海の支配者の称号
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わしはトカゲである。
断じてボートなどではない。
そんな事実を真っ向から否定するかのように、わしの身体は大海原を波立てて直進していた。
襲い来るはずの水圧はレーコの魔力で軽減されているが、かといって怖くないかといえばまったくの別問題である。
一方、レーコは実に楽しげにウキウキと独自設定を語っている。
「ふふふ……陸海空のすべてを支配する邪竜様に往けぬ場所などない。この対海モードになった邪竜様はまさに海神のごとし。どんな荒波をも物ともせず、光の届かぬ深海の奥底へも潜行が可能となるのだ……」
「レーコ。お願いじゃから潜るのだけは絶対やめてね。急いでおるんじゃから」
急ぐことを方便として、わしは深海ルート回避を懇願する。
もはや引き返すことはしない。こうなったレーコが止まらないのは経験則で明らかである。ならば、ここは耐え忍んで目的地への上陸を待つしかない。
「はい。心得ております。漆黒の闇に満たされた深海には、邪竜様の古くからの盟友が潜んでいます。かの者に逢いまみえれば、昔語りに長くの時間を割いてしまうでしょう……。かの者に会いに行くのは魔王を倒してから――ということですね?」
「そうじゃね。まるでその人に心当たりはないけど、しばらく会うつもりはないかなあ」
「なるほど。かの者は孤高を好みし深淵の存在。互いに敬して近づかぬのが最良の関係というわけですね」
「うん。そんな解釈でお願い」
ちなみにこの会話をしている最中に、わしの眼前に腐った大魚の死骸が浮き上がってきたが、もちろんスルーした。
レーコは「海底よりの贈り物か……」と感服していたが、きっと偶然である。そうでなければ嫌だ。
幸いなことにそれ以上の不吉な出来事は起こらず、わしらは順調に航海を進めた。
レーコの出す異常なスピードのおかげもあり、ぼんやりと霞んでいた海の果てにだんだんと陸地の姿が見えてくる。
――灰色の断崖。
それが第一印象だった。
切り立った灰色の崖が海を遮る壁のように聳えて、その麓に白波を散らしている。
オリビア教国は島国と聞くが、水平線を果てまで覆い尽くす断崖の長さを見る限り、国土の広さは相当なものである。
と、目指す陸地の姿を見てレーコは首を傾げた。
「おかしいですね。飛行しての上陸は難しいとのことでしたが……特段に防衛手段は見当たりません。これなら飛んで行ってもよかったのではないでしょうか」
「ダメじゃよ。ちゃんとルールは守らないと、後でどんな目に遭うか分からんのじゃから」
「ではこのまま海路ですか――流石です邪竜様。こっちにはそれなりの邪魔者がいるようですが、物の数ではないということですね」
「え?」
邪魔者?
レーコの言葉の意味を咀嚼する前に、その正体が現れた。
一本の角を額から生やした巨大なクジラが、わしらの前に潮を上げて飛び出し、進路を妨害してきたのだ。
「こ、これ何? まさか魔物――……」
ではなさそうだった。
慌てはしたものの、眼力を働かせてよくクジラを見れば、魔物のような凶暴性は感じなかった。
しかし全身から溢れ出る魔力は、間違いなく普通の動物のものではない。
そこでレーコがしげしげとクジラを眺めつつ、
「気配が少しあの水魔と似ていますね」
「水魔って、聖女様のこと? ということは……あれは守り神様とかなのかの?」
それならば、強力でありながら凶暴性のない魔力というのにも納得がいく。
それに、守り神ならわしらが敵意さえ示さなければ攻撃してくることはないはずである。
「いい? レーコ。不用意な手出しは厳禁じゃよ。わしが平和的に話してみるからお主はおとなしくしておいて」
「了解しました」
よし。レーコによる先制攻撃という最大の懸念はこれで排除できた。
魔力による推進も止まったので、わしは四足で水を掻きながらクジラに近づいていく。
「えーっと、話は通じるかの? わしらは怪しい者ではないのよ。船が止まってたから仕方なく泳いで来たんじゃけど、密入国しようとかいうつもりはないから」
「オーン」
帰ってきたのは、貝を吹くような鳴き声だけだった。
「……えぇ。どうしよ。話が通じないと弁明しようがないのう」
が、向こうに敵意がないのも感じていた。すぐこちらに襲い掛かってこないのもその証拠だ。
どうにかして話ができれば、穏便に通して貰えるかも――
「……ねえレーコ。お主ってさ、このクジラさんと通訳とかできる?」
「邪竜様。流石に私も獣の言葉は解しかねます」
「じゃよね。ああよかった。お主にもできないことがあるんじゃね。できなくて逆に安心したかも」
「はい。せいぜい、魔力の波長をリンクさせて奴と意識疎通を図るのが関の山です。よければメッセージをお伝えしますが」
「そうなんだ。じゃあ、『敵意はない』って伝えてもらえるかの」
まあ、そんな気はしていた。
思い返せば精霊さんが声を出せない金山の姿だった頃も通訳をしていたし、この子は基本的に万能なのだ。
まあ、その万能さが発揮されるたびにわしの心は削れていくけど。
と、通訳をするレーコから返事があった。
「邪竜様、向こうも敵意はないとのことです。こちらに害意がないのは察していると」
「ああよかった。でも、それならなんで通せんぼしてきたんじゃの?」
わしが尋ねると、不敵にレーコは笑った。
「それが――とんだ笑い話です。このクジラ、この一帯の海では最速を自負しているようなのですが」
「うん」
「つい先ほど、邪竜様の泳ぐスピードを間近に見てしまい、その自信を粉々に打ち砕かれたそうなのです。『あれこそ伝説の海竜様に違いない』と」
「ちゃんと否定してくれたよねお主?」
「いいえ、肯定しておきました。伝説の竜となれば邪竜様のことでありませんから」
なんてことをしてくれたのだ。
そう理解してから向きなおれば、クジラはキラキラした瞳でわしを見つめてきている。やめて欲しい。レーコのブーストがなければわしは犬かきくらいしかできないのに。
「して、どうか一戦だけ胸を借りさせて欲しいと言っています」
「一戦?」
レーコは海の向こうに霞む陸地の岩壁を指さした
「ええ。海の支配者の称号と矜持をかけ、あの岩壁まで競争したいとのことです。お互いに全身全霊で」
わしはクジラに向かって穏やかに微笑んだ。
そしてめったに海なんか来ないくせに、海の支配者としての心得を説いてみせる。
「よいかの。海の支配者というのはね、深い深い海のように広い心を持たねばいかんのじゃ。だから無駄な競争とかはしちゃダメで」
クジラが身をしならせて潜り、レーコがわしの尻尾付近に爆音の水飛沫を立てた。
わしの都合なんて知ったことなしに、意地とプライドをかけた全身全霊のレースが勝手に開幕される。
……
それから何があったか、わしの記憶はひどく錯綜している。
砕けていく白い波飛沫と、一切の減速なしに迫ってくる岩壁。一礼して去っていくクジラ。ご満悦のレーコ。
様々な光景はすべて断片の記憶でしかない。
ただ、崖際の港にぷかぷかと浮かんで漂着しながら、駆けつけてきた入国審査官にこう言ったことだけは覚えている。
――わしを助けてください。
そしてわしらは、難破した漂流者という扱いで緊急の上陸を許された。




