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第2話  紅葉

 相変らずの仕事のプレッシャーの中で献立を考えるうちに、作るよりも食べる方に心のウエイトが傾いてきたマキノは、サクラとの飲み会をひとまず棚に上げて、まず一泊旅行を企てることにした。

 先日本屋さんで見て脳裏に残っていた雑誌を探して購入し、気になっていたペンションのページを見つけだした。

 御芳山の近くだ。そちらの方面なら、バイクでなら二時間あまりで行ける。日帰りも可能な手頃な距離だ。問い合わせると二週間後に空きがあったので、早速宿泊の予約をした。11月の半ばまでなら、周辺の紅葉が見頃らしい。その雑誌の紅葉特集のページに、ライトアップをした公園の写真も載っていた。

とりあえずそれを今回の旅行の目的と定めた。


 あっという間に二週間が過ぎて、出発当日になった。

 目的は夕方なので、午前中はだらだらと家事掃除に費やす。お昼前に軽く食事をとってからようやくジャケットを着こみ、出発の用意をした。

 朝から曇り空で、すこし薄暗い。

 愛車はホンダのVTR250、黒のネイキッド。ヘルメットも黒。バイクウエアは少々派手な黒赤。長い髪がヘルメットの後ろから風になびくのに憧れたけれど、マキノは一度も髪を長く伸ばしたことがなかった。


 十一月初旬は快適な季節だが、バイクでの旅となると寒くて厳しい。しっかりライダースジャケットを着こみバッグを背負い駐輪場へ。バイクを押して方向転換したが、なんだか少し重く感じる。キュルルンとエンジンを始動。ブウゥンブゥンとアクセルを開く。よく回るエンジンだ。マキノはハイツの駐車場から走り出た。


 バイクのエンジン音は軽く小気味よく響く。風は少し冷たい。慣れた道から幹線道路へと出て、頭の中の地図を頼りに案内標識をしっかり確認しながら走る。目的地方面行きの国道に出るとしばらくは道沿い。簡単だ。

 順調。

 1時間半ほど走って、ようやく一級河川の紀野川が見えた。

 次のT字路で左折して、そこから川沿いを十分ぐらいを走り右折。橋を渡って国道から離れ、地元の複雑な道を看板を頼りに山の方へ入って行く。

 秋は日が落ちるのが早い。夕方になって薄暗くなってきた。急なカーブが続き薄暗くて、予測がしにくく少し走りにくい。観光地のにぎやかな街並みを想像したが、思っていた以上に山道だ。

 国道からそんなに離れていないはずだが・・と、少しばかり心細くなってスピードを落とした。

 その時「ピイッ」と生き物の鳴き声のようなものが聞こえた。

 少しばかりぞわっとしたら、今度はハンドルから違和感。マキノはどきりとして車体を倒さずに少しずつブレーキをかけた。

 比較的平らな場所を探して走る。元からスピードは30kmぐらいしか出してはいなかったが、速度を落として次のカーブにさしかかると明らかにハンドルがぐにゃりと取られ、これが気のせいではなく、否応でも自分のバイクが何らかのトラブルを起こしているのがわかった。


 バイクを停めてタイヤを確認すると、前輪の空気が減っていた。

 完全にぺたんこではなかったので、何かを踏んでパンクしたのではなく、すこしずつ空気が減ってきたのだろう。

 ああそうか、朝バイクを出してくるときに、いつもより少し重く感じたのは空気が減っていたせいだったのだ。うかつだった。

 午前中たっぷり時間があったのに、バイクをもっとよく見るべきだった。

 自分の運転技量に自信があるわけでもなく、状態を見てしまうとこのまま走るのは怖かった。

 後悔しながらバイクショップを検索しようとスマートフォンを出すと、バッテリーが少ない。ペンションに行けば充電器があると思っていたから気にもしていなかったのだ。

 電話すらあまり無駄には使えない。何から何まで、うかつだ。

 とりあえず登録していた宿の電話番号を探してかけてみた。しかしアンテナのマークが消えたり立ったり。電波が悪い。呼び出音が鳴った。

「もしもし? もしもし?」

 プツッ・・切れた・・。

 もう一度。

 ・・プーップーッ。

 今度はつながらない。ダメだ。つながっても話せないだろう。電波の状態が悪すぎる。

 電話が使えないとは・・。こういう時のためロードサービスの契約はしているが、それも電話が通じない事にはどうしようもない。

 何度確認しても、スマートフォンのアンテナは心もとなかった。



 さあ・・どうしようか。来た道を戻るか、このまま歩いて人家のあるところまで行くのがいいのか。いろいろ考えている間に暗くなってきた。

 それにしても、さっきの「ピイッ」て声はなんだったんだろう。獣か鳥か・・。車が通りかかるのをここで待って、携帯の電波が飛ぶところまで乗せてもらうよう頼むのが現実的だろうか。

