第7話 物件探し
癌ではなかったので、生き方を派手にする必要も人生を急ぐ必要もなくなったのだが、おかげさまで、自分の人生をじっくりと考えることができた。
マキノは、心の求める方向を自覚して、やりたかったことを徐々に現実的に考え始めていた。
「田舎で暮らす」「田舎生活」「古民家カフェ」「スローライフ」こういう指向が最近は増えている。新しいものや、便利な物、近代的で刺激的な物に魅かれる反面、少し不便でも自然の営みが感じられるゆっくりした生活がしたいという憧れ。
それは、おそらく誰もがもっている本能だと思う。
このあいだツーリングに行ったあのペンションはとてもよかった。観光地からは少し離れていて、特に何もないけれど、町からそれほど離れていなくて、川と山があって国道が通ってて、ナチュラルな生活ができる。いろんな面で条件がそろってる。
それに、タツヒコさんや山本モータースさん、ポムドテールさん。出会った人がみな、いい人ばかりだった。旅の途中だから5割増しでいい人に見えるのかもしれないけど。
もとから食べることには興味があったし、食べるだけじゃなく作ることも好きだ。
まずは、私程度のお料理の実力でもできるのかどうか。今のままじゃ自分が不安。調理に関してはもう少し勉強をしたい。少しでいい。おこがましいかもしれないけれど、こだわりを持って、器にも凝って、丁寧に、愛情を注いで、自分が納得できるものを作れば、私のお料理でも気に入ってくれる人も現れる気がする。サクラみたいに。
自分が出したお料理を見て、「わあ、すてき~。」とお客さんの顔がほころんだら。
ひとくち食べて、「わあ、おいしい。」と言ったら。
食べ終えて「ごちそうさま。ゆっくりできてよかった。ここに来たら元気になれるわ。」
そんなこと言ってもらえたとしたら。
お客様から、笑顔がいっぱい返ってきたら。きっと、きっと、自分自身が、すごく幸せ・・。
ああ、楽しい。楽しすぎる。妄想がこんなに楽しいなんて!!
・・そうなのだ。・・まだ妄想の域。
でももう、この妄想は止まらない!
さてしかし、妄想だけでは進まない。とにかく現実を見よう。まずは資金から。
貯金はいくらあるか。仕事を始めて1年半、浪費家ではないつもりだが、切り詰めた生活もしていなかったからそれほど貯蓄はない。
母さんが私のために貯めてくれてたい分は、一人暮らしをし始める時、家具家電をそろえて減らしてしまった。これじゃあ何にもできない。
思えば、母さんにはいろいろ心配をかけてきた・・。今回もだ。母さんに、検査の結果がどうだったかの報告をしなければ。そうだ実家に帰るのも一つの手かもしれないと思いついた。
マキノは、いつもと変わらぬ様子で「母さんのごはん食べさせて」と電話をし、何食わぬ顔で帰ってきた。
「ただいま。母さん。」
「おかえり。」
「検査の結果ね、結局大丈夫だったよ。でも半年に1回、定期的に検査においでって言われた。それでしばらく様子見て安定しているようだったら、1年に1回でもいいんだって。」
「そう、よかった。」
「今日はもう、万里子姉は帰ったの?」
「今日は早かったのよ。予約が少なかったみたい。」
「そっか・・。」
「肉じゃががあるよ。早く食べなさい。切り干し大根とお味噌汁も。」
「ん。ありがとう。」
これまで、あたりまえに食べていた母さんの料理を意識するのも、いいかもしれない。たまにはお手伝いもして。
「ねえ母さん。」
「なあに?」
「ハイツ引き払って、ここに帰って来てもいいかしら。」
「私はいいけど、荷物が入らないんじゃないの?」
実家には、姉が先客で半分居候状態になっていた。
「ちょっとやりたいことができちゃったから、お金を貯めたいんだ。」
「へえ・・・マキノがお金のことを言い出すなんて、何かしら。」
「できるかどうかもわからないし、今はちょっと内緒。時期が来たら言うよ。」
とにもかくにも、先立つものはお金。しっかり貯めるには実家から通うにかぎる。今は会社の近くにハイツを借りているが、実家からだと1時間と少し。バイクで通えば40分。充分通勤可能だ。
