「仰せの通り、二度とこの地上に出てこないように躾けておきました」
「お疲れ様」
もうわしはそれしか言えない。
そこでリアが完全に目を覚まして、わしらにぐいっと顔を寄せてくる。
「あ、どうだった!? わたし、ちゃんと神様を降ろせた?」
「えっとな。ニアミスで別の神様が降りちゃってたかの」
「じゃあもう一回やってみるね!」
わしが止める間もなく、またしてもリアは祈りの姿勢に入った。そして再び髪が逆立ち始め――今度は鉄のような錆び混じりの金属色に輝き始めた。そして野太い男の声になって言う。
『……ほほう。力を求め、太古の眠りより俺を目覚めさせし業深き者は貴様か……?』
「あ、人違いなので帰ってもらってよいかの?」
『この俺に対してその不遜な態度。気に入ったぞ。貴様にこそ俺の力は相応しい』
「レーコ。この人にも撤収してもらって」
レーコが「はっ!」と気合を入れると、リアの髪色は元に戻った。
慣れてきたのか、どんどん意識の立ち直りが早くなってきたリアは、喜色を滲ませて拳を握る。
「どうだった!? 今度はちゃんとできてた!?」
わしは微笑みながらそっとリアの肩に前脚を乗せた。
「とりあえずお主、もうチャレンジするのはやめといて」
申し訳ありません! 次回より隔日更新に切り替えます!