 少し待ってみよう。・・車は来るだろうか・・どんな人が運転しているのか。

 緊張する。

 パンクが判明してからどれぐらい時間がたったのだろう。

 その時、ほつっと、頬がわずかにぬれたのを感じた。こんな場面で雨?・・。

 ジャケットもパンツも防水加工だけれど、細かい霧のような雨がヘルメットを脱いだ髪と肩をじわじわと湿らせてゆく。防寒性の高いウエアだから寒くはないし、レインウエアを出すほどの雨でもない。カラダの中身は無事だったが、心のほうが追い詰められてきた。このまま誰も通らなかったらどうしよう。やっぱりこのまま走らせてみようか・・。違う次元にでも迷い込んだかと思うぐらい時間を長く感じたが、ようやく自分が走ってきたのと同じ方向から車のライトがちらちらと近づいてくるのが見えた。

 ああ・・これで助かる。こちらを向いたまぶしいライトに手を振ってアピールすると軽トラックのおじさんが気付いて停車した。

「どうしたの?」

「バイクがパンクしちゃって、電話も通じなくて困ってたんです。携帯の電波が届くところまで乗せてもらえませんか?」

「いいよ。」

 マキノは助手席側に回って、荷物とヘルメットを持って軽トラックの助手席に乗り込んだ。

 バイクはハンドルロックをかけて、通行のじゃまになったり倒れたりしないか確認してある。雨から逃れられることには少しほっとしたが、知らない人の車に乗るのは、勇気が要った。

「ありがとうございます。すみません。」

「この辺・・イノシシが出るよ?」

「えええっ。そうなんですか?さっき、ピイッて声がしたんです。」

「ああ、それはシカの声だ。」

「イノシシと、シカ・・・」

 思った以上の大自然具合に驚愕していると、パンクの現場から3分もしないで観光地らしい町中に出て、そのおじさんは,「ここなら電話が通じると思うよ。」と車を停めて言った。

 なんだ、こんなに近かったのか。距離的には歩けないこともなかった。けど、何もわからない状態ではそんな判断はできなかった。乗せてもらって正解・・。ありがとうございました・・と車を降りようとしたら、「今日はこの辺で泊まるのかい?」とたずねられた。

「いえ、宿は紀野川沿いの方なんです。今ライトアップしてる紅葉が見たくて来てみたんですけど。」

「なるほど。・・宿どこって?ペンションの名前は?」

「ペンション・ポムドテールっていうところです。」

 あれ?・・わたしペンションって言ったっけ?と思いながら答えた。

「やっぱり・・。どうやって行くの?」

「バイクは、ロードサービスにお願いして。自分はバスか電車かタクシーか・・・と思ってるんですけど。」

 どうしたらいいか考えながらぽつぽつと言葉をひねりだしていると、お兄さんが遮った。

「この辺、君が思ってるより交通が不便だよ。タクシーは呼べばあるけど。またバイクの所まで戻るの?」

「・・・。」

 マキノは黙り込んだ。

 連絡すればバイクはロードサービスで運んでもらえるけれど、それには、さっきの場所まで戻ってイノシシとシカに脅えながら待機する必要がある。来てくれるまでどれぐらい時間がかかるのかもわからないし、サービスカーには人間様本体は乗せてもらえないことになっていたはずだ。どうやってペンションまで行くか・・。

 マキノは、考える気力が失われていくのを感じた。雨も降ってるし。心の底から悲しくなってきた。でも仕方ない・・「何とかします」と言おうとした。

「あの余計なことかもしれないけど・・ここから10分ぐらいのとこに僕の知り合いのバイク屋があるよ。」

「!?」

 すぐに来てもらえるのが一番ありがたい。マキノは、おじさんの申し出にとびついた。

「電話番号を教えていただけますか?」

「いいけど。・・・おせっかいのついでに僕が電話しようか?」

「!!?」

人様のご厚意には甘えるものだ。

「助かります。」

「あと、君をペンションまで送ってあげてもいいよ。」

「!!!?」

・・いや、いやいや、そこまでしていただくわけには・・。

「自宅がそっち方面だから・・。」

「ほんとにいいんですか?」

なんだか、このおじさんに後光が差してきた。ここ最近、こんな親切に出会った事がない・・。

「いい?バイクのこと電話するよ?」

「はい。」

「・・あーもしもし。うんオレ。お願いがあるんだけど・・。」

 おじさんが電話しているうちに、自分もバイクのトラブルで遅れるかもしれないと宿に連絡を入れた。

 おじさんはバイク屋さんと親しげに電話をしている。それをこっそり観察した。

 よく見るとそんなにおじさんでもなさそうだ。何歳ぐらいだろう。三十五歳?四十にはなってないぐらい?お兄さん・・と言えるかな?そういえば声も若い。作業服。あんな山の中で何をしていたのかな。へんな靴だ。和服の時の足袋のように親指だけ離れてる。これは地下足袋というものだろうか?さっきまでは言葉数が少なかったが、モータースさんとは気安いらしい。軽口が聞こえる。わたしのバイクをどうするのかを話しているのはわかったが、地名や固有名詞は何を指しているのかもわからず、自分のことなのにどういう話になったのかよくわからなくなった。ぼんやりしている間に電話は終わっていた。

「山本モータースに連絡はついたよ。引き上げてくれるからキーを持って行こう。バイクの場所はもう説明した。」

 さっきまで自分がしゃべっていた携帯電話の履歴をわたしに見せた。

「これ、バイク屋の電話番号。着いたら念のためバイクのナンバーを言っといて。」

 ブルン・・ゴゴゴゴ とエンジンをかけて軽トラックは再び動き出した。



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