第42話 旅立ちの朝
セリーヌはもう起きていた。
伊織の為に、朝食を作り、洗濯ものを畳んで。
グラスに冷たい水を入れて、伊織を起こす。
「イオリさん、朝ですよ」
「……んー?」
「ほら、寝ぼけてないで顔洗ってきて」
「あい……」
「可愛い……」
伊織は顔を洗うと、今の状況が少し恥ずかしくなった。
「俺、寝ぼけてた?」
テーブルを挟んでセリーヌが答える。
「うん、凄く可愛かった」
「やめてー」
水のグラスを貰う。
「いただきます」
「はい、いただきます」
昨日と同じオムレツにスープにパン。
「ホント、セリーヌって料理上手だよね」
「そんな、褒めても何も出ないからね」
朝食が終わり、セリーヌは洗濯した着替えを伊織に渡す。
「はい、これ」
「じゃ、昨日着てたやつもお願いね」
「うん、洗っておくね」
支度の終わった伊織について、1階へ下りていくセリーヌ。
「おはようございます、イオリ様」
「うん、おはよう」
「ゆっくりできましたか?」
「それはもう、お気遣いありがとうございます」
「セリーヌもいっぱい甘えたかい?」
「うん、お父さん」
「じゃ、見送りをしようか」
「うん」
勝手口を開け、ドアを先に出るセリーヌ。
ヨールはその場で一礼をし。
「ご武運を、いってらっしゃいませ」
セリーヌは伊織の首に抱き着き。
「ん、くちゅ、あむ……ぷぁ。いってらっしゃい、イオリさん」
伊織から離れて笑顔で送り出す。
「じゃ、セリーヌ、またね」
「はい、またね、イオリさん」
伊織は踵を返し、ギルドへと足を進める。
そんな伊織の背中をいつまでも見ていたセリーヌ。
(いってらっしゃい、絶対に帰ってきてね)
手を組み、そう祈っていた。
晴れ晴れとした気持ちでギルドへ向かう伊織。
正直、伊織だって不死身ではない。
首を瞬時に飛ばされれば死ぬだろう。
伊織だって怖いものは怖いのだ。
そう、大猪のブラックボアに初めて出会ったとき、反射的に逃げ出してしまったときのように。
オークはどういう風体なのか、見たことがないから予想も出来ない。
豚が進化したような種族としか聞いていないのだ。
豚が二足歩行で武器を持っている姿、あまりにも滑稽で想像すると笑いが出てくる。
伊織は、そんなオーク如きに負ける訳がないと、現時点では思っている。
いくら知能が高いとはいえ、怖いのは魔獣より人間だと思っている。
策を練り、どんな狡猾な手段でも欲望の為には躊躇うことがない、それが悪意を持つ人間だ。
フレイヤードの黒い王女のように、人間の欲求というもの程油断できないものはない。
不安材料が頭の中に次々と浮かんでは消える。
浮かぶ度に、それは大きくなっていく。
仕方なく、セリーヌを思い出す。
心が温かくなる。
今考えても仕方がないから、セリーヌの事を考える。
そうしていないと、不安が押し寄せてくるのだ。
ある程度力を持っているとはいえ、伊織はただの人間だ。
この間のコボルトだって、瞬時に殲滅出来た訳ではない。
現時点では、所詮一対一での強者でしかないのだ。
ギルドに着いた伊織。
ギルドに入るとそこは冒険者、そして街の人たちが溢れかえっている。
「なんだこれ、いつもより人が多いんじゃないか?」
すると、人の間を縫って、マールがこちらへやって来る。
マールは伊織の手を引き、ギルドの建物の裏へと引っ張って行く。
「おはよ、一目貴方を見ようと人が集まっちゃって、ちょっと困ったのよ。私も予想外だったの」
「あれま、そしたらどうしよう」
「少し離れた場所に馬車を用意してあるから。こっちよ」
連れていかれた場所は、いつもの喫茶店、マールの部屋のある建物だった。
その裏手に、これまた大きな、丈夫そうな、そして立派な馬車があり、馬が2頭繋がれている。
横にある入口の扉を開けると、そこは質素だが、とても造りのいい室内装飾の空間。
「おう、やっと来たか」
「おはようございます」
「遅かったわね」
ガゼット、メルリード、ファリルが座っていた。
「おはようございます。この度は──」
「細かいことはいいんだよ。どうせ、オーク共をぶっ殺しに行くだけだろうが」
豪快に笑うガゼット。
「品も何もあったものではありませんね。貴方は貴族の一員なんですから、少しは品位というものをですね」
「先生、ガゼットさんには言われてる意味が判ってないかもしれませんよ」
「そうね、この脳みそ筋肉に言っても始まらないわ」
「おう、褒めても何も出ないぜ」
(それ、褒めてないだろう…)
仲のいい四人は談笑を続けている。
「では皆さん、そろそろ出発しようと思います。マールさん、御者の方はどちらに?」
「えっ、私だけど。これ、私の馬車だもん」
伊織は固まってしまった。
「あれ、イオリさーん、帰っておいでー」
「マールちゃん、イオリさんにキスでもしてあげたら?」
「そ、そうね、ではいただきま…」
まさに今、マールと伊織の唇が着こうとしたとき。
「はっ、俺何を。って、なにしてるんだ、マールさん」
伊織はマールの頬を両手でつまみ、横へ伸ばした。
「いひゃいいひゃい、イオリさんてば…」
「マールちゃん、可愛い顔になってるね」
メルリードはお腹を抱え笑い転げている。
「くすくす……駄目でしょう、そんな、貴族の子女らしからぬ…」
ファリルは口に手を当て、上品に笑っている。
ガゼットに至っては、ニヤニヤとこちらを見ているだけ。
伊織はマールの頬から手を放し、話を続ける。
「とにかく、マールさん、危険だって。それに受付の仕事どうするのさ」
「あの、私これでもBランクの冒険者なんですけど」
そう言うと、マールは自分のギルドカードを伊織に見せる。
「えっ、なにそれ……」
「受付をする前、先生やメルリードさんにあちこち連れていかれて、気が付いたらBランクにね。それと、一応、貴族の使命を尽くすとして、両親からも了解を得ています。ギルドの方は、有給扱いになってますよ」
「知らなかったの俺だけだったの?」
「そうね、弓は私が教えたし、体術はガゼットが、そして魔法はファリルに弟子入りしてるし。それ程危険ではないんじゃないかな」
メルリードはさらっと言う。
「それにね、この馬車、魔獣避けの魔石があちこちに埋め込まれてるから、滅多な事じゃ寄ってこないし。知ってる?魔獣避けの魔石って、半径五〇〇メートルは寄って来ないのよ。一つ金貨5枚かかるのを20個は埋め込んであるの」
「うは、なんて贅沢な……って、まぁ、仕方ないか。俺よりランク高いとか、何で黙ってたの?」
「だって、聞かれなかったから……」
マールはちょっと膨れて拗ねてしまう。
「分かった、最悪、皆に守ってもらうとして、同行を許可しますか」
「やった、イオリさん大好き」
マールは伊織に抱き着く。
「やめてってば、皆の前で」
「えっ、皆知ってるよ、私がイオリさんのことを好きだってこと」
三人共、生暖かい眼差しで伊織達を見ていた。
御者席の部分のドアを開けて、マールは外に出る。
「イオリさん、こっち座って」
「はいはい」
「では、出発しまーす」
「いいのか、こんな軽いノリで……」
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