レーコ、誘拐される
「お起きください邪竜様」
すっかり火の落ちた焚木のそばでぐうすかと寝息を立てていたら、ふいにレーコが耳に囁いてきた。
眠気の中で身じろいだわしは地面の草に頬ずりしながら、
「なんじゃレーコ。まだ暗いし、朝には早かろう」
「申し訳ありません。些細なことかもしれないのですが、念のため邪竜様のご意思を確認したいと思いまして」
「こんな夜中に悩み事でもしとったの?」
「いいえ。悩むというわけではなく――」
レーコが首を回して辺りをぐるっと見渡した。
つられて同じように周りを眺めてみると、闇に揺れる火の玉がわしらの周りをぐるりと取り囲んでいた。
ぎょっとして寝ぼけ眼を瞬きで覚ますと、火の玉の正体がすぐに分かる。松明を持ってじりじりと近づいてくる、馬に騎乗した人間たちの群れだ。
「どうやら盗賊のようです。いかがしましょう邪竜様。始末するのは容易いですが、今後魔王討伐のため人間と同盟を結ぶご意向であるなら、ここで無暗に殺生沙汰を起こすのは禍根を残すかもしれません」
「そう、そうよね。お主もそのくらいの良識はあるよね」
「はい。ですから私としては、死体を残さず存在ごと消してしまうことを提案します」
「やめてあげて」
わしは切実にレーコを止めた。このままでは取り返しのつかない凶行に走りかねない。
「おおう、起きたかい。案外鋭いねえお嬢ちゃん。そんな歳でも冒険者やってるだけある。まったく油断できんなあ」
下卑た笑みを浮かべながら手綱を駆り、包囲の輪を狭めてくるのは、編み織りの頭巾を被った髭面の中年男だ。
遊牧民風の服はおそらく警戒されないための偽装だろう。移動生活を営む流浪の民のフリをしていれば国から国へと移ろいでも不自然でないし、駆け出し冒険者が野宿しそうな場所を探り当てるのにも都合がいい。
あるいは、本当に本業は遊牧の方で、こうしてカモを見つけたときだけ盗賊に鞍替えするのかもしれない。
「――お主ら、野盗か。忠告しておいてやるが、大人しくここは引くがよい。命を無駄にしたくなかろう」
わしはハッタリではなく本音でそう言った。万が一わしに対して弓を引く者があろうなら、一瞬でレーコが動いてその者を仕留めるだろう。
そしてその間にわしは矢が刺さって死んでいるだろう。
せめて薬の効果を途中解除できたら、と思う。
ここで邪竜たる「レーヴェンディア」の姿に戻れば、威圧感だけで彼らを説き伏せることができるかもしれない。
だが、今は若かりし日のサイズだ。晩飯の後にしっかり適量の一滴を飲んだし、まだまだ効果は続く。
「おう! こりゃあ珍しい。嬢ちゃんの方がすげえ上等な装備付けてると思ったら、ドラゴンの方も人の言葉が話せる奴か。こりゃあどっちもいい値が付くなあ?」
「そうそう。よかったなお前ら。オレたちも『命は無駄に』したくないんだわ。なんせ死体じゃ価値がなくなっちまうからなあ」
「どうしたお嬢ちゃん。びびって動けねえかよ? 安心しなって、こう見えて俺ら紳士だから」
当然、動けないわけではないだろう。ただ単に動く必要性を感じていないだけだ。
事実、レーコの表情はちっとも揺るいでいない。殺ろうと思えば瞬時にこの場の全員を屠れるという余裕がごく当然に漂っている。
わしは今、盗賊たちの命を本気で心配していた。
「頭領。こいつら捕まえたら、アジトの奴らと一緒にそろそろ市場に運びましょうや。他の奴らはせいぜい安値の低級奴隷くらいにしかなんねえでしょうが――」
「待て」
偉そうな調子で遮る言葉があったので、三下らしい男は口をつぐんだ。
だが、盗賊たちが顔を見合わせて声の主を辿ると、「待て」を発したのは獲物と認識している少女――レーコだった。
「あぁ? 嬢ちゃん、命乞いならもうちょっと畏まってするもんだぜ」
「奴隷を侮るな人間。奴隷となる者には無償の奉仕精神と万事に卓越した技能が求められる。誰にでもできる仕事ではない。撤回しろ」
なんか唐突に語り出した。
生贄のときもそうだったが、レーコは自分の職責に対してこだわりがやたら大きいようだ。
奴隷という仕事を見下した態度が、元・奴隷の琴線に引っかかったのだろう。
「撤回? はは、撤回ねえ? どうします頭領。可愛いこと言ってますよこの嬢ちゃん」
「ああ、そうだな。撤回してやるといい。なんせ俺たちゃ奴隷なんて売り飛ばすばっかりで何たるかを知らんからな。このお嬢さんはよくご存じのようだし、うちの奴隷どもの中でよぉく心得を説いてもらうとしよう」
それは明らかな皮肉の言葉であったのだが、レーコはふむふむと考えて、
「いかがしましょう邪竜様。敵の言なれど、一考の価値はあるものと思われますが」
「何を言っとるのお主?」
「どうやら奴らのアジトには今から奴隷になろうとする人間が大勢いるようです。奴隷の先達として適性を見極め、向いていない者には別の職を進めようと思うのですが」
「お主の基準に照らすとだいたいの者は向いとらんと思うけどね」
だが、囚われている人間がいるなら確かに助けた方がいいだろう。
正義感がとりわけ強いとも思わないけれど、売られようとする人々の存在を知って見て見ぬふりをするのは後味が悪い。
まあ、かといって実際わしに何ができるでもない。
この場をどうにかする力があるのはレーコの方で、そのレーコが(大きなニュアンス的には)人々を助けたいと言っているのだから、わしにできるのはせいぜい思い込みの後押しくらいだ。
「そうじゃの。お主がしたいようにするとええと思うよ。だけど一つだけ約束しといてくれ」
「何でしょうか」
わしの言葉にレーコが耳を傾けたとき、焦れたように盗賊の頭領が口を挟んだ。
「おいおい? いつまでブツブツと話してやがんだ? お前ら、さっさと縛っちまえ! ちったぁ抵抗してくるかもしれねぇから気を付けろよ!」
曲がりくねった蛮刀を持った男たちが、馬からひらりと飛び降りて一斉にかかってくる。
わしは総攻撃の迫力に一瞬だけ白目を剥きかけたが、何とかギリギリのタイミングでレーコに一言告げた。
「殺したり大怪我させたらいかんよ」
「承知」
翌朝。
草原を照らす輝かしい朝日の中。
うなだれた大勢の盗賊を背に引き連れ、堂々と先陣を切って盗賊のアジトに自ら誘拐されていくレーコの姿がそこにはあった。




