予期せぬ事態
囚われていた人々に保存庫から食料を運ぶと、埃まみれだった彼らの顔に僅かな笑みが戻った。
きっとロクなものを食べさせられていなかったのだろう。
「さて、そんじゃ近くの街から警備兵でも呼ぶかの……」
レーコを背中に乗っけて洞窟から出ようとして、ふと気付いた。
「ところでレーコ、一番近い街ってどこじゃっけ?」
「並みの馬でなら丸一日はかかるところですが、邪竜様の飛翔をもってすれば瞬きの間かと」
「ごめん。実はわし、昨晩寝違えてしまっての。今日は翼を出せんのよ」
「では不肖ながらこの私がご助力を」
どうしよう。二度と飛ぶのは御免だ。生きた心地がしないし、何より移動の決定権をレーコに握られてしまうのが恐ろしい。
「――お主には分からぬか、レーコ。今日の空には不穏な風が吹いておる」
「邪竜様……?」
「風を征することのできるわしはよい。だが、お主はまだ空の何たるかを知らん。ここで安易に空を舞えば、わしは大事な眷属を失うことになる」
言いながら、洞窟に入ったときの天気が快晴だったことを思い出す。
だが、レーコは「疑う」という概念を喪失しているかのような素直さで、深々と頷いた。
「――なるほど。この広大なる天空は未だ若輩の私には険しい領域というわけですね。勿体ないお気遣いでございます。ならば、陸路にての道行きと参りましょう」
それはそれで困る。囚われて弱っている人たちがいるのだから、わしの鈍足で長々と待たせるわけにはいかない。
かといって、レーコ一人に街までの遣いを頼むわけにもいくまい。
この子をわしの見張りなく気ままに行動させたら、どこでどんな爆弾を破裂させるか分からない。
最悪、その街が地図から消えるおそれがある。
わしはどうしたものか悩んだ。レーコに待機を命じて、洞窟の中をウロウロしながら迷った。
そこでふと目に付いたのが、広間でじっと正座を続ける盗賊の頭だった。
「ほ、本当に俺なんかでいいんですかい? 俺なんかがレーコ様の随伴役だなんてそんな!」
「ええのええの。お主がちゃんと街の警備兵に説明して、ここに人質保護の馬車を呼んでくれれば何も問題はないから。しっかりお主が務めさえ果たせば、一切何もせんようレーコには伝えてある」
手出しはおろか、一切口を利かないように念押し済みだ。
「じゃ、邪竜様はどうなさるおつもりで?」
「ほれ。わしは残りの盗賊たちを見張らんといかんじゃろ?」
「滅相もありません! もう俺たちは悪事なんて一切しないと誓います! 何なら全員鎖で縛ってもいいですから、どうか、どうかレーコ様の随行なんてそんな恐ろしいことは!」
ほとんど泣きながら懇願する盗賊の頭の襟首をレーコが掴んだ。
「喚くな、愚かな人間め。貴様が自首して警備兵を呼べばいいだけ。罪人にすら償いの機会を与える邪竜様の温情を無駄にするつもりか。文句があるならこの場で一族郎党斬り捨てる」
「ひぃっ。違うんです。決して嫌とかおっかないとか、そういうんじゃなくてですね、邪竜様に見張りなんて低俗な仕事をさせるわけにはいかないと思ったまでで――」
「低俗? 見張りを買って出た邪竜様に対する冒瀆か」
「違います! 違います! お願いですから眼を青く光らせないでください!」
わしは心の中で盗賊の頭に手を合わせていた。
非常に申し訳ないが、数々の罪を重ねてきた刑罰の一環と思って欲しい。きっと街に着くまでの丸一日、地獄のような気まずさだろうけど、常識人の彼がいればきっと上手く説明してくれるだろう。
残る心配は部下たちが反乱を試みることだが、これは除外していい。
わしの眼力で測ってみても、戦意のある者は誰一人としていない。すべてが半ば心神喪失の状態だ。
これを見張るだけなら、わしにも十分可能な仕事である。
「そんじゃ、いってらっしゃい。気を付けてな」
「心得ました。明日には戻ります」
盗賊の頭は馬で全力の疾走を始め、レーコは人間離れした速度の駆け足で平然とそれを追っていく。
早馬が人間に追い立てられている光景は、遠目に見ても異様なものだった。
そして見送った後、わしは久しぶりにウキウキしていた。
なにしろ、盗賊の面々は別として、囚われた人間たちはわしを「レーコに捕まってる気弱なドラゴン」と思ってくれているのだ。アリアンテにもらった薬のおかげもあって、見た目は完全に小型ドラゴンであり、邪竜と見紛われるような禍々しさも失せている。
今のうちなら、有用な情報――たとえば、低級魔物の生息地なんかを聞くことも容易だろう。
あと、飾らない弱音も存分に吐ける。
人間たちには既に食糧を運んである。共に食を囲んでこそ弾む会話もあろうと思ったので、わしは洞窟の奥に進んだ。
こういう湿り気のある地底洞の奥にはキノコや苔が生えていることが多い。青草は昨日から腹いっぱい食っているので、珍味を楽しむのもいいだろう。
奥へ。
さらに奥へ。
盗賊たちが立てていた通路の燭台は消えていたが、嗅覚でコケの匂いを捉えていたわしには大した問題ではなかった。
それが間違いだった。
盗賊たちが踏み込まなかったということは、そこにはしかるべき危険が潜んでいるはずだったのだ。
かちり、という音が足元から響いたときには、もう遅かった。同時に足元の支えが消失する。
――落とし穴。
叫ぶ間もなく洞窟の地面が真っ黒な口を開き、わしを地底の奥底へ吸い込んでいった。




