第76話 フレイヤード王国へ その2
豹変したマールに驚いたセレンには、何が起きたのか理解できていない。
「……どういうことなんですか? マールちゃん」
「はい、あの──」
伊織がマールの声を遮る。
「──俺から説明します。俺が悪いんです。マールの成長の速さにいい気になり、つい加減を忘れてしまいました。おそらく、この国でマールに敵う魔法使いはもういないのではないかと思います。すみませんでした」
伊織は落ち着いたマールから離れてセレンに頭を下げる。
頭を下げた伊織にセレンは驚いていた。
「マール、ごめん。こうなるとは思わなかったんだ。俺のせいだ」
伊織はマールにも頭を下げた。
マールは立ち上がり、伊織の頭を抱いた。
「いえ、イオリさんのせいじゃないです。私は本当にイオリさんの背中を守りたかった。この国の泣いてる人たちを助けられるくらいの力が欲しかった。だから私も悪いんです」
マールの目からは涙が流れていた。
「私はファリル叔母さんから半端に魔法を習い、冒険者になってBランクまで上がりました。ちょっとだけいい気になってました。お見合いが嫌で家から逃げて冒険者ギルドで働いていたとき。イオリさんに出会って、イオリさんの活躍を見たときに思ったんです。私はなんて思い上がっていたんだろうと……」
「マールちゃん……」
伊織の頭を放しセレンに視線をを向けるマール。
マール身体から魔力が溢れてきているのを感じ取った伊織。
「私はイオリさんにお願いしたんです。強くなりたいって。悔しかったんです。この国の人々が苦しんでいるときに何もできないのは嫌なんです。貴族ってなんなんですか? 人々の上でふんぞり返っていればいいんですか? 人々が蹂躙されているのに震えて逃げているだけなんて。私にはできません。でも何もできなかったんです。私に力がなかったからです。でも今は違います」
マールは自分の周りに複数の火の矢を展開する。
少し薄暗い部屋の中が怪しく灯される。
脂汗が額に滲み、少し鼻血を垂らしながら制御し続ける。
マールの口元には笑みが浮かぶ。
その目はいったい何を見ていたのだろう。
「な、なんですかそれは……」
セレンは目の前のマールに恐怖を感じる。
伊織は慌ててマールを抱き寄せる。
「やめろ! もういいからやめてくれ!」
その瞬間展開されていたマールの魔力が消え、表情が穏やかになってくる。
マールを育てた伊織には分かっていた。
魔力を使いすぎると枯渇してしまう。
我を忘れてしまったら、魔力が枯渇して気絶するまで止まれなくなってしまうだろう。
だが、枯渇さえしなければ、もしかしたらあのときのオークの村ひとつくらい簡単に相手にしてしまう恐れがあるのだ。
それだけのことをマールに学ばせてしまった伊織。
「ごめんなさい。イオリさん。でもね、あなたのおかげでこの力を手に入れることができました。これで理不尽に立ち向かうことができます。感謝してもしきれません。私の全てをあなたに捧げ、一生ついていきま──」
伊織の胸にぐったりと寄りかかり、マールは気を失ってしまった。
伊織はマールをベッドに寝かせる。
空気中から水分を集め、手ぬぐいを軽く濡らしてマールの顔を拭いてあげた。
マールの手を握って魔力を補充する。
マールに顔色がほんのりと赤くなっていった。
「イオリさん、マールちゃんは大丈夫なのですか?」
心配そうにマールを見ているセレン。
「魔力の枯渇で気絶したんだと思います。俺が魔力を補充しましたからもう大丈夫です。感情が抑えきれなくなって制御が効かなったのかもしれません。訓練のとき、集中し過ぎてこんな感じで倒れたこともありました。ほんと、馬鹿だよ。俺もマールも……」
「私には魔法の知識は座学程度しかありません。イオリさんが大丈夫というのであれば、安心ですね」
伊織はマールの手を握ったまま、セレンの顔を見る。
「以前セレンさんから聞いた、あの村での悔しい思い。きっとマールにも色々あったんでしょうね。ファリルさん、ガゼットさん、メルリードさん。皆から聞いたという悔しい思い。それを聞いたマール自身の思い。俺には想像もできません」