思い立ったが吉日で、マキノは、万里子姉に直談判し、姉が占領していた部屋を少しずつ侵略し返し、スペースを確保して半月後にはお引っ越しを強行してしまった。
「前はあんなに一人暮らししたがってたくせに、マキノは何をたくらんでいるのかしら・・。」
万里子姉がブツブツ文句を言い、怪しんでいた。
「うふふん。おいしいでしょ?それ。私が昨夜作ったんだよ?」
万里子姉が食べているのは、昨夜遅くに作って冷やしてあったプリンだ。
「うん、おいしい・・。寒い時期にあったかい部屋で冷たいデザートを食べる。贅沢ね。」
「幸久義兄さんにも持って帰ったら?」
「あらいいの?ありがとう。」
プリンはかわいい瓶で作ったのでフタもできる。我ながらおしゃれにできた。でも、材料大よりもビン代のほうがお高いのが玉にきず。
家族の前ではお料理や家事を積極的に担当して点数を稼ぎ、レシピの試行錯誤を兼ねる。お菓子を作って家族に貢ぐのも、転職するとなった時、家族から納得してもらうための地盤固めでもある。我ながら周到な計画だ。
少しでも知識が欲しいので、サクラとは話題になっているカフェやレストランにときどき繰り出してはお料理についての情報を集める。本当は専門学校で学びたいが、学費が高すぎる。大学まで甘えてきて、これ以上母さんに甘えるわけにはいかないし。そもそも、こんな計画を企てていることをどう伝えたらいいかわからない。
いろいろと悩みつつ、ネットで調べていると「カフェ開業講座」というものを見つけた。
社会人向けクラス受講料二十万円也:全カリキュラム十六回 週1回土曜日の午後1時~。仕事に影響なく4カ月で終了できる。コーヒー専門店のカリキュラムだから実践的にできている。学習の内容は浅いのかもしれないけど、最低限の知識ぐらいは得られるのでは・・。
とりあえず正しいコーヒーの淹れ方を学んで、おいしいコーヒーを出すことができれば、カフェを開く資格が得られるような気がした。それだけでも不安が一つ解消できる。コーヒーの淹れ方が奥深いのは分かっているがこの際は妥協。カフェを開いたあとで知りたい事が見つかった時は、都度都度、必要な時に勉強すればいい。
実家に戻って以来、マキノはやたら熱心にお料理やお菓子を試作したり、料理教室や体験教室について調べていて、それを横で見ていた母さんがどう理解したのか、ある日突然「お料理の教室に行きたいんでしょう?」と二十万という大金のお小遣いをくれた。
カフェ開業コースとお料理教室を同じと思っているならば、だいぶ理解がずれている。それに、最近はかっちりと貯めてるから、本当はそれぐらいのお金はあるのだ。
母さんは、自分の娘が癌かもしれないと思って、なるべく好きなことをさせてやろうとか思ったのかもしれない。誤解されているのなら、それを解いてお小遣いも辞退すべきかなと思うが、今はそんなきれいごとを言ってかっこつけられないくらい現金が重要な時。母さんには丁寧にお礼を言って甘えることにした。
「私、癌じゃなかったから長生きするよ?もう大丈夫だよ?でも甘えさせていただきます。これで、貯金に手をつけずに好きな勉強ができます。」
「はいはい、頑張ってくださいな。無理せずにね。」
「ありがとう。大事にとっておいて、時期が来たら教室に行かせていただきます。」
「あら、今すぐではないの?」
「うん。時期が来たら。」
「ふぅん。」
これで知識を得られるとなれば、次は場所だ。
ネットで調べてみるが、田舎は空き家がいっぱいあると聞くわりに、御芳山周辺では古民家の物件があまり出ていない。物件の所有者がネットにつながっていないのかもしれない。役場が空き家の管理をしている場合もあるし、現地の不動産屋さんを訪ね歩けばうまく当たるかもしれない。御芳山に限らずとも、よく似た条件の田舎もあるだろう。温かくなったら、日帰り可能な距離の田舎を、バイクで走り回って様子を調べよう。
マキノは温かくなるのを、じりじりしながら待つ日々を過ごした。
会社に勤めて3年目の四月。春になった。
移動があるかと心ひそかに期待したが、部署も担当も上司も変わらなかった。はぁまたか・・と覚悟をするところだが、実は以前ほど会社が苦痛ではなくなっていた。苦手な糸原女史は、相変わらず歯に衣着せず毒を吐いたりもしていたが、マキノに対してだけではなくどちらの方面に向かっても持論を展開しているのだと分かった。
