ヤンデレラビット
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操々の昇天とともに結界の崩落が始まった。
天と地は裂け、建物は崩壊し、エキストラは顔のないマネキンに戻ってガシャガシャと倒れていく。
「邪竜様! 脱出しないと!」
「し、しかしレーコのテンションが……」
「確かにそこは困るけど……出てから考えよう! 巻き込まれたらやばそうだし!」
シェイナは宴会場に飛び込むと、精霊さんを掴みあげてわしの背に乗せ、未だにもぐもぐと昼食を摂っているレーコに叫んだ。
「レーコちゃん! 緊急事態! いつの間にか魔物の結界に閉じ込められてたみたい! なんか崩れそうになってるんだけど、脱出できる!?」
「む?」
パンを齧っていたレーコは呑気な声を発し、牛乳で流し込んでからげっぷを一息。
それから、骨付き肉を片手に持ちつつ窓から外を見た。
「確かに結界が崩壊しているようだ……。いつから……? まさかこの王都は最初から……?」
「レーコちゃん! 今はそれ以上深く考えたらダメ! 思考を止めて。浅いところだけ認識して。とにかく脱出することだけを考えて」
「そうじゃよレーコ。いろいろショックかもしれんけど、今はそこに蓋をしておいて」
「なるほど。邪竜様の思念もそう仰っているなら、考えるのは後回しにしよう」
そう言うとレーコは、屋敷の窓を開け放ち、崩れかけた空に向かって短剣を振るった。
途端に、ヒビ割れた結界の天井を貫いて空間に風穴が空く。風穴の向こうからは現実世界の日光が差しているように見えた。
あれが出口ということか。
「あ、レーコちゃん。あたしとか精霊さんは飛べないでしょ? だからさ、この邪竜様の思念体に乗って行こうと思うんだけど、思念体だけじゃ人を乗せて飛ぶのは重量オーバーなんだって。レーコちゃんの力も貸してもらえる?」
「分かった」
レーコが手をかざすだけで、ばさりとわしの背中に翼が広がる。
「お主、レーコの扱いがかなり上手くなっておるね」
「むしろ邪竜様が下手なんだと思うよ。レーコちゃん、邪竜様をダシにしたらたいていのことやってくれるんだし、もっと頼ったら?」
「あんまり多用するとレーコがどんどん後戻りできないところまで行ってしまいそうでのう」
そこで、レーコがポンと手を叩いた。
「そうだ、すっかり忘れていたがライオットがいた。食事の前にいなくなったが、どこに……?」
しまった、とわしとシェイナは戦慄した。わしらも完全に存在を忘れていた。
「そういえばトイレに行ったみたいじゃったの。いやあ、食事の間ずっと出てこんとはずいぶんと長いのう」
「そうだったのですか。では奴はトイレの中で結界の崩落に巻き込まれて死ぬと……哀れな」
「いやいや。死にはせんって。ちゃんと一緒に連れ出してあげようよ」
わしがそう言っているうちに、シェイナが猛スピードで空き部屋からライオットを連れ出してきた。
全身を麻紐で縛られ、未だ眠り草で意識を失ったまま鼻ちょうちんを膨らませている。
「ライオット……? ずいぶん妙なトイレの仕方を……?」
「レーコちゃん。そういうのは深く掘り下げちゃダメ。たぶんこの洗脳くんにも深い事情があったんだと思う。触れないであげて」
「分かった。見なかったことにしておこう」
「どうしよう。今、ライオットの名誉がひどく貶められている気がするんじゃけど」
緊急事態だから仕方ない、とわしは自分に言い聞かせる。
今ここで彼に対する誤解を解いても特にメリットはない。このまま放置が最良の選択だ。
レーコは自前で翼を広げ、シェイナと精霊さんとライオットはわしの背中に乗る。
窓から飛び立つ先は、空に開いた出口の風穴である。
「いやあ。どうなるかと思ったけど抜けられそうだね」
「うんうん、このまま無事に脱出じゃね」
完全に気の緩んでいたわしは、シェイナと談笑する余裕すらあった。レーコが風穴に飛び込み、続けてわしも飛び込もうとしたそのとき。
「んぎゃっ!?」
突如として何かにぶつかった。
まるで風穴の手前に見えない壁でも生じたかのように、わしだけが侵入を拒まれた。
衝突の拍子で放り出されたシェイナや精霊さんは、その障壁をするりと抜けて現実世界へと戻ろうとしている。
――待て、ライオットは?
