第79話 憂鬱な雨と新しい朝
あれから何事もなく朝を迎えた伊織。
空は明るくなっているが、昨夜から止むことなく降り続いている雨。
朝に雨が降ると少しだけ憂鬱な気分になる伊織。
日本にいたときの習慣なのだろう。
頭を振って気分を気持ちを入れ替える。
馬車に行き、新しい水の入った樽を出す。
古い樽は水を流して空にしてから格納する。
テントへ戻るとまだ寝息を立てている二人。
起こさないように気を使いながら、朝食の準備を始める。
深めの皿と浅い皿を用意して、人数分並べる。
凝ったものは出来ないが、伊織にも簡単な料理はできるのだった。
シンクの横にフライパンを出してバターと卵を準備した。
今の伊織にコンロは必要ない。
フライパンに下にレンガを数個置いてフライパンを乗せる。
包丁とまな板を出し、玉ねぎを一個出してみじん切りにする。
ボールを出して卵を六個割ってかき混ぜる。
フライパンを加熱してバターを入れる。
実に便利な魔法だと伊織は思った。
ジュッ……
バターが溶けたら玉ねぎを飴色になるまで炒めるとベーコンに似た肉の燻製を薄く細かく切って一緒に炒める。
適度に炒めると皿に取っておく。
少しだけバターを入れて溶き卵をフライパンへ。
片面が焼けた頃合いにさっきの玉ねぎとベーコンもどきを入れる。
オムレツが出来上がると皿へ。
それを三つ作るとフライパンが軽く冷めたら布で拭いて格納する。
テーブルに置いたら次に取り掛かる。
生で食べられる野菜を洗ったあと手でちぎり、三つの皿へ盛っておく。
ボールにオリーブオイルと酢、塩コショウで味を調えた簡単ドレッシングを作る。
野菜に軽くかけて終了。
鍋ごと取り出した出来合いの野菜スープを中央に置き、これまた焼きたてのパンをバスケットに入れてテーブルへ置いた。
牛乳の入った瓶を出し、軽く冷やして置いておく。
グラスも人数分置いて準備完了。
シンクの周りを片付けて、たらいを出してさっき作ったお湯を張る。
二枚のタオルを置いたら伊織は両手で柏手を二度打った。
パン、パンッ!
「はい、起きた起きた。朝だよー」
マールが先にもぞもぞと動き始めた。
「んみゅ……あれ、いい匂いがする」
可愛らしいパジャマを着ていたマール。
伊織が番をしているので安心しきっていたのかもしれない。
その点セレンは昨日の服装のまま寝ているようだ。
「はいはい、そこのシンクにお湯用意してあるから顔洗っておいで」
「ふぁーい」
マールがとふらふらしながらシンクへ歩いて行った。
セレンを見ると、まだ幸せそうに寝ている。
マールが顔を洗って帰って来る。
「マール。セレンさん起こしてくれない?」
「ん。わかった。さて、どうやって起こそうかな……」
マールはセレンのベッドに近寄ると、口を両手で覆い、耳元でセレンに聞こえるような声で。
「ぁん。イオリ、さん。セレン姉さんいるんだから。いや、あん……」
ばちっと目を開けるセレン。
身体を一気に起こすと開口一番。
「なにやってるんですかぁあああ! ずるいですよ……って、あれ?」
マールはにやにや笑い、伊織は苦笑している。
「なーにがずるいんですかぁ? セレン姉さん?」
きょろきょろ左右を見ると、薄手の上掛けを頭から被るセレン。
「な、な、な。なんて起こし方するんですかぁ……」
「はいはい。セレン姉さん、シノ先生が朝ごはん用意してくれているんです。早く顔洗ってくださいよ。スープ冷めちゃいますから」
「はい。わかりましたよ……」
ぶつぶついいながらシンクに歩いて行くセレン。
マールはどうだと言わんばかりに、胸を張って伊織を見ていた。
顔を洗って目が覚めたセレンは、伊織が作った料理を見てため息をつく。
「はぁ……シノさん。料理まで出来ちゃうんですか。ありえないですよ」
「簡単なやつだけですよ。スープは出来合いのものですし」
マールが伊織の耳にこっそりと。
「あのね。セレン姉さん。料理苦手なんですよ」
セレンは顔を赤くして否定する。
「な、なんてこと言うんですか! ちょっと苦手なだけじゃないですか! マールちゃんは得意だからって、そんな風に言わなくてもいいじゃないのよ……」
「はいはい。気を使い過ぎた俺もいけないんです。早く食べちゃいましょうよ」
「はい……」
そんなやり取りの中、マールはセレンの右手に光る物を見つける。
「あ、セレン姉さん。その指輪」
「えぇ、昨日の夜もらったんです。やっと、やっとですよ。嬉しかった……」
前にマールがやったように、中空に手のひらを広げて指輪をうっとりの眺めるセレン。
マールはじっとりと伊織を睨んでくる。
「昨日、私が寝てるときに嫌らしいことしてないでしょうね?」
「ば、馬鹿なこと言わないでよ。マールがいるのにするわけないじゃないか」
「じゃ、私がいなかったらしてたわけ?」
「あのなぁ……」
軽い言い合いをしていた伊織とマール。
そんな二人をよそに、まだ指輪を見ていて食事に戻らないセレンだった。
食事が終わり、出発の準備が整うと三人は外に出た。
マールとセレンを馬車まで濡れないように送ると、伊織はテントまで戻ってくる。
彼女たちは、馬車からその伊織を見ていた。
伊織はテントに手で触ると瞬時にそれを格納する。
ザバァ!
テントがあった場所に、テントの上に溜まっていたであろう水が一気に落ちてくる。
それを見たセレンは昨日、自分がストレージを使えるようになったことを思い出した。
「いつかあんなことできるようになるんですね」
「セレン姉さん。教えてもらったんですか?」
「はい。僅かしかない魔力の使い方を教えてもらいまして、この使い方も教わりました」
セレンは右手に持った残りのパンを出し入れしてみせた。
「これを教えてくれたとき。秘密を共有するのだから家族の一員だよって、指輪をくれたんです」
それから何度もパンの出し入れを繰り返していたセレンだった。
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