邪竜様は泳ぎが得意
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海なんていつぶりだろうか。
おそらく数百年くらいとは思うが、ひょっとすると千年以上かもしれない。
少なくともレーコのいた村近くの山に住み着いてからは、一度も行ったことがない。
「海ですか。見るのは初めてですが、とても楽しみです。なんせ、邪竜様と海の間には切っても切れない深い繋がりがありますから」
「わしは海に対して『海藻美味しいなあ』くらいの感想しかないんじゃけど」
大昔、海の近くに住んでいたころは、海藻を拾ってはおやつにしていた。陸の草とは違う滑らかなとした食感が癖になるのだ。
「そう、海の産物は非常に美味でございます。その美味の陰にこそ、大海に隠された邪竜様の過去があるのです」
「海藻から強引に話を広げていくお主のスタイル、最近はあんまり嫌いではないよ」
レーコによる無慈悲な連想ゲームも最近ではもうすっかり馴染んできた。
わしは現実逃避に目を細めながら、荒野の向こうにうっすらと映えてきた青い海原を眺める。
「あらゆる生命の源泉にして、豊かな味を生み出す滋養に満ちた海水――その正体は、かつて邪竜様が流した涙と言われています」
「どこの誰が言っておるんじゃろうなあ」
「有識者です」
たぶんその自称有識者とはレーコ自身のことだ。賭けてもいい。
もし本当にわしの有識者がいたら、現在のこの状況が続けばわしのメンタルが保たないと判断し、早急に何らかのフォロー策を講じてくれるはずだ。
お願いだから早くそんな人がわしの前に現れて欲しい。
「この世界が創世された日――邪竜様は荒涼とした原初の星に生命をもたらすべく、新たな命の誕生を願って三日三晩の涙を流し続けたとされています。海の水が塩辛いのは、邪竜様の涙という何よりの証明です」
「なんだか卵を産むときに泣くウミガメさんみたいじゃね」
「そして人類が道を誤ったとき、邪竜様は大いなる天罰として海の水をすべて飲み干し枯らすとも言われています」
人類というよりも、むしろわしに対しての罰ゲーム要素が強い。
海が枯れるまで塩水を飲むなんて、ほとんど拷問である。飲んでるそばからまた涙がこぼれてきそうだ。
そうこうしているうちに、わしらの進む荒野は崖に突き当たった。
崖から下を見下ろせば、海の荒波が押し寄せる岬と――そこに隣接した港町が目に入ってくる。
「じゃ、レーコ。翼を出してくれるかの? 直接町に降りると目立っちゃうから、まずは少し離れた浜辺あたりに降りて、そこから歩こうか」
「かしこまりました」
今回は「ゆっくり」と言っているので問題ない。
わしの背中にばさりと翼が生えて、崖からふわふわと身を浮かせていく。
「おっとっと。砂場はやっぱり柔らかいの」
さしたる距離もないので、あっという間に浜辺に着いた。ここまで柔らかい砂の感触は久々で、バランスを少しだけ崩してしまう。
「間近に見るとやはり広いですね……これが海ですか」
「あ、そうじゃ。お主は初めての海なんじゃし、少し遊んでいかない?」
言いながら、わしはもう波打ち際まで駆け出していた。ワカメが打ち上げられていたからである。
「遊ぶ、ですか」
「そうそう。一応は荷物に着替えもあるしの。泳いだり好きなことをしてみるとええ」
「では、お言葉に甘えまして」
なぜかレーコは短剣を抜いた。
そして俄かに振りぬくや、凄まじい斬撃が放たれて海が底まで見えるほどに割れた。
「――なるほど。確かに、試し撃ちには格好の場ですね。なかなか攻撃を練習できる場面というのは限られているのですが、これだけ水があれば少し強めに撃っても問題なさそうです」
ざざざ、と音を立てて割れた海が荒波を立てて元に戻っていく。
わしが立ち竦んでいると、レーコは口からビームみたいなものを海に向けて放射した。一気に蒸発した水が霧のように海上に立ち込める。
「この際に試したい技が山ほどありまして。次は海面をすべて凍り付かせ……」
「ダメじゃよレーコ。ひとしきり終わる頃にはここら一帯が死の海になってしまうよ。いろいろ迷惑かかるからダメ。それに、ここは港のそばなんじゃよ? 船を巻き込んでしまったらどうするの」
「ご安心ください」
きらりとレーコは目を輝かせた。
「この千里眼にて確認いたしましたが、影響範囲に船は一隻もありませんでした」
「え? そうなの?」
今日は晴天だ。航海を中止するような悪天候ではない。
それでも船がいないとは――港のそばなのだから往来も活発だろうと思ったが、意外と便数が少ないのだろうか。
しかし、シェイナの話では、この港は目的地のオリビア教国に通じる唯一のルートだという。