「はい」
「俺の持っている知識を教える前に、マールに聞いたんです」
「はい」
「俺は今後、勇者と呼ばれることはないかもしれません。ですが、化け物と言われることはあるでしょう。俺と同じように思われてしまってもいいのか? ……と」
「……そんな、私はそうは思ってません」
「ありがとう。でもね、マールは言ったんです」
「はい」
「俺に近づけるっていうのに何を迷うのかと。それはマールが望んだことだと。俺はマールを受け入れる覚悟をしました。もし、マールが暴走してしまったら、この手で……」
セレンは伊織の手を握った。
少し悲しそうな目をして、伊織を見ている。
「私は悔しいです。マールちゃんのように魔法を使うことができません。13で学校に上がって2年間頑張ったんです。駄目でした、絶望しました。私には魔法の素質がなかったんです。学校を辞めて私は商人としてあちこちを回り、情報を集めようと思いました。私も指を咥えて見ているのが嫌だったのです」
「そうでしたか」
「マールちゃんがイオリさんと婚約したと母から聞いてショックでした。そのあと、イオリさんがクレイヒルド家の騎士爵になったと聞きました。母は【あなたにもまだチャンスは残っているのよ】と言ってくれました。よかったと思いました。嬉しかった。まだイオリさんを好きでいていいのだと」
その言葉に対して、伊織は何も言うことが出来なかった。
自分の心の内を話して楽になったのか、表情が柔らかくなったセレン。
「私も少し感情的になってしまいましたね。今夜はこれで休ませてもらいます。また明日からもお願いしますね」
「はい、おやすみなさい。セレンさん」
「おやすみなさいませ。シノさん」
セレンは自分の部屋に戻っていった。
伊織は椅子を引き寄せ、マールの手を握ったままベッドに上半身を預けるように眠ることにした。
翌日、御者席には伊織だけが座っていた。
マールは昨晩の自分が恥ずかしかったのか、セレンと一緒に馬車内にいる。
「シノさん」
セレンが伊織に話しかける。
「なんでしょう」
「昨日、うやむやになってしまった、もしあの村の跡地をイオリさんがという話ですが」
「あ、その話ですが、今後の状況に応じてということにしてもらえませんか? 人を移住させて国力を削ぐなんて夢物語ですからね……」
「わかりました。一応頭には入れておきますね」
「助かります」
マールが伊織に近づいてきた。
「あの、シノ……先生」
「どした?」
「昨日は、その、ごめんなさい」
「いいんだ。俺だってマールの前であんな風になったことあっただろう? お相子にしておこうよ」
「はい、ありがとうございます」
ちょっと気まずそうに御者席に来て、伊織の横に座るマール。
伊織はセレンに話しかける。
「この先俺が単独で動くことがあると思います。そのときは、マール一人でセレンさんを守ることができます。ですから、安心してくださいね」
「あの、できればシノさんに守ってもらいたいんですけど……」
「あら、セレン姉さん。私じゃ駄目なんですか?」
「いえ、そういう訳じゃなくて……」
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それから三日は何事もなく馬車は進み、陽が落ちる前に国境へと辿り着いた。
セレンは慣れたやりとりで出国の手続きをしている。
「えぇ、今回は私ひとりです。妹は留守番ですね。最近物騒になってきましたから。あの2人は護衛の冒険者で男性がシノさん、女性がマールさんです」
「ありがとうございます。そうですねあまりいい情勢とは思えませんから、護衛を雇われましたセレン様の判断は間違っていないと思います。では気を付けて行ってください」
「はい、ご心配ありがとうございます。では、行ってまいります」
「いってらっしゃいませ」
セレンが馬車に戻ってくると、国境を抜けてフレイヤード王国へ入るのであった。
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