夜には少し思い出話を
当然ながら、わしの鈍足ではどこの街にも辿り着かず、草原のど真ん中で野宿となった。
燃える枯れ木がパチパチと火の粉を弾けさせている。
「じゃあ晩飯にしようかの。レーコは荷物の中から好きなものを食うとええ」
わしにとっては見渡す限りが食料の宝庫である。山奥の草木よりも若いものが多くて食べ応えは薄いが、その代わりに新鮮な瑞々しさがある。
レーコは干し肉とビスケットを選んで黙々と食べている。どちらも保存の利くように水気が抜かれ、相当堅くなっているはずだが、まったく意に介する様子はない。わしより顎の力が強そうだ。
と、早くも一食分を食べ終えたレーコの視線が夜空を向いて、
「上をご覧ください邪竜様」
「ん? どしたの?」
「凶兆の星相が出ています。凶とはすなわち闇を統べる邪竜様の意そのもの。これは天すら邪竜様の覇道を阻めぬという証左です」
ほうほう、とわしは頷いて、
「この際だから内容には触れんでおくけど、お主は星を見るのが好きなんじゃの? そういえば村を出るときも満月がどうこうと言っておったし」
星を見るのは少女らしい趣味でよいが、そこに不穏当な解釈を絡めてくるのはちょっとやめて欲しい。
「いえ。好きというわけではありません。ただ、昔から星の見える場所で暮らすことが多かったものですから、つい夜になると見てしまうのです。人間だった頃の癖を引きずるとは、眷属としてあるまじきことだとは分かっているのですが――」
「うんにゃ、構わんって。どうせこの草原じゃ他に暇を潰せるものもないしの。好きなだけ見るとええ」
そこでレーコは「はっ」と何かに気づいた表情となった。
「――了解いたしました。なるほど満月は邪竜様にとって極上の魔力源となる夜よりの供物。ならば眷属の私は月の破片のごとき星の光をいただきましょう」
わしは「うむ」と鷹揚ぶって答える。
今度の言い回しはなんとなくその奥にレーコ本人の意思が垣間見えた気がしたので、いつもの危険さは感じず、それどころか少しだけ愉快だった。
「どうじゃな。これから長い付き合いにもなろう。星を見ながらお互いの話でもしてみんか? よく考えてみればいろいろ忙しくて、ろくに自己紹介もできとらんじゃろう?」
「何を仰います邪竜様。私の短い生涯など、魂を食べられたときにすべてご了知されたはずです」
あ、そうなの。魂食べたらその人の過去を把握できちゃうんだ。
今後は気を付けよう。
というか、この子の脳内設定がどうなっているか一度紙とかに全部書き記して欲しい。その通りに合わせるから。
「あー……そうではなくてな。気分の問題じゃ。単に知っているのと、言葉を介して本人の口から聞くのとでは重みが違う」
「重み……? よく分かりません」
「つまり、お主から直接聞いてこそ、真に理解を深められるということじゃよ」
言い訳が苦しいかと思ったが、レーコはしばし視線を仰ぎ、やや首を傾げつつも頷いた。
「かしこまりました。私などの話で邪竜様のお耳を煩わせるのは大変に恐縮ですが、ご厚意に与りまして卑俗なる人としての半生を語らせていただきます」
「あ、ちょっと待って」
レーコが喋り始める前にわしは制止をかけて、
「お主、以前は奴隷だったんじゃよな?」
「はい。そこを幸運にも生贄として買われた次第であります」
幸運かのう、とわしは内心で思うが口には出さない。
「もし奴隷時代のことで喋りたくないこととか、辛いことがあったようなら無理に喋らんでええからの。生贄役として買われてからの話でええ」
村に来てからなら、そう悪い待遇ではなかったろうと思う。
仮にも邪竜に捧げる娘を病気にするわけにはいかないだろうし、あまり痩せ細らせてもいけない。
あと、ライオットがいた。
あの少年は何かと気を配っていたようだし、劣悪な状況にレーコが置かれていたら抗議していただろう。
