第57話 変わってしまうかもしれない日常
コゼットが伊織の慌てぶりを見て、柔らかく笑みを浮かべる。
「うん、思ったよりもいい子ですね。マール」
マールは背筋を伸ばして、コゼットを真っ直ぐ見つめ。
「はい」
何を言われるのかと少し緊張しながら母の言葉を待つ。
「貴女、この方となら結婚してもいいのでしょう」
「えっ、あの、はい」
予想していた問いと違うものだったからか、訳が分からないというような顔をしてマールは返事をする。
「イオリさん、こんなお調子者で、泣き虫な娘ですけれど、よろしくお願いしますね」
「は、はい、あ…」
コゼットと同じような笑みを浮かべたファリル。
「よかったわね、マール。イオリさんにちゃんとついて行くんですよ」
「はい、先生」
フレスコットが一歩前に出て、コゼットへ問う。
「あの、奥様、そんなに簡単にお決めになってよろしいのですか? いくらマールディアお嬢様がお慕いしている男性とはいえ…」
コゼットはフレスコットに視線を向け、穏やかに答える。
「フレスは知らなかったのですね。このイオリさんは、先日、この国の周辺に生息していたオークの懸念を消し去った方なのです。私達貴族、いえ、この国で誰も出来なかったことをやり遂げた方なのです。これ以上マールのお相手として相応しい方がいるかしら」
フレスコットは唖然とし、数秒固まったが、すぐに持ち直し伊織に向かって深々と頭を下げる。
「イオリ様、知らぬ事とはいえ、失礼な言い方をしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いえ、いいんです。頭を上げてください。俺はこの国から見たら、ただの異邦人ですから」
「フレス、イオリさんがいいと言うのだから、頭を上げてくれる?」
「はい、マールディアお嬢様」
フレスコットは、頭を上げてマールと伊織の後ろへ戻った。
伊織はまだ一口しか飲んでいない紅茶を一気に飲み干した。
「ふぅ、喉乾いてたの忘れてたよ…」
フレスコットは、お茶を伊織のカップに注いでくれる。
「ありがとうございます」
「いえ」
「マール、イオリさんにはセレネードさんが後見をなさっていると聞きましたが。もしや?」
「はい、恋敵の一人です」
「んぐ……げほっがほっ……」
「イオリさん、大丈夫?」
マールがハンカチで伊織の口を拭く。
「ごめん、いきなり何を言い出すかと思ったから」
「本当の事じゃないですか、それに妹のミルラちゃん、ヨールさんの娘のセリーヌちゃんもですよ」
「あらあら、イオリさん、おもてになるのですね。そう、ヨールの所の娘さんもなのね。マール、貴女大丈夫なの?」
「はい、負けません。指輪をもらっているのは多分、私以外はセリーヌちゃんだけでしょうから」
コレットは首を傾げ、少し考えている。
「でも、困ったわね、それだけライバルがいるのでしょう? このままじゃまずいわね、姉さんにも負けたくはないし……王妃が黙ってるとも思えないし、あそこには娘が四人もいるのよ……そうだ、うちでイオリさんに爵位をあげちゃいましょうか」
「あの、お母さん、地が出てますよ……」
「あら嫌だ、ほほほほ……」
誤魔化すように笑うコゼット。
伊織は口を開けて呆然としていた。
「駄目ね、姉さんは昔から興奮すると猫を被るの忘れてしまうから」
「ファリル、それは言わない約束でしょう」
「マール」
「なんでしょ」
「この人たちっていつもこうなの?」
「そうよ、だから私もこれで怒られないんだもの」
仲の良い姉妹のコゼットとファリル。
コロコロと表情の変わる明るい性格だったコゼット。
そんな姉にツッコミを入れるファリル。
成程、この親にしてこの子ありなんだと伊織は納得した。
「そうね、イオリさんに負担がかからない程度の…よし。名誉騎士爵をあげちゃいましょう。これなら取り消すことは出来ないし、陞爵させることしか無理だもの。うちであげたって証拠も残るし、マールの後押しも出来るわ」
「──そんな簡単でいいの?」
伊織はマールに困った顔で問う。
「うん、名誉騎士爵は一応一代で終わりだし、本来、武勲を上げた騎士に与えられるものだから。この国の騎士にも何人かいるのよ」
「そ、そうなのか」
「イオリさん、もう取り消し効かないからね。貴方は今日から、当家の名誉騎士爵。それだけの功績を残しているから誰も文句は言わないわ。だから、マールをよろしくね。ファリル、通達を王家と各家にお願いね」
「姉さん、貸しひとつよ」
「はいはい」
成り行きで騎士爵になってしまった伊織。
「まぁ、王様に呼ばれてめんどくさくなるよりはいいか……」
「イオリさん、これからもよろしくね」
「はいはい……」
「マール、今イオリさんはどちらに住んでるのかしら?」
「私の隣の部屋ですよ」
「なら丁度いいわマール、貴女にあの店あげる、家賃ももういいわよ」
「やった、ありがとう、お母さん」
「さぁ、これから忙しくなるわよ。見てなさい、ロゼッタ姉さん…」
伊織はマールにこっそり聞いてみる。
「ロゼッタさんって誰?」
「セレネード様のお母さまで、お母さんのお姉さんなの」
「……まじか」
「まじです」
その後お開きとなり、馬車で部屋まで送ってもらった二人。
一階で昼食を軽く済ませ、伊織の部屋に戻ってきた。
「なんだったんだ、さっきのは…」
座るのも疲れて、ベッドに横になっている伊織。
マールもちゃっかり伊織の隣に寝転がっている。
「お母さん達、いつもあんな感じだから」
「そっか」
「でもこれでね、イオリさんのお嫁さんになれるのが、私嬉しいの」
「まさか右手の薬指にそんな意味があったなんて」
「後悔してるの?」
マールが伊織を好きでいることは前から知っている。
伊織はそうする事の出来る立場がないと断っていたのだ。
「してないよ。でもさ、マールとセリーヌ、今二人と婚約したことになるじゃない。俺、そのうち小夜子の事、忘れてしまうんじゃないかってちょっと怖いんだ」
「大丈夫、それは最初からの約束だったじゃない、私が、私たちが忘れないのよ。あくまでも私たちは、サヨコさんを亡くしたイオリさんの後妻になるんだって。彼女がいたから、今、貴方がここにいるんだって、感謝してるの」
マールは伊織の前に座り、伊織の胸に額を乗せる。
「イオリさんにはサヨコさんという奥さんがいたの。不幸にも事故で亡くなってしまって、その後に私が後妻に入るの。サヨコさん、マールディアと申します。イオリさんを支えていきますので、どうぞ、よろしくお願いします」
「マール……」
「私が後妻であることを忘れない限り、サヨコさんは消えたりしない。だからもう、怖がらないでください。もしイオリさんが忘れそうになっても、私が殴ってでも思い出させてあげますから」
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