第38話 出発前日 その2
「じゃ、行ってくるねお姉ちゃん、すぐ戻るから」
「はい、いってらっしゃい、イオリさんも」
「いってきます」
伊織の腕に自分の腕を絡めて、セレンに見えるように歩き始めたミルラ。
「あー!駄目、イオリさんから離れなさいってば」
「早い者勝ちだよー」
裏から路地を通り、表通りへ出た二人。
くんくんと腕を軽く引っ張り、伊織を見上げる。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
「ん?」
「ちょっと遠回りしてもいいかな」
「どこか寄るところあるの? さっきすぐ戻るって」
「んー、ただもうちょっと、こうしていたいなーって」
伊織の腕に頭を擦り付けてから、見上げて笑顔を向けているミルラ。
可愛いのは間違いないんだろうが、今はちょっと困る伊織。
「俺が帰って来てからにしてくれる……」
「はーい」
明日の緊張を和らげていてくれたのか、それとも素なのかは分からない。
伊織にもこのやりとりはとても心地よいものであった。
ギルドの近くへ着くと、伊織は路地の裏へ行き、なるべく冒険者に見つからないような場所に寄った。
「じゃ、連れてくるから待っててね」
「うん、ありがと」
何故中に入らないのか、それは宿屋の受付の人ですら今回の討伐の事を知っていた。
なのであれこれ聞かれるのが面倒くさいからである。
「お兄ちゃん、マールちゃん連れて来たよ。じゃ、わたし戻るね。気を付けてね、明日」
「うん、ありがとう」
「じゃーねー」
「イオリさん…髪留めもらったの、私だけじゃなかったんですね……」
ゴゴゴゴと効果音の入りそうな威圧感を感じた伊織。
マールの声の方を見ると、ビビった。
「い、いや、感謝の気持ちで贈ったものだし」
「それに何ですか、その両側の頬についた口紅の跡は…」
近くの窓ガラスに顔を映してみた伊織。
両頬に掠れてはいるが、口紅と判る形が残っている。
口紅は流石に匂いがないから気付かなかった。
「げっ、なんだこれ…あ、そうか」
「心当たりがあるみたいですね…」
マールは微笑みながら、ハンカチで伊織の頬についた口紅を拭いている。
しかし、目は笑っていなかった。
「……くれますよね」
「えっ」
「ケーキ奢ってくれますよね?」
「はい、奢らせて頂きます!」
伊織は直立不動でそう言わざるを得なかった。
マールは伊織の手を握り、引っ張って歩き出す。
「さ、いきましょ」
「あ、あの、マールさん」
「はい?」
「仕事はいいのかな」
振り向かず、ツカツカと歩きながら伊織の質問に答える。
「いいんです、私、今日、お休みなんです。イオリさんが来ると思って早くからギルドで待ってたら。暇そうだからって、仕事させられてただけなんです!」
「あ、そうなの…」
口調がやや怒ってるような感じだったから、逆らうことが出来ない。
毎度おなじみの喫茶店へ着くと、マールは先に注文をしていた。
「……部屋で、紅茶二つとケーキを二つお願いしますね」
(あぁあああ……みっちり怒られるのか……)
伊織は覚悟を決めた、素直に謝ろうと。
ちょっと震えながら待つこと数分、まだ呼びに来ない。
今回は嫌に長い。
走って店員の女性が戻ってきた。
「お、お待たせいたしましたお嬢様。準備が出来ましたので、どうぞお入りください」
(お嬢様?)
そう言うと、マールに鍵を渡す。
「ありがとう、またよろしくね」
伊織の手をまた引き、裏へと歩き始めた。
建物の裏には階段があり、それを上って二階へ。
カチャ……キィ……
「さ、イオリさんどうぞ」
「ここは?」
「私の部屋ですけど」
「えっ」
「このお店、母が経営してるんです。お金出さないと食べさせてもらえないんですよね、ホントケチで……私の実家ここからちょっと遠くて。ギルドへ通うのに不便なので、母から借りてるんですよ。ここ、二階からは貸し室になってて、その一室なんです。ただ毎月家賃きっちり取られるんですよ。ギルドの給金の半分以上がここで飛んでしまいます……」
成程、マールの金欠病はこういう理由もあったのかと納得する伊織。
その部屋は、思ったよりも質素な部屋だったが、伊織が借りていた部屋の倍くらいの広さがある。
いくら友達とはいえ、女性の部屋に入るのはちょっと戸惑うのが当たり前。
「イオリさん、入ってくださいよ」
「いや、まずいでしょ、女の子の部屋になんて」
「大丈夫です、ここリビングですから、奥に寝室ありますけどね」
先代勇者が広めたのだろうか、靴を脱ぐようになっている部屋。
「じゃ、ちょっとだけお邪魔します」
「はいっ。イオリさんこっち座って」
ケーキとお茶が用意されていたソファがあって、二人掛けの方に伊織は座った。
マールはケーキとお茶を伊織の隣へ持って来て、座る。
「あれ、普通、家主さんはあっちじゃ?」
「いいの、こっちに座りたいんだから」
「はいはい、あ、そういえば馬車ってどんな人が出してくれるんだろう」
「それは明日分かるわよ、もう準備終わってるみたいだから」
