神聖邪竜様帝国、再び
――わしが邪竜と呼ばれるようになった原因は、未だによく分かっていない。
ライオットの先祖が架空の武勲を挙げるためのホラ話をでっち上げたことは知っている。しかし、ただ一人のホラだけで世界中に恐れられるような邪竜に祭り上げられるはずがない。
何かもっと異常な作用が働かなければ、事実無根のデマがここまで広がるはずがないのだ。
「……あの偽眷属さんの仕業なのかの? でも何のために……?」
「邪竜様。何か考え事ですか?」
「あ、いやいや。何でもないよ。とりあえずその辺に降りようかの」
首都を離れ、人里離れた平原にまで無事に飛び逃れた。
誤解は解かなければまた妙な濡れ衣を着せられそうだが、あのまま残っては枢機卿たちと交戦するハメになるのは目に見えていた。
ほとぼりが冷めるのを待ってから、改めて誤解を解きに行きたいところだが――
「あの偽眷属。ずいぶん余計なことをしてくれたようですね」
「やっぱりあれはあの人が何かしたのよね?」
「はい。おそらく暗示か何かで首都の人間たちに『邪竜が来た』と強制的に信じ込ませたのだと思います。そんなことをせずとも、邪竜様の偉大さは来たるべき時が来れば全人類に知れ渡るというのに……」
そんな力が働いたとなると、果たして普通にほとぼりが冷めるものか不安になってくる。
「どうにかあの偽眷属さんとゆっくり話し合いできんものかなあ……。こういう悪口を広めるようなことは本当によくないと思うのよわし」
「申し訳ありません。見つけ次第この場に引きずり出してやろうとは思っているのですが、コソコソと身を隠すのが上手いようで」
レーコの瞳は索敵のために蒼く輝いていた。この子の千里眼を逃れるというのは、やはりただならぬ相手ではある。
と、そこでレーコが腰の短剣に手をかけた。
「いたの?」
「いえ。奴は見つかっていませんが――別の敵が」
はっとしてわしが辺りを見渡すと、地平線の向こうから巨大な影がいくつも近寄ってきていた。
それは狼であったり、大蛇であったり、猪であったり――いずれも獣の姿でありつつ、しかし普通の獣ではありえない巨大な体躯をしていた。
一歩一歩とこちらに駆け寄ってくるにつれ、地響きが周囲の地面を揺らす。
だが、魔物ではない。邪悪な気配が何一つ感じられないのだ。
「あれはもしかして、この国に入るときに泳ぎ合ったクジラさんの仲間ではないかの?」
入国審査官は、国の守護聖獣だと言っていた。
それなら敵対する必要はないはずだが、こちらに向けられる視線でわしは身を竦めた。いずれの獣も、わしらに向けて明確な殺気を放っていたからである。
「奴らにもあの偽眷属の暗示が影響しているようです。どうしますか? この場においては反撃もやむなしかと思われますが」
「落ち着いてレーコ。ここで暴れてしまっては冤罪が本物の罪になってしまうよ。ここは一旦また飛んで遠くに撤退を――」
しかし次の瞬間。
こちらに向けて駆け寄ってきていた獣たちは、一斉に動きを止めた。それどころか、気を失ったかのようにその場に倒れ込んでしまう。
「……レーコ?」
「いえ邪竜様。私ではありません」
そう言ってレーコは頭上を仰いだ。
そこにいたのは巨大な鳥だ。青空を背にして、甲高い鳴き声を響かせながら悠遊と空を舞っている。
ゆっくりと降下してくるその鳥の背には、誰かが乗っていた。
『ったく、見境なく暴走しやがって。この獣どもときたらどこの馬鹿が飼ってんだか――ってアタシか』
オレンジ色に輝く髪を逆立てながら、鳥の背から降りてきたのは――巫女の少女だった。
ただしその口調は酷く汚い。
「えっと……神様?」
『おうよ。神様とかいうガラじゃないけど、まあそう呼ばれてるかな』
わしは目に涙を浮かべて地団駄を踏んだ。
「どうしてもっと早く姿を現してくれんかったの!? わしらはお主と話をしたくて……」
『だってあんたらの近くにあの馬鹿がいたじゃん』
「あの馬鹿って……ヨロさん?」
『そうそう、あの馬鹿鎧。ぶっ殺したのに蘇って粘着してくる戦闘馬鹿とか正直ドン引くし』
正論過ぎて何も反論できなかった。
神様は巫女の少女に憑依したまま、草原の地面に片膝を立てて座り込む。
『んであいつがまたアタシに接触しようと教会にわざと捕まったみたいだから、この巫女の子に憑依してここまで避難させてきたってわけ。この子が教会にいたままじゃ、絶対あの馬鹿が問い詰めるだろうからな』
「そんなに毛嫌いしなくてもいいんではないかの……?」
『ああ? だってあいつ、生きるか死ぬかの決闘申し込んでくるんだよ? 代わりにあんたが受ける?』
「そうじゃね。お主の判断は極めて適切じゃね」
わしは掌を返して賛意を示した。ヨロさんと一騎打ちなんて死んでも御免である。
「とにかく。動物たちを止めに来てくれてありがとの。お主が来てくれなかったら、また一悶着起きてしまうところじゃったよ」
『あー、いいっていいって。こんなところでドンパチやられて面倒なのはアタシの方だって同じだから』
ぺシペシと気安く神様がわしの背中を叩いてくる。
これは光明かもしれない。ここで神様が味方に付けることができれば、枢機卿をはじめとした首都の人々の誤解を解くのもぐっと簡単になるはずだ。
さらにヨロさんをも凌ぐ実力の持ち主となれば、偽眷属を捕まえるのにも大いに心強い。
幸いにも話は通じそうである。ここは頼んでみるしかない。
「のう神様。実は折り入ってお主に相談があるんじゃけど――」
『あ、奇遇。こっちもこっちも』
「なんじゃの? わしにできることなら何でも協力するよ」
わしの身一つで協力が確約されるなら安いものである。
満面の笑みで応じたわしの肩に、ポンと神様(が憑依している巫女の少女)の手が置かれる。
『アタシ引退するから、今日からこの国の神様ヨロシク』
「ええよええよ。わしが後任になるのね。うん了解……」
語彙を咀嚼したわしは凍り付いたように硬直する。
そしてじっと傍で話を聞いていたレーコが、恍惚とした表情でおもむろに立ち上がった。
「いつぞやはぬいぐるみが作ったハリボテの王国でしたが……今度こそは間違いないですね。神聖邪竜様帝国がここに復活したというわけです」
若干の手遅れ感を悟りつつも、わしは全力で首を振った。
3章完結まで更新ペース早めでいきます(毎日目標)




