消え去った一縷の望み
「今のなし! ついノリで相槌を打ってしまっただけじゃから! わしに神様とか務まらんから!」
「ご謙遜なさらないでください邪竜様。確かに今までは破壊神が専門分野でしたが、きっと国を統治する神としても並々ならぬ手腕を発揮されるはずです」
「レーコ。励ましてくれるのはありがたいけど、さらっと架空の経歴アピールをして傷口を広げんでおくれ」
震えながらわしは神様に向きなおる。彼女は既に『あーよかった』と草原に寝転がって他人事のような顔になっている。
「ねえお主、本気で言っておるの? わしに神様とか務まらんって」
『大丈夫大丈夫。アタシも手駒の雷神とか聖獣たちに任せてただけで何もしてないから。あんたもそこにいる強そうなチビっ子に任せりゃいいじゃん。神様とか名前は立派だけど誰にでもできる簡単なお仕事だって。いっちょ度胸出してやってみろよ』
「お主そういう身も蓋もないことは絶対に信者の方の前で言っちゃダメだからね?」
信仰もクソもあったものではなくなる。
かつて訪れたセーレンの聖女様は町を守るのに本人があくせく働いていたが、一国全域から信仰を集めるほどの強大な神ともなれば、配下の眷属に守護を下請けするだけで充分に務まるらしい。
「でもお主。簡単な仕事っていうならなんで引退するの?」
『寝るから』
「寝る」
ちょっと理由が神にあるまじき安直さで反論にも困る。さすがに言葉足らずを察したのか、神様はもう少し続けてきた。
『この国って、巨大な火山島なんだよ。んで、アタシはその火山が祀られて生まれた神でさ』
「火山……そりゃまた強そうじゃね」
海を渡ってきたとき、この国の海岸線が延々と伸びていたのをこの目で見た。これだけの広さを持つ国土がそのまま火山というなら、その力は凄まじいものがあるだろう。
一度本格的に噴火を起こせば、世界中が天変地異に見舞われるレベルかもしれない。
『いやー確かに強いっちゃ強いんだけどムラがあんのよ』
「ムラ?」
『おう。最近なんかマグマがグワって来なくてさぁ。どうも火山が休眠期に入ったっぽい感じなんだよ。おかげでアタシももう眠くて眠くて馬鹿鎧の相手とか正直やってられんっすわ状態』
「えっと……つまり休火山になって眠るから、誰でもええから後任を探してたってわけ?」
確かに火山というわりにガス臭くもなければ、蒸気の白煙が上がっている場所も見当たらない。休火山になりかけているというなら納得だ。
『おっ、いいねいいね。年寄りっぽいくせに理解が早い。ま、誰でもいいってわけじゃないけど、あんたならデカくなりゃ見た目の威厳もあるし手下も強そうだし十分。頼めるよな?』
わしは頭を抱えて蹲った。
ちなみにレーコは傍らでウキウキしながら国歌を作詞作曲している。どうかこの禍々しそうな歌が日の目を見ることのないようにせねば。
「そんな急に神様が交代しますって言われても国民の人達が受け容れられんじゃろ?」
『受け容れられなくていいじゃん別に。邪竜なんだから強制的に支配宣言でもすりゃあ。文句言う奴は見せしめにその場で締め上げろよ』
「貴様、なかなか話の分かる奴だな。気に入ったぞ」
レーコが楽曲活動に勤しみながら邪悪な笑みを浮かべた。なんということだ。神様ともあろう者がこの子と同じ水準の発想をするなんて。
ヨロさんは魔王のわりに穏健派だったが、この人は神様のわりに過激派な気がする。
わしは咳払いをして背筋をキリッと伸ばす。
「いいかの神様? そういう大事な話は、通りすがりのわしなんかじゃなくて身内にまず話すべきじゃよ。枢機卿さんとかいたじゃろ。ああいう人たちに『休眠します』って相談して、眠っている間の引継ぎ体制についてしっかり議論すべきではないのかの?」
『あのなあ、仮にも神がそんなこと言い出したら大騒ぎになるだろ』
「何の相談もなく引退する方がよっぽど騒ぎにならない?」
しかし神様は『知らねー聞こえねー』と耳を塞ぐ構えである。純真無垢だった巫女の子の表情は、今やただの性悪な悪童のように変貌している。
そこでレーコがちょこんとわしの背に乗ってきた。
「さあ邪竜様。そうと決まればこのまま首都に戻って支配宣言といきましょう。あの偽眷属の扇動に便乗するようで少し癪ですが、愚民どもが邪竜様に恐れ戦いている今が好機といえましょう。おい神。貴様も同行して邪竜様への全権委任を宣言するがいい」
『おっけおっけ』
「よくないからね? 怖がっているところに付け込むなんて人として一番ダメな行いじゃからね?」
わしは必死に人道を説く。よく考えたらわしは人間ではないが、少なくともこの場の誰よりも人間味はあると思う。もとい、レーコが人間味に欠けすぎているというか。
「それに神様も。今はそんな後任探しなんかより、もっと大事なことがいくらでもあるじゃろ? ヨロさんも来ておるし、魔王軍の幹部っていう偽眷属さんも来ておるし……今こそお主が前面に出てみんなを安心させるときではない?」
『そうでもないだろ。馬鹿鎧は放置でいいし、偽眷属とかいうのはアタシじゃなくてあんたらの問題だろ』
「ヨロさん放置でええの?」
『ストーカーは構うと付けあがるんだよ』
正論である。
確かに放っておいても凶暴な真似はしそうにないから、適度に距離を置くのが一番の安全策なのかもしれない。しかしなぜだろう。妙に同情心が湧いてしまう。まさか魔王にこんな感情を抱く日が来るとは。
『もしあの馬鹿がうるさいようだったら、適当に『100万年後に復活します』とでも言っとけ。そしたらおとなしく猫みたいに待ってるだろうから』
草原に寝転がりながらそう言う神様に、わしは少し目を丸くする。
『んだよ?』
「いや。敵同士というわりに、なんか妙なところで信頼しておるのね。友達みたいというか」
『友達は生きるか死ぬかで戦ったりしないだろ』
それはそうである。
だが、神様とヨロさんの間に怨恨とか復讐とか、そういったマイナスの感情はまるで見えないのだ。悪友くらいの関係にしか見えない。
「あ、そういえば。よければお主とヨロさんがどんな風に戦ったか聞かせてもらってよいかの?」
今後レーコが同規模の戦いを繰り広げることもあるかもしれない。そのためには事前に覚悟して心臓を鍛えておかねば。
しかしわしがそう尋ねた途端、神様は明らかに渋面になった。
「え、えっと。わし何かまずいことを聞いてしまったかの? もし答えたくなかったら別にええけど……」
『それよりこっちも聞きたいんだけど、あのチビっ子はどういう理屈であんな強くなってんだ?』
あ、話を逸らされた。
下手くそな話題転換を察しつつも、わしはなるべく表情を変えないようにする。どうやら神様にとってヨロさんとの戦いは触れられたくない過去らしい。
「えっとね、レーコの魔力については……少し耳を貸してくれる?」
『あん?』
そこでわしは神様に、レーコの魔力の源の仮説について話した。世界中に溢れる『邪竜への恐怖』という負の感情が、膨大な魔力となってレーコに流入しているのだと。
ついでにいえば、この国に来た理由もその『流入を止めるための方策』を探すためだったと。
もしかすると神様なら何か助言もくれるかもしれない――そう期待していたわしだったが、すべてを聞き終えた神様が放ってきたのはとんでもない一言だった。
『いやその推理間違ってんだろ。どう見ても自前の魔力だぞ、あれ』