「そっか」
「それよりも、随分、セレンさん、ミルラちゃんと仲がいいみたいですね……」
「あ、うん、友達だし」
「そう、仕方ないのかな……まぁいいわ。あのね、うちの亡くなった祖母が、先代勇者様と仲が良かったみたいでね。このケーキも祖母が勇者様と一緒に作ったって話なの」
「へー、ところでさ、その勇者様って女性だったんだよね?」
「うん」
「勇者様の子供とか孫とかっているの?」
「いないのよ。なんでも子供の出来ない身体だったって聞いてるの。でも、この国に色々なものを残してくれたのよ」
伊織はこの街の各所にある日本的な文化には、そういう意味があったのかと合点がいった。
「例えば、そうね、ちょっと待っててね、休みなのにこの恰好は疲れるから着替えてくるね」
「あ、うん」
マールは奥の部屋に入っていった。
(落ち着かないよなー、女の子の部屋だぜ……)
それにしても、先代勇者は病気か何かで子供が作れなかったと聞いた。
日本から呼ばれ、伊織のように来た先代勇者。
マールの祖母と仲がよかったという話から、孤独ではなかったのだろう。
伊織はこの先、勇者として何が出来るのか。
「イオリさん、お待たせ」
「ん、お、おぉおおおお」
「どう? 可愛いでしょ?」
「うん、すっげぇ可愛い」
マールが着ていたのは、白地に牡丹の花があしらわれた浴衣だった。
紺色の帯、幅の広い同じ紺色のリボンで纏められた髪、そして伊織があげた髪留め。
なんていうのだろう、金髪に浴衣も意外と違和感がない。
マールが伊織の横に座り直したとき、ふわっと香る懐かしい香り。
「いい匂いするなー」
「うん、香水やめてね、香油にしたのよ。香りは淡いけど、好きな花のやつなんだよ」
「うんいい匂いだね。あ、俺がCランクに変わるのって、明日だよね」
「うん、明日の朝だね」
「そっか、楽しみだ、やっと、やっと喰えるのか……」
伊織の雰囲気が変わった。
目が尋常じゃなく怖い。
眉も釣り上がり、口元が笑みを帯び、犬歯がちらりと覗いている。
これで、セリーヌの親を殺したやつを屠ることが出来る。
伊織は嬉しくて仕方がなかった。
力いっぱい拳を握り、体中から魔力が溢れるような感覚があった。
いける、コボルトの時以上に、思いっきりやれる。
感じていた理不尽さ、苛立ちをぶつけることが出来ると、伊織は思った。
「イオリさん、イオリさん、どうしたの?」
「あ、マールさん」
マールは伊織の頭を胸にきつく抱きしめていた。
「俺、どうかしてた?」
「凄く怖かった、またちびっちゃうかと思ったわよ……」
伊織の顔に感じる、とても柔らかな感触。
「ちょ、マールさん、何してるの」
「あ、怖かったけど、なんか悲しそうでもあったからね。つい抱きしめたくなっちゃって」
嫌々ながら、マールは伊織から離れていく。
「なんか、マールさん、いつもよりふっくらしてるっていうか」
「気づいちゃった? この服って着るときは下着着けちゃだめって、母から聞いてるから」
マールが座った瞬間、大きく揺れた胸元に伊織は目がいってしまった。
「イオリさん、女の子って視線に気づいちゃうんだよ」
「あ、ごめん」
すっかりぬるくなったお茶を慌てて飲む伊織。
「げほっ、ごほっ……」
「ほら、慌てて飲むから」
伊織の背中を摩る。
「ごめ、ありがと」
「あのね、イオリさん」
伊織の頭を抱き寄せてゆっくりと語り始める。
「貴方がやろうとしてることはね、この国が、私たち貴族が出来ないことをやろうとしてるんだよ」
「そっか」
「ごめんね、情けない国で。でもね、かなり前に冒険者と国の軍が合同で討伐に出た話を聞いてるの」
「うん」
「帰ってきたのは四割くらいだったって。沢山の人が亡くなったって聞いたの。数が多すぎて、退却してきたって」
「そっか……」
「はぐれて出てくる少ない数なら対応出来ているみたいなんだけど。オークは人間と同じくらいの知能を持っててね、武器も使ってくるんだって。原始的な武器らしいんだけど、数が多いとどうにもならなかったって」
「うん、気を付ける」
「冒険者の多くが、馬鹿なことをするとか。無理に決まってる、とか言うけど。私はイオリさんを信じてるから。死なないでね、イオリさん」
「なるべく努力するよ」
「もしさ、イオリさん達がやり遂げて帰ってきたら、国が放っておかないと思う」
「それは困るな」
「ガゼットさんだって、この国で一番強いのよ、帰って来れた人の一人だから。あの人も仕方なく、帰ってきたんだと思う。イオリさんがさ、コボルトの集落を殲滅してきたってあれ。ちょっとした事件になったのよ」
「そうだったんだ」
「それを知って、ガゼットさんも希望を持ったんだと思うわ。メルリードさんだって、ファリル先生だってそう。討伐に参加して、悔しい思いをして帰ってきた人たちだから」
「そっか……」
「イオリさん、英雄になっちゃうね」
「やだなぁ、それ」
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