第87話 吉報かそれとも
「イオリさん。起きて」
マールの優しい声で起きる伊織。
「ん? 着いたのかな」
「もうネード商会ですよ」
「そっか、ありがと」
伊織は身体を起して周りを見渡した。
「あれ? セレンさんは?」
「あ、お兄ちゃんおかえりなさーい。本当に夕方までに帰ってくるとは思わなかったよ」
ミルラが馬車を覗き込んでいる。
「はいはい、ただいま」
「んもう。妹にはそっけないのね」
「あの。妹って誰のこと?」
マールがすかさずツッコミを入れた。
「わたしに決まってるでしょ。婚約者の妹なんだから、お兄ちゃんの妹みたいなものじゃないのかな?」
「そうともいえなくもないけど」
「あれ? ミルラちゃんはお兄ちゃんのお嫁さんじゃなくて、妹になりたかったの?」
「そうよ。お姉ちゃんたちと争うつもりは最初からないし。前からマールちゃんが羨ましかったんだもん」
「えー。うちの兄さん、影薄いよ……次期当主というより事務員みたいな仕事してるし」
「確かにそうかも。優しそうだけど。イオリさん程かっこよくないかもね」
「でしょ?」
いないからといって、実に言いたい放題な二人。
そこに戻ってきたセレンがなにやら青い顔をしていた。
「よかった。シノさん、いえイオリさん。あの、ですね」
「どうしたんですか?」
「うちの母がですね、その。イオリさんを連れてきなさいって、話があるからって……」
「ロゼッタ叔母さまがですか?」
「えぇ、マールちゃんも一緒にって。そう伝言があったんです」
「うわ。これ絶対うちのお母さんも一緒ですよ。何か企んでるとしか思えませんね」
ミルラがセレンに近づいていき。
「お姉ちゃん、わたしは?」
「ミルラはお留守番ね」
「えーっ」
「ほらほら、そろそろ閉店なんですから」
「はぁい」
ミルラと従業員とでいつものようにネード商会の閉店作業を終える。
「お姉ちゃん、お母さんによろしくねー」
「はい、行ってきます」
伊織たち三人はセレンの実家、アールヒルド家へ向かうことになった。
ミルラを留守番に残して馬車を走らせる。
馬車に乗っているのは御者席にイオリとマール。
馬車の座席にセレンで三人だけ。
マールが道を知ってるということだから手綱は彼女に任せてある。
何もないとは思うが、伊織はいつでも動けるように御者席にいる。
そんな伊織の思いも杞憂に終わる。
同時に馬車が止まった。
「ここですよ。イオリさん」
マールの声で伊織が正面にある白い屋敷を見た。
「あれ、なんか普通だ。というより、二階建て? なんかやたら小さくない?」
セレンの実家、アールヒルド家の屋敷は高さがなかった。
マールの実家に比べてというだけではあったが。
セレンが説明を始める。
「あのですね。母は高いところが苦手みたいで、アールヒルド家に嫁ぐときの条件として家を建て直すというのがあったようでして……」
いわゆる高所恐怖症だったのだろう。
屋敷の周りには屋敷の壁と同じ白い塀があり、そこからだと正面の小さな屋敷しか見えなかった。
「そこ、玄関なんです。横に馬房がありますから、そこに馬車を止めて歩いて行くことになりますね」
三人は馬車を停めて玄関へ向かうと、セレンが先頭になりドアを開ける。
そこに広がったのはただの通路だった。
両側には白い壁に綺麗な花や、絵画が飾ってある。
しかし、先の先まで続いている通路。
「えっ。どうなってんの?」
「驚かれるのも無理はないですね。ここはまだ玄関ホールの延長みたいなものですから」
マールは後ろで苦笑していた。
「私も最初来たときびっくりしたんですよ。この展開は予想できませんからね」
数分あるいて広いホールが見えてくる。
その瞬間。
「「「「「「「「「「お帰りなさいませ、セレネードお嬢様」」」」」」」」」」
右と左に分かれて五名づつ並んでいる使用人の女性たち。
まるで高級旅館のような出迎えシーンであった。
並んでいる女性の先にはもう一人立っている。
侍女長あたりだろうか。
その女性は深々と頭を下げる。
「当家の侍女長をさせていただいております。ビルギッテと申します。ロゼッタ様がお待ちです。こちらへどうぞ」
ビルギッテという女性の後をついていく三人。
玄関ホールの先に扉があり、その先もまた通路になっていた。
左右にドアが並んでいて一番奥に案内される。
コンコン……
「お嬢様がたがお着きになりました」
「どうぞ、入ってもらってください」
キィッ……
ドアの先には予想通りの人たちがいた。
ロゼッタ、コゼット、そしてファリルもいる。
「イオリさんどうぞお座りになってください」
ロゼッタが嬉しそうな顔でそう言った。
「失礼します」
伊織は勧められるままに着席し、セレンとマールもそれにつづいて座った。
ロゼッタがその場で立ち上がって伊織に頭を下げた。
「この度、セレネードを認めていただいてありがとうございます」
「いえ、頭を上げてください。そんな大層なことではありませんから」
頭を上げて座り直したロゼッタは伊織に答える。
「ただの母親としてお礼を申し上げただけなのです。本当にありがとうございます」
「はい。こちらこそです」
「本当によかったわ。ちょっと心配だったのよ。セレンが不憫でならなくて……」
「母さん。そんなこと言わないでください。こうして指輪も頂いたんです」
「そうね。今日はそんな話をするつもりはなかったのです」
コゼットが口を挟んだ。
「そうですよ姉さん。最初から脱線してどうするんですか?」
「ごめんなさい。あまりにも嬉しくて……」
本当に涙を流して喜んでいたロゼッタ。
ファリルは懐からハンカチを出して渡していた。
「ロゼッタ姉さん。これで拭いてください。強く拭いたら化粧が落ちるから気を付けてくださいね」
「ほんと、ファリルは一言多いんですから」
なんとも微笑ましい三姉妹だろう。
「そんなことはさて置いてですね。結果から言わせてもらいますね」
コゼットが伊織に向かってそう言った。
「はい」
「貰ってきちゃいました。三か所とも」
「「「えっ?」」」
あまりにも予想通りの結果で言葉に詰まる伊織たち三人。
読んでいただいてありがとうございます。