客観的に見れば、敵を作って損をしているのではないかなと心配になったり、案の定デスクとデスクの狭間や、給湯室や、時折代理店さんからも、糸原女史の四角四面な態度への批評がこぼれ聞こえてくることがあった。
現金なもので、こういうものかと理解すれば、本人からの当たりは今までと同じでも心に余裕もできたし、自分と同じ感じ方の人がいると分かれば、意見の食い違いもこわくなくなった。会社での居心地は悪くない。
一方、貯金もぐいぐいと貯まって来ている。
温かくなってきたからバイク通勤も開始した。定期代を節約できるし、その勢いで休日ごとに田舎めぐりをするのだ。
平日の空いた時間に不動産屋さんと町役場で空き家状況を確認しておいて、休日に現物を確認しに走る。調べても調べても、古すぎたり小さかったり大きすぎたり、大きな改修が必要だったりして、ちょうど良い物件はなかなか見つからなかった。ペンションポムドテールの近く辺りがどうも心惹かれるが、なるべく先入観を捨てて他府県も見て回る。
不動産屋さんでアドバイスを求めると、物件は随時追加され入れ替わって行くので、今出ている物だけで判断しなくても大丈夫だと言う。逸る気持ちを押さえて、納得いくまで気長に何度も確認することにした。
夏が過ぎ、秋になり、十月のある日曜日。不動産屋さんに足を運ぶのも何度目かになり、担当の村上さんとは、すっかりおなじみになっていた。
マキノがデスクに座っている村上さんに会釈をすると、彼はニッと笑って、何も言わずに物件をひとつ、マキノの目の前に差し出した。
説明によると、最近老夫婦が引っ越して行ったばかりという古民家で、見ると広さや立地、条件が、希望にほぼ合っている。
そして、住所を聞いて地図を確認して、マキノは息をのんだ。
一番最初にこの辺りだったらいいなと思っていた、あの町の、ペンション・ポムドテールともあまり離れていない場所だ。
「ここ、見せてください!」
「いいですよ。今すぐ、見に行きましょうか。」
村上さんは、マキノを乗せて現場へと車を走らせた。川沿いのその古民家の詳細を、助手席に座って何度も確認する。
いい物件だったらいいのに。ここに決めたい。まだ見る前から、ドキドキしはじめた。
国道を走っている時は、川が見えていたが、道を一本はずれて、畑や民家があり少し川から離れたかなと思ったら、すぐにその物件に到着した。
それは、木造瓦葺きの、ごく、ごく、普通の民家だった。
玄関の前には車が充分3台は停められる広さがある。道側からみると1階建て。
家の横の坂道から裏庭に回れて、道の反対側から見ると2階建てになっていて。勝手口もある。裏庭にも車は何台か止められる。そしていく本かの庭木が植わっていて、小さな畑があった。両隣の家とは間隔があいていて、広々としている。絶景と言うわけでもないが素朴な環境に気持ちが和んだ。
裏庭の向こう側には何段かのよその畑があって、その向こうに、一級河川の紀野川が流れている。せせらぎの音がかすかに聞こえていた。
物件を探している時もこの辺りには来たことがあるのだ。紀野川を跨ぐ橋があるはずだ。両岸にそびえる大きな岩の壁や、澄んだ水が瀬を作り、小さな滝になっているきれいな場所だ。しかし、それは裏庭から直接は見えなかった。
この町を通過する大方の車は新しい国道を通る。十年前ぐらい前まではこの家の前が国道だったが、今はこの道は交通量が少ないので、この家は車の出入りがしやすい。
元の持ち主の老夫婦は、都会に出て行った息子夫婦のところに同居することになり、この家を手放すことになったと聞いた。直前まで人が住んでいたので、そこに暮らすだけであれば補修の必要もなかった。引っ越しをしてくるなら、マキノがひとり暮らししていた時の家電や家具もあるから、新しく購入しなければいけない物は多くない。
ここならすぐにでも住める。これを逃すと、これ以上の物件は見つけられないだろう。
心は、決まった。
「ここにします。」
マキノは、そう村上さんに宣言した。