「ご配慮には感謝いたしますが無用です。奴隷であったときもとりわけ不当な扱いを受けた覚えはありません」
「本当かの?」
普通なら安堵するところだが、レーコの場合は分からない。酷い目に遭っていても平然とそれを日常として受け容れそうである。
「はい。何でも私の親は――会ったことはありませんが――人間としてはそれなりに力の大きな者だったようです。その血筋のせいか、私は高級品という扱いだったので、価値を損なうような目は受けませんでした」
だから星が見えました、とレーコは繋ぐ。
「寝所の牢には、私だけ特別に窓がありました。月明りがよく見えて綺麗だったのを覚えています。今にして思えば、あの怪しくも優雅な輝きは邪竜様のご意思を鏡のごとく映していらっしゃったのでしょう。ああ……感謝いたします。あの頃から既に邪竜様は私を見守ってくれていたのですね」
とんだ誤解である。
たぶんその時分のわしは、草を食って寝るだけの毎日を過ごしていた。
「すると、親御さんは亡くなっとるんかの」
「分かりません。力があっても人間性が伴うとは限りませんので、金策に我が子を売り払ったということもありえます」
どちらにせよ、そんな親ならばいない方がましなくらいだ。
力があるのなら、それを使って娘を守ることなどいくらでもできるのだから。
「生贄に買われてからはもっとよい暮らしをさせていただきました。礼拝は今にして思えば愚かしい習慣でしたが、聖典を読む教養として読み書きを教えてくれたのは面白かったです。文句があるとすればあの忌々しい――ライ」
「うん、誰のことを言おうとしてるか分かったから、あんまり文句は言わんであげて。わし、どうもあの子が他人と思えんのよ」
主にレーコの被害者仲間として。
彼は今何をしているのだろうか。わしに石を投げた件で村人たちからこっぴどく怒られているだろうか。もう少しは弁護してやればよかったろうかと思う。
「ともかく、私は十年あまりですが幸運な人生を歩めたと思っています。なにせ最期に邪竜様の眷属にしていただける栄誉に巡り合えたのですから」
「『十年あまり』とか『最期』とか、まるで死に際に人生を振り返るような発言はやめなさい。まだお主は生きとるんじゃよ? そこを忘れんといてな?」
「はい。人としてではなく竜の眷属として生きております」
「同じようなもんじゃと思うんじゃけどなー」
実質同じである。眷属なんてレーコの思い込みに過ぎないのだから。
「ま、そしたら今度はわしの番かの。そうじゃな、いつごろの話から――」
言いかけて気づいた。
よく考えたら、わしは邪竜として振る舞わねばならないのだから、腹を割って正直に生涯を話すわけにはいかないのだ。
要約すると「5000年間ほとんど草食べて寝てた」の一言に集約される情けない人生もとい竜生を語っては、レーコが魔力の依存先を失って暴走し、ここに新たな邪竜が生まれるおそれがある。
ちなみにそうなれば当然わしは死ぬ。
「ああ――よく考えたらわしの生涯を語ろうとすればこの夜が永劫に続こうとも刻が足りんな」
結局わしは煙に巻く戦法に出た。汚いやり口だが、嘘も苦手な以上これしかないのだ。
だが、話の腰折れに落胆するかと思ったレーコが見せたのは、意外にも穏やかな微笑みだった。
彼女はそっと胸に手を添えて、
「大丈夫です邪竜様。私は既に、この心へ直接お言葉をいただいております。その長きに渡る生涯の偉業すべてを克明に。その証拠に、私はまるで見てきたかのように思い起こすことすらできるのです。あの大いなる天地動乱の折、返り血に赤く染まった邪竜様が無数の屍の上に立って咆哮している姿を――」
わしはただ表情を殺して焚火の弾ける音を聞いていた。
断言できる。
わしにそんな過去はない。




