表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/187

勇者と呼ばれて

 伊織は葉月に会うまで、抜け殻のような生活を続けていた。

 伊織を支えてくれた人たちのおかげと、やられたままでは死ぬに死ねないというそんな想いが伊織を再起動させた。

 許嫁を殺した奴らは、自分の手でこの世から抹殺してやると。

 その思いや家族などの助けもあり、なんとか大学へ通えるまでにはなった。

 全ては警察官僚になり、自分の手で敵を取ってやると。

 普通であればそんなことをしても、願いが叶うことがないのは分かるはずである。

 それは、いまだに伊織の精神状態が不安定だからだろう。

 何故そんなことを考えたのか、今の伊織にはわからない。

 正義の味方になりたい訳ではない。

 組織を動かせるようになれば、一矢報いることが出来ると思っていた。

 テレビのニュースに犯行声明も出ていたため、どの組織がやったかは解っている。

 だからいつか、それが実行されればそれでいいと思っていた。

 それだけが伊織がこの大学へ通う理由であった。

 アルバイトをする必要はなかったので大学へ通い家に戻るだけの毎日。


 その日も、そんなことを考えながら大学へ行き、単位を取るための講義を受けて終わったから帰宅する。

 今日の伊織の精神状態はあまりよくない。

 こんなときは心の葛藤など起こり、伊織の気持ちは不安定になっていく。

 何かのイベントのある日だろうか、大学内でもカップルが多く皆幸せそうだった。

 そんなとき、許嫁の小夜子のことを思い出す。

 俺だって小夜子と一緒なら今頃腕を組んでこの道を歩いていたんだろうな、と思い出してしまう。

 そのあとはもう、ネガティブな考えしか浮かんでこなくなる。

 あいつの敵を取ったからといって、喜んでくれるのだろうか。

 警察官僚になったからといって、敵なんて取れるのだろうか?

 自問自答をするたびに目的意識が薄くなっていく。



 最寄り駅への道、信号が青になり横断歩道を渡ろうとしたとき異変が起きた。

 蛇行しながら走ってくる一台の大型トラック。

 横断歩道上には一人の小学生くらいの女の子が途中まで来てしまっている。

 襲ってくるそれを見てしまったのだろうか、ぺたんと座り込んでしまった。

 まずい、と思ったときにはもう走り出していた。

 無意識に体の動いた伊織は、走り寄って女の子を抱き上げる。

 そのまま逃げようとも思ったが、もう目の前まで迫っている大型トラック。

 もう間に合わない、と思った伊織。

 せめて女の子だけでも助けようと、歩道にいる人垣へ投げる。

 そして、大型トラックへ向き直った。

(やる気を失った俺が、女の子一人救うことが出来たんだ。もうこれでいいよな小夜子…)

 そう思って目を閉じようとした途端、自分の身体の周りが激しく光った気がする。

 そして真っ白な光に包まれたような感覚の中意識を失う。



 伊織が意識を回復すると声が聞こえてくる。

「──召喚に成功したようだわ」

「……はい、そのようですね」

 目を開けた伊織が一番最初に見たのが、石造りの天井だった。

 横断歩道でトラックに轢かれたはずなのに、どうしてここにいるんだろうかと。

 寝ていたせいなのか背中が冷たい。

 伊織が身体を起こそうとしたとき、はっきりと耳に入ってきた聞き覚えのない声。

「勇者様、召喚に応じて頂いてありがとうございます」

 声を方向に向くと、見覚えのない女性。

 人がまだ起き上がったばかりだというのに、失礼な人だと伊織は思う。

(召喚に応じた? 何のことだ?)

 やっとのことで立ち上がる伊織。

「誰の事を言ってるんですか?」

 伊織の短い問いかけを無視して話しかけてくる女性。

(わたくし)、このフレイヤード王国の第一王女、リンダ・ムーア・フレイヤードと申します」

(失礼な人だな。俺の問いを無視してさっそく自己紹介かよ)

 聞いたことのない名前の国、伊織の記憶にある王国と呼ばれる国の名前に今聞いた者はない。

 王女と自分を呼称しているこの女性。

 薄いブラウン系の髪を持ち、ターコイズブルーの瞳。

 きらびやかな意匠の髪飾りを付け、いかにも自分は高貴な者と言わんばかり。

「王女?」

「この召喚の魔石を使用して、この度勇者様を召喚させて頂きました」

 最初から用意されたセリフを言っているようにしか聞こえない。

 召喚とはどういう意味だろう。

 魔石とは何のことか。

(勇者って誰の事だ?)