背を見れば、なぜか彼もわしと同じように障壁に引っかかっていた。いったいなぜ、誰がわしらだけをこちらに引き止めようとしているのか。
「邪竜様!」
現実世界に吸い込まれていこうとするシェイナが叫び、こちらに向けて懸命に何かを放ってきた。
そして放られた物体は「ぴたっ」とわしの尻尾に見事しがみつく――精霊さんだ。
「無事に――」
何かを言いかけて、シェイナはそれきり風穴の向こうに消えてしまった。
レーコが結界から抜けたせいか、わしに生えていた翼も途端に魔力を弱めて薄れ始める。
わしは慌てて高度を下げ、離陸した迎賓館の窓へと身を戻した。
あそこには操々の本体がいたはずである。こうなれば、また救命活動をして、その後に説得して出してもらうしかない。
根は悪い子ではなさそうだし。
しかし、窓から迎賓館に戻ったとき、わしは絶句した。
「レーヴェンディアぁ――っ!! よくもこのアタシを弄んだなぁ――っ!」
完全復活し、怒りに燃える操々がそこにはいた。
よく見たら結界の崩落も収まり、レーコが空けた空間の風穴も消えている。
そこで、操々がこちらに視線を向けた。
「ん……? レーヴェンディア……?」
しまった。目が合ってしまった。殺される。
だが、操々は予想外の動きを見せた。宴会場の部屋の隅までてくてくと歩いていき、壁に向かって三角座りをし始めたのだ。
「まだいたんだ。もうとっくに出たんだと思ってた。わざわざ引き返してアタシを笑いに来たの? ふんだ、どうせアタシは孤独なぬいぐるみですよーだ。偉大なるレーヴェンディア様なんかに相手してもらえると勘違いした、身の程知らずのピエロですよーだ。いいもん、殺したければ殺せ」
完全に不貞腐れている。
わしはライオットと精霊さんを床に転がして、せかせかと操々の元に駆け寄った。
「あ、あのね。わしはお主を弄ぼうだなんて全然そんなつもりはなかったよ」
「おかしいと思ってたんだ。邪竜レーヴェンディアともあろうものがこんなに簡単に結界に引っかかるなんて。あれは、上手くいったとアタシを誤解させて楽しんでたんでしょ? そんなことするなら、一思いに殺してくれた方がよかったのに」
「違うんじゃよ。確かに気付いてはおったけど……お主のご飯が美味しかったから、つい」
ぴくん、と操々の耳が縦にまっすぐ伸びた。
「美味しかった?」
「本当に美味しかったよ。わしも長いこと生きておったけど、お世辞抜きにお主の作ってくれた料理は最高じゃった。これからもずっと食べたいくらいじゃよ」
「ずっと……?」
「うんうん。ぜひ友達になって、またご馳走してはくれんかの」
操々が三角座りから立ち上がった。そしてこちらを振り向き、おもむろにわしの鼻先に飛びついてきた。
ただし、全身に禍々しいオーラを纏って。
「いいよ……もちろんだよ……。友達……トモダチ……。お望みどおり、毎日ずっとご飯を作ってあげる。この結界の中で永遠に、千年でも二千年でもずっと美味しいご飯を食べさせてあげる……うふふ……」
「あ、これはいかんポイントを踏んでしまった気がするの」
シェイナがレーコを乗せた手法を参考に、こんな状況で有効そうな褒め殺しを試してみたが、反応がいささか強烈すぎた。
偽王都は操々のテンションを反映するかのように、急激に修復されていく。
「ねえ、今日の晩御飯は何がいいレーヴェンディア? 何でも言って。好きなもの作ってあげる。あ、でも好物ばっかりは飽きちゃうかな? だってこれから永遠にここで暮らすんだもんね……」
「いかん。この子ったら目がイっておる」
最初から感情に乏しいぬいぐるみの目ではあったけど、今はそれに拍車をかけて光が消え失せている。
しかし、そこで会話に割って入る声があった。
「レーヴェンディア……?」
ライオットだ。ちょうど眠りから目覚め、操々がわしのことをレーヴェンディアと呼んだのを聞きつけたらしい。
「ん? 誰アンタ? アタシが配置したエキストラじゃなさそうだけど、どうして結界の中にいるの?」
「んなことどうでもいい。そこのドラゴン――あんた、荷馬じゃなくて本当はレーヴェンディアなのか?」
ぎろり、とライオットが睨みを効かせると同時、彼の眼前に剣が出現した。
わしの荷物の中にしまっていた剣である。それが瞬間移動してきたのだ。
しかも、突き立っただけで周囲にカマイタチのごとき旋風を起こし、ライオットを縛っていた紐をすべて斬り裂いてしまった。
「この剣――そうか、俺の意思に反応して来てくれたのか。ありがてえ。覚悟しろレーヴェンディア、俺はここでお前を」
そう言って剣の柄に触れたライオットは「ぎゃあっ!」と悲鳴を上げた。
柄からバチバチと電流のようなものがライオットに流れ込み、そのまま昏倒した。
「なにあれ、レーヴェンディアの知り合い?」
「知り合いといえば知り合いではあるんじゃけど……」
わしらが呆れているうちに、むっくりとライオットが身を起こす。
しかし、その眼は赤く染まっており、どう見ても元のライオットではなかった。
「ククク……レーヴェンディア……ブチ殺シテヤル……。血ヲ……モットコノ刃ニ血ヲ吸ワセルノダ……」
「わし、ここまで分かりやすく呪いの武器に乗っ取られてる人を見たの初めてかもしれない」
わしへの殺意が極限まで増幅されたのだろうか。
ライオットは正気をなくして、単純な殺戮マシーンへと変貌している。
ライオットだったものは、高笑いしながらわしに向かって剣を振り上げた。
「ギャハハ! ココデ終ワリダレーヴェン――」
「おらぁっ!」
ライオットの顔面に、操々による文字どおりのラビットパンチが炸裂した。
吹き飛ばされて壁にめり込んだライオットは、剣をからりと落として完全に沈黙。あまりにもあっけない最期だった。
「見たレーヴェンディア? 友達を守るために覚醒したアタシの友情パワーを……」
「友情うんぬん関係なくお主の素の力じゃない?」
ライオットの胸元が上下しているのを見る限り、まだ息はある。死んでなくて本当によかった。
「さ、仕切り直し仕切り直し。ゆっくりくつろごうねレーヴェンディア? 時間は無限にあるんだから……」
兎のぬいぐるみがわしの鼻先にしがみついて、ドス黒い瞳でブツブツと今後数千年の生活計画を語ってくる。
もはや逃げ道はないようだった。




