第94話 伊織飲み過ぎる
「セリーヌ」
「はい」
「お姉さん達とはまたいずれ会えるんだから、別れの挨拶は必要ないと思うよ。いってきますって挨拶してからネード商会へ来たらいいよ。マール」
「はい、先生」
「セリーヌと一緒に来てくれる?」
「わかりました。あとで向かいますね」
伊織はネード商会へ着く。
正面からではなく搬入口へ向かった。
そこにはなぜかミルラが待っていた。
「おかえりなさい。お兄ちゃん。出来たんでしょ? 連れてってくれるんでしょ?」
伊織の腕に抱き着いてくるミルラ。
「うん、今回は数日後になると思うけど。ちゃんと連れていくからさ」
「やた! お兄ちゃん大好き」
伊織は妹もいいもんだなと思うようになってきていた。
この世界に来たとき、伊織はひとりぼっちだった。
人を信じられず、人見知り全開だった。
でも、色々な人と会い、そして少しづつ信じることができるようになってきた。
不安から逃げるためにコボルトを狩り、苛立ちを解消するためにオークを狩った。
あの国に対しての腹立たしさから今回の街づくりを始めた。
他人に対して何かをしてあげたい。
大きな力を持っていることに酔わず、大勢の人たちのためになればと。
結局、勇者として何ができるか考えた末の自己満足。
今出来ることを全力でやるだけ。
その夜、セリーヌを加えた五人でネード商会のリビングに集まった。
「先生。ギルドの募集の方は終わってますよ」
「うん。ありがと」
「イオリさん。三年間の租税免除は取りつけました。街を大きくする約束はさせられましたけどね」
「うん。セレンには苦労かけるけど助かるよ」
セリーヌとミルラが料理を持ってくる。
「イオリさん、晩ごはんできましたよー」
「お兄ちゃんたち、ほら書類どけて。汚れちゃうよ」
「「「「いただきます」」」」
「はい。どうぞー」
「悔しいけど、美味しいです……」
この中で唯一料理の苦手なセレン。
ミルラは伊織と同程度料理は出来る。
マールとセリーヌは得意だ。
「いいんですよ。姉さんは領主様なんですから」
マールが止めを刺してくる。
「マールちゃん……ひどいわ」
「あははは」
ミルラは三人の右手に光る指輪を見て。
「でもさ、お兄ちゃん凄いよね。もう三人もお嫁さんいるんだし」
「えっ。それはその……」
伊織はちょっと困った。
この場で改めて言われると、さすがに何も言えなくなる。
「でもね、先生は皆を養うだけの収入も余裕であるのよ。それに私たちはただ養われるわけじゃないし」
マールがフォローしてくれている。
「私、何ができるんでしょうか……」
セリーヌがちょっと不安気な顔をする。
「大丈夫ですよ。先を読んで動いてくれているセリーヌちゃんの働きは先ほど痛感しました。ここまで周りに気を配れる人はなかなかいませんから、すごく助かりますよ」
「そうですか。よかった……」
「沢山の書類を見終わって背伸びをしてるときに、何気なく肩を揉んでくれたり。欲しい時にお茶を出してくれたり。私、女としてちょっと嫉妬してしまいそうになりますよ……」
セリーヌの私物はマールが格納して持って来ている。
今回必要なものは馬車に積み終わっていた。
セリーヌはネード商会に泊まり、伊織とマールは私物を整理する予定で部屋に帰った。
伊織の荷物はそれ程多くはない。
ほとんどストレージに入ってしまっているからだ。
久しぶりに伊織はまったりと酒を飲んでいた。
封を切ってしまったものは飲んでしまわないともったいない。
「ふぅっ。うまいなー」
コンコン……
「あいてるよー」
カチャッ
「お邪魔します。先生」
マールは靴を脱いで足早に伊織の隣に座る。
「はい」
コトン
いつもの雑穀酒のジュース割りを貰うと一気に半分飲んでしまう彼女。
「ぷぁっ。美味しいですねー」
「すっかりマールものんべさんになったね」
「お酒ってこんなに美味しいものとは思ってませんでしたからね」
伊織も一緒に飲んでくれる人がいるのは楽しい。
「荷物整理終わったの?」
「はい。全部ストレージに入ってますよ」
「それにしても、かなり頑張ったんだね」
「そうですね、テント一つ分くらいは入るようになりました。でも、まだまだ先生にはかないませんよ」
マールはここ数日、仕事時間以外でも伊織のことを先生と呼ぶ。
よく見るとマールは浴衣姿だった。
伊織にすり寄ってくるマール。
「せんせ。お願いがあるんですけど」
「なにかな?」
「……抱いてください」
「こうかな?」
ぎゅっ
「もう、違いますよ。変なとこで鈍感なんだから……」
マールの顔が近づいてくる。
伊織はちょっとしたいたずらを思いついた。
伊織が飲んでいる雑穀酒を口いっぱいに含んでおく。
目をつむっているマールの唇が触れて、彼女の舌が入ってきた瞬間。
彼女の喉の奥に生のままの強い酒を流し込んだ。
「ん、ん、んーーーー! な、なんてことをしゅるんで……しゅか──」
マールは伊織の腕の中でダウンしてしまった。
伊織は彼女を抱き上げてベッドに寝かせる。
ソファに戻ると、また飲み始めた伊織。
「ぷはっ。久しぶりに酒を飲んでるんだから。ゆっくり飲ませてくれてもねぇ」
今夜の伊織は色気より酒だった。
翌朝、伊織より先に目を覚ましたマール。
「またこの展開ですか……てか、お酒くさっ」
確かに最近ほとんど飲む機会がなかったのか、かなりの深酒をしていたようだ。
伊織からは酒の匂いが漂っている。
「焦っても仕方ないですね。さて……と」
マールは風呂場へ行き風呂にお湯を張る。
寝室へ戻ってくると、ストレージから鍋とお玉を出す。
「……すぅっ」
ガンガンガン!
鍋をお玉で勢いよく叩き始める。
「先生。朝ですよ。おきてくださーい!」
伊織の目がばちっと開いた。
「──どうした? 何があったんだ?」
慌てて身体を起こした伊織。
辺りを見回すと、昨晩の酒が残っていたのか頭がふらついた。
「うぉっ。気持ち悪い……」
「ほら。お酒くさいんですから、さっさとお風呂入っちゃってくださいね」
「う、うん。マールおはよ」
「おはようじゃないですよ。あれからどれだけ飲んだんですか!」
「ごめん。つい、新しいのを開けちゃって、もったいないから……」
「はいはい。いいですからお風呂いきましょうね」
背中を押されて伊織は風呂へ連れていかれた。
伊織とマールはネード商会の搬入口へ来ていた。
セレンの馬車はもう用意されていて、出発するだけになっていた。
「お兄ちゃん。遅いよ。早く早く」
「イオリさん、おはようございます。その、これからよろしくお願いします」
「おはようございます。姉さん」
「マールちゃん。遅かったのね」
「先生が昨日飲み過ぎちゃって……」
「ごめんなさい」
伊織は素直に頭を下げた。
「はいはい。じゃ行きましょうか。先生」
「よし、気を取り直して出発しようかね」
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