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第39話 出発前日 その3

 マールは伊織の手を握り、真剣な眼差しを向けてくる。

「だからね、今のうちに伊織さんに言っておきたかったの」

「ん?」

「絶対逃がさないからね、って」

 伊織に抱き着いてくるマール。

「ん、あむ、ん…ぷは、よし一歩前進。セレンさん、ミルラちゃんに勝ったわ! それにしても、あと一人って…」

「……絶対に教えません」

「えーっ」

「もしかして、これ以上のことを…」

「拒否します」

「えー」

「俺って、こうやって、女性関係で泥沼にはまっていくんだろうか……」

 伊織は真面目に頭を抱えた。

「いいじゃない、うちの父だって、母達と毎日仲良くやってるわよ」

「そういう問題じゃないような気がするんだけど。それに俺、貴族じゃないし」

「それはそうだけどね。でも、大変だったのよ、イオリさんは私のだってギルドの女の子達に言い聞かせるのも」

「なんだそれ」

「女の子達から質問されて困ったときがあったのよ。紹介して欲しいとか、ギルド以外の子までね…だから、ギルド職員の女の子達には、私の彼氏だって言ってあるの」

「だからあの時、頑張れって……全く、この子は……」

 さらに低く頭を項垂れる伊織。

「迷惑だった?」

「いや、そういう訳じゃないんだけどね」

「じゃ、私、イオリさんの彼女でもいいのね」

「駄目」

「えー」

「言ったでしょ、俺はまだ小夜子のことを。それに俺、今……」

「わかったわ、私も頑張る。サヨコさんごと好きになるわ。なんとなく、もう一人の子も誰だか分かるし」

「えっ」

「多分、ヨールさんとこのセリーヌちゃんでしょ?」

「えぇっ」

 瞬間的にそっぽを向く伊織。

「ほら、顔に出てる」

「まじか……」

 マールにかまをかけられたとも知らない伊織。

「だって、友達だし、セリーヌちゃん。ついこの間、ファリル先生のところに受診に来てて会ったのよ。避妊魔法をかけてもらいにきたって。お腹を摩りながらちょっと残念そうに言うのよ…まだ私には早いからって…彼女、前よりも女らしくなったっていうか、凄く綺麗なのよ…同い年だから余計ね…やっと分かったわ。イオリさんが相手だったのね…」

「ちょっと待て、ヨールさんの店で世話になってる先生って…うわ、世間は狭すぎるよ…」

 すっかり罠にはまったことに気付く伊織。

 伊織の顔は真っ青になっていた。

 自分のやってしまった事とはいえ、赤裸々に語られるのは耐えられなかった。

 持ち前の外面ではもうどうしようもない程、誤魔化しきれない。

「はい、俺が相手です」

 してやったり顔のマール。

 伊織の首に手を回し、伊織の目を見て。

「ねぇねぇ、イオリさん」

「ん?」

「抱いてください」

 きゅっと伊織は抱きしめた。

「こう?」

「そうじゃなく、ほら、私、下着着けてないんですよ」

 マールは伊織の手を取り自分の胸に導く。

 伊織は柔らかな感触に驚き、慌てて手を跳ね除ける。

「そ、それでも駄目!」

「どうして、羨ましいのよ、セリーヌさんが……」

「俺、そういう男じゃないから。マールさんのお父さんみたいな、貴族でもないし。俺にはそういう資格はないの!」

「むー、分かりました。イオリさんがそういう立場になるまで我慢しますよっ」

「……まるで俺がそうなるみたいな言い方しないでよ。まったく、どうなってんだよ、この国の貴族さんは…」

「多分、王家も黙っていないかもね、この先のイオリさんには」

 上目遣いで伊織を見上げながらニヤッと笑うマール。

「そうなったら全部ぶっ壊して、セリーヌ連れて適当な違う国に逃げるからいいんだ。そうだね、魔族の国にでも逃げるかな」

 苦笑しながら伊織は万歳の恰好をし、そう返す。

「ホントにやりそうで怖いわ」

 目を見合わせて、吹きだす二人。

 伊織はマールの頭をくしゃくしゃと撫でる。

 マールはされるがままに、目を細めて気持ちよさそうにする。

「俺、そろそろいくよ。また明日ね」

「うん、また明日」

 部屋を出ていこうとする伊織を引き留めるマール。

「あ、ちょっと待って」

「ん?」

 一段低くなっている足場のせいで、伊織とマールの身長差はあまりない。

「んー、ぷは」

 マールは伊織に抱き着き、キスをした。

「…あのねぇ」

「明日出来ないから、今のうちにね。大丈夫、私、口紅とかつけてないから」

「そういう問題か? 俺、ホント、女の子に甘いんだな……」

「さて、私も準備しなきゃ。明日ねー」

「……? うん、明日」

 首を傾げながらも部屋から出ていく伊織。

 そのまま階段を下りて、伊織は武器屋に向かった。

 ストレージから刀を出し、腰へ差しておく。

(うん、この方が落ち着くな、最近は)


 武器屋に入り、工房の奥にいるであろうナタリアに聞こえるように。

「ナタリアさん、いますか?」

 ごそごそと音が奥の工房から聞こえ、ドアが開いた。

 気怠そうな表情をしたナタリアが顔だけ出してこっちを伺う。

「──ん? なんだい、イオリかい」

 目の下に隈を作っていたナタリア。

 背中の下、腰を手で叩きながらカウンターへ近寄る。

「刀を見てもらいにきました」

 腰に差した刀をナタリアに預ける。

 受け取ったナタリアは、刀を抜き、目を細め、刃の状態を見ている。

「うん、刃こぼれもないし、切れ味も落ちてないみたいだね。大事にされてるみたいで、嬉しいよ」

「そうですか、もはや俺の半身ですからね」

「そうか、もう明日なんだね」

「はい、明日発ちます」

「絶対、持って帰ってくるんだよ、イオリ自身が」

 ナタリアが伊織へ刀を渡す、それを刀を両手で受け取る伊織。

「はい、約束します」

「ならいい、あ、そうだ。これを持っていくといいよ」

 ナタリアは一度奥の工房へ戻ると、袋に入ったものを持ってくる。

 伊織はそれを受け取り、袋から出す。

「これは、脇差じゃないですか」

「そうさ、ついさっき打ち上がったばかりさ。あんたの身を守るんだ、折ってしまっても構わない。でも、折れても持って帰ってくるんだよ」

「わかりました、有難く使わせてもらいます」

「いい表情になったね、さては女の子かな?」

 ナタリアは口元をつり上げ、ニヤッと笑う。

「えっ」

「まぁいいさ、前の殺気立ったときよりはいい男になったよ」

 そう言うと踵を返し、右手を上げ工房へ戻っていくナタリア。

 伊織はその後ろ姿に深く頭を下げそして店を出ていく。

 刀を腰に戻し脇差を刀より内側に差す。

「うん、なんかしっくりくるな」

 満足げな顔をして、歩いていく伊織。

 伊織は宮本武蔵の二天一流を学んだわけではないから、二刀を使える訳ではない。

 ただ、この世界で成長した筋力をもってすれば振ることだけは可能だろう。

 あくまでも、予備として使おうと思っている伊織。

 あちこち回っている間に、気が付くと太陽はやや日没方向へ傾いていた。

 ぐぅ……

「あ、昼飯食ってなかったな…腹減った」


読んでいただきまして、ありがとうございます。


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