あまり貿易の盛んな国でないと聞くが、それでも一国との窓口である。まったくの開店休業状態などあり得ない。
「なにか欠航の事情でもあるのかもしれんの……。レーコ、やっぱりひとまず港に向かってみようか」
「了解です」
せっかくわしに目標が見つかったのだ。あまり足止めを喰らいたくはない。
「もし海路に魔物が出現したという理由ならば、我々が出ればすぐ片付くのですが」
「そうじゃな。そういうのだといいんじゃけど」
わしの感覚も多少ならゴリ押しを容認しつつある。
それに、下手に込み入った事情があるよりも、強力な魔物の出現ならレーコの一撃でシンプルに片付くのも事実ではある。
港町に着いたわしらは、早々に船着き場へと向かった。
通り抜けた町の中もかなり閑散としていたが、船着き場に至っては一切の人気がない。
係留された大量の商船が、波に揺られて上下しているだけである。
案内場には【閉鎖】と書かれた札だけが掲げられている。
「何してんだい嬢ちゃん? んなとこで待ってても、船なら出ねえぞ」
と、そこに釣り竿を持った中年の男が通りがかった。どうやら町の住人のようだ。
「あ、お主。ちょうどよかった。話を聞いてもええかの?」
「うおっ? 喋るドラゴンか。こりゃあ珍しい……」
「控えよ。好奇の目線を軽々に向けるな。この方こそ天地に覇を轟かす――むぐ」
わしはレーコの口を背後から前脚で塞ぎ、男性への言葉を続けた。
「えっとね。わしらオリビア教国を目指しておるんじゃけど、ここの船は今日は出ないのかの? いつごろ次の便が出そう?」
「ああ、やっぱり客さんか。そりゃ残念だったな……。いや、こっちも実はそれで参っててな。というのもうちも客船やってるんだけどよ、いつ出せるんだか分かんねえんだ」
「分からない?」
おうよ、と男性は答える。
「急に教国の方が入港審査を厳しくしやがって。民間船の出入りなんかほとんどできねえようになっちまったんだ。ったく、こっちも商売ってもんがあるのによ……」
この港町の住人にとっては死活問題らしい。悔しそうに顔を歪ませながら、ぼりぼりと頭を掻いている。
「ふ。審査など物の数ではない。強行突破してしまえばよいだけの話……」
「あのねレーコ。わしは向こうの国でいろいろと調べものをしたいんじゃから。問題を起こしてしまっては調べものどころではないじゃろ?」
暴走気味のレーコの発言を受け、男も苦笑した。
「威勢がいいのは結構だけど、どう言ったって船はしばらく出ねえからな。ま、船が出るまではこの町で過ごして、それなりに金でも使っていってくれや。そうじゃねえと町の蓄えが干上がっちまう」
そう言って男は大手を振って去っていく。
それと同時に、わしには懐の危機感が生まれていた。
多少の金はシェイナからも受け取ったが、そう長く保つ金額ではない。宿屋で長期滞在などしていればすぐになくなってしまうかもしれない。
虎の子として、そこそこ高い宝石を一つ分けてもらったが――それは最終手段だ。できれば使わずにいつか返したいし。
「邪竜様。船がダメというのなら、飛んでいくのはどうでしょうか?」
「それなんじゃけどね。シェイナが『絶対に飛んで行っちゃダメ』って言ってたのよ」
シェイナも詳しくは知らないようだったが、どうやら教国は空からの侵入者には何らかの迎撃手段を持っているらしい。
それを迂闊に発動させてはまずいという判断かもしれない。
「それでは――もはや方法は一つしかありませんね。失礼いたします」
そこで、いきなりレーコがわしを両手で持ち上げた。
「わっ。どしたのいきなり?」
「選択肢は海路のみ。しかし船が出ないというのなら、やむを得ません」
たんっ、と。
レーコがわしを抱えたまま、船着き場の海へとダイブした。
「おわぁあっ!?」
高さは大したことないが、いきなりのことでわしは叫んでしまう。
水飛沫を立ててわしは沈み、しかし次の瞬間には再浮上する。実はそこそこ泳ぐのは得意だったりする。
背中に括っていた荷物の袋が防水でよかった。
「もう、いきなり何をするんじゃの……」
そう言葉を発したとき、レーコが何をするつもりか直感で悟った。
レーコは既にわしの背中に乗って、やたら上機嫌になって魔力を漲らせている。
「ちょうどよかったです。これなら、水遊びも兼ねて目的地まで行けますね。さあ邪竜様。せっかくの海です、目一杯遊びましょう」
「れ、レーコ。待って。これはいかん。これはもう遊びの範疇を越え――」
わしの制止は届かなかった。
あるいは、レーコも内心で海での遊びをエンジョイしたかったのかもしれない。
――その結果として。
「んぎゃあああぁぁああ――――――っ!!」
レーコの魔力によって噴出させられた怒涛の水飛沫を推進力に、わしは猛スピードで大海原に発進させられた。




