生贄の血
9月1日にスニーカー文庫から書籍版第2巻が発売予定です!
ほぼ完全書き下ろしの内容となっておりますので、ぜひご覧ください!
(一部、2章で特に好評をいただいたシーンは改稿の上で残してあります)
コミカライズ第1巻も6月13日に発売予定です!
書籍・コミカライズともに特典情報などの詳細は今後活動報告でお知らせしていきますので、どうぞよろしくお願いします。
あまりにも早かった。
もう指先が触れたかどうかの時点で、ライオットは乗っ取られていたように思う。
あれだけ自信満々だったのだから、せめて十秒くらいは耐えてみせて欲しかった。そうでないと、これから殺されるわしが浮かばれない。
「ヒャハハ! 久シブリニ、ドラゴンノ血ヲ飲メルゼェ!」
「いやぁ――! でもわしこんなところで死にたくない! お願いだから正気に戻ってぇ!」
ガチン、と。
ライオットが振り下ろした凶刃は途中で遮られた。
わしの首筋ギリギリまで振り下ろされた刃を、滑り込んできた精霊さんがその歯で咥えて止めていたのだ。
「アァ? ナンダ、コノ小サイノハ……」
「ふひかえふ」
歯での白羽取りを続けたまま精霊さんは何かを言っている。
たぶん、『無事帰る』だろう。シェイナの言葉をまだ律儀に守ろうとしているのだ。
しかし、精霊さんの小さい体躯では鍔迫り合いに限界があった。
ライオットも大した体格ではないが、剣の呪いで強化されているのか、その腕力は並の子供の域を大きく外れているようだった。
刃が押し込まれるにつれて、精霊さんが徐々に膝を折っていき、剣の切っ先がわしの首の皮膚にまで触れる。
「せ、精霊さん! もうわしはええから! このままだとお主まで斬られてしまう!」
「了」
「わぁやっぱりちょっと待って! ためらいもなく了承しないで!」
精霊さんの態度は完全にビジネスライクだった。
言われたからやっているだけで、特にわしに対して情とかそういうものはないらしい。
一瞬だけ刃が離された影響で、わしの首にとうとう刃が触れた。
ほんの僅かに、チクリと刺さって一筋の血が垂れる。
「うう……もうダメじゃ……。今度こそ精霊さん、頃合いを見て逃げてええよ……。もうわし覚悟決めたから」
「了」
頃合はあまりにも早かった。あっさり精霊さんは口を離し、刃の軌道の脇へと身を移した。
これでわしの首は一刀両断されて終わりである。
――はずだった。
精霊さんが逃げた瞬間に襲い掛かってくるはずの刃が、いつまで経っても下りてこなかったのだ。
ライオットはわしの首筋に切っ先を触れた姿勢のまま、凍り付いたように固まっている。
「ま、まさか。ここでとうとう剣の呪いを破ったのかの? ライオットお主すごいっ」
「……不味い」
はい?
一瞬だけ期待したわしの耳に届いたのは、いくらかトーンが下がっているものの、依然として甲高いライオットの声だった。。
「えェ……何コレ。無いワー……。久シぶりのドラゴンの血ダト思ッたら、何コレ。普通に不味イ……」
「ええと、お主? 呪いの剣さん?」
「アー……分カった。コレ、トカゲの味ダワ……。ドラゴンじゃ無イ。騙さレタ……酷イ見た目詐欺……」
絶賛乗っ取られ中のライオットは、不貞寝するようにごろりとわしの背で横になった。
「剣さん? ええっと、わしを見逃してくれるってことでええの?」
「コンなモの、食えルカ。アー……ヤル気なくシた。カッタるイ」
「ずいぶんアンニュイな呪いの剣じゃなあ」
こちらから見ても明らかにテンションがダダ下がりである。
それでも、下手に刺激してはまずそうだと思って様子を見ていると、ついに不貞寝から本格的な昼寝に移り始めた。
イビキの一歩手前みたいな感じに寝息が大きくなり始めたとき――
「……よし、勝ったぞ! 剣を握っても意識がある! 俺は呪いに勝ったんだ!」
ライオットがお目覚めになった。
意識争いに勝ったというよりも、譲ってもらったという方が正しいかもしれない。
「はっ。でも何で俺は寝転んでるんだ? まさか、一瞬だけ乗っ取られてたのか……?」
「一瞬どころではなかったよ? 見事なほど完璧に負けておったよ? まず、危ないから早くその剣から手を離して。またいつ乗っ取られるか分からん」
わしの助言を受けて、ライオットは渋々と剣を帯布にくるんで置いた。
危機の回避に安堵したわしは、再発防止のためにも今の試みが失敗したことを懇切丁寧に語る。
「いい? お主は完璧に乗っ取られて、わしも首を斬られてしまうところじゃったんじゃよ。わしの血が不味くなければ完全に終わっとった……」
「なるほど」
ライオットは神妙に頷く。
「さすがはレーヴェンディアってところか。血液にすごい毒が含まれてるんだな? 呪いの剣を無力化するくらいの。まさか弱体化してもそんな力を隠してるなんてな……」
「味の問題ね。毒とかではなくてシンプルに不味いんじゃよ、たぶん」
わしの自慢ポイントとして、夏場でもあんまり蚊が寄ってこないということがある。
決して美味しい味ではないのだろう。
「っていうことはこの剣、毒で死んだのか? まだ威圧感はあるけど……」
「だから生きておるって。わしに新たな罪を着せないで」
「アん?」
帯布にくるまれた剣が、いきなり喋った。
わしとライオットは目を剥いて動揺に身体を震わせる。
「たっ、単体で喋れるのお主?」
「当タリ前だ」
「俺を乗っ取るまでずっと普通の剣だったじゃねえか!」
「喋ル不気味な剣ナド誰も握ランだろうガ。常識的ニ考えロ。ボケどモ」
「あ、はい……そうですね」
わしとライオットは至極真っ当なことを言われてつい敬語になってしまう。
「アー……だるイ。ドラゴンの血。飲めネエじゃネエか……。クソめ……」
「なあお前、そんなにドラゴンの血が飲みたいのか?」
急にライオットが剣に向かって話しかけた。
「アァ。滅多ニ飲メン、オレの大好物だかラナ……」
「知り合いにドラゴンがいる。俺たちに協力してくれたら、そいつに頼んで血を分けてもらう。あいつ図体でかいから、バケツ1杯でも2杯でもいけるはずだ」
「ホウ?」
呪いの剣はかなりの食いつきを見せた。
「嘘ジャないナ? さッきミタイにゴミみたいな血じゃないナ?」
「たぶんあいつは毒とか持ってない。街の冒険者連中が素材にいつも狙ってるけど、解毒とかは特に言ってなかったと思う」
「毒? 何の話カ分からんガ――小僧。確かニ、貴様の服カラドラゴンの匂イがスル……」
わしは驚愕に目を丸くしていた。
まさかライオットにドラゴンの知り合いがいるとは。ドラゴンなんてそうそういるものではないのに、いったいどこで出会ったのか。
しかも血を分けて貰えるほど仲がいいとは――そのドラゴンがライオットと一緒になってわしを襲ってこないことを祈るばかりである。
ライオットと呪いの剣は、報酬のドラゴンの血の量をバケツ換算でしばし語り合っていた。
そして、交渉妥結の握手とばかりにライオットが柄を握った。
「イいダろう。オレの力、存分ニ使うガイイ……」
「おう! 恩に着るぜ!」
ちなみにこの交渉の間、手持無沙汰の精霊さんはわしの角を上り下りして遊んでいた。