「俺が、勇者?」

「その証拠に、どうぞ『ステータスオープン』と唱えてください。そこに出る称号に勇者と記述されているはずです。そして勇者様には、ユニークスキルと呼ばれます、普通は顕現しない強大な能力が与えられると聞きます。さぁ、ご確認くださいませ」

(こいつ俺と会話するつもりないのか? それに話長いよ。口調が早すぎて聞き取りにくいし)

 その話の流れは、昔、許嫁の子が言った言葉。

【そんな固い小説ばかり読むから眉間に皺が寄ってしまうのよ】

 そう言って貸してくれた異世界召喚もののライトノベルにあったような内容だった。

 漫画等を読みたいと親に言うと、そんなものは必要ないと怒られ、読むことはなかった。

 唯一、娯楽と言えるものに触れたのがその時貸してもらえる小説だった。

「ステータスオープン?」

 何かの呪文だろうか。

 そう伊織が唱えると、頭の中に文字のようなものが浮かんでくる。


 氏 名:イオリ

 年 齢:二十

 レベル:一

 スキル:なし

 魔 法:治癒魔法 レベル一

 ユニークスキル:超回復

 称号:勇者

 

「本当だ、称号に勇者と書いてある、ユニークスキルもあるわ」

 胸の辺りで両手を組み、伊織に祈るかのような恰好で、ぱぁああと明るくなった王女リンダの表情。

「それならば、間違いなく勇者様です。命を賭してお呼びした甲斐がありました。このリンダ、勇者様にお願いがあります」

 やっと会話が成立したようだった。

 片膝をついて、(こうべ)を垂れる王女リンダ。

「なんでしょうか?」

「勇者様、この国をお救いして頂けませんか。隣国から無慈悲な攻めを受け、どうにもならなくなっていまいました。最後の方法としまして、この魔石を使い、勇者様を召喚させて頂いたのです」

 伊織は考えた。

 なんだろうか、この取って付けたような物言い。

 人の話を聞こうとしない、自分の都合しか考えていないと思われる女性。

 攻めを受けていると言う割にはそれほど悲壮な感じのしない、まるで自分の演技に酔っているようなうっとりとした表情。

 物語の主人公であれば、これだけ美人な王女様に言われてしまったら良い返事をしてしまうことだろう。

 だが、人見知りで疑り深い性格の伊織は目の前の女性を観察していた。

 もちろん見逃すはずはなかった。

 言葉の最後に顔を上げたリンダの口元が(わず)かに釣り上がっていたということを。

 そして私利私欲を疑わせるような、気持ちの悪い目つき。

 以前にも見たことがある、伊織を利用しようとする輩と同じ値踏みをするような目つき。

 その変化は伊織でしか見分けがつかなかっただろう。

 伊織は疑惑の願いを向けるリンダに問う。

「勇者ってそんなに強く、強大な力を持っているんですか? レベル一とか書いてありましたけど、そこまで強そうに見えないんですけど」

「はい、召喚された勇者は成長も早く、通常の人の力をすぐ超えてしまうと言い伝えがあります」

 伊織は低いレベルなのに、救ってくれと言われた理由に納得した。

 そして疑問に思っていることを聞いてみることにする。

「俺は元の世界に帰れるのでしょうか?」

 王女は元々答えを用意していたのだろう。

 即答してくる。

「今はその方法はございません。ですが、いずれ私が責任を持ってお返しするとこを誓います。ですので、どうか私を、そしてこの国をお救いください……」

 そこで、リンダはミスを犯した。

 国を救えの前に、自分を救えと言ったのだ。

 伊織は自分の考えに確信を得て、こう答えるのだった。

「わかりました」

「では──」

「断ります」

「えっ」

 瞬間、彼女の懇願(こんがん)の表情が歪む。

 リンダを見下ろしながら、苦笑の表情を向けた伊織。

「さっき顔を上げたとき見たんだよ。王女(あんた)の口元、笑ってたじゃないか。それになんだよ、国より先に自分を救えって。そいつぁ普通おかしいよな。俺、そういうのは解るんだ。あんたは信用できないよ」

 王女の顔は、みるみるうちに眉が釣り上がり、眉間に皺が寄っていく。

 今までのは声色だったのかと思うくらいに低い声、苛立ちを隠せない声で吐き出すように言う。

「……捕らえなさい」

 王女がそう言うと、周りに待機していた近衛兵だろう。

 十人くらいで伊織を取り押さえる。

 色のくすんだ石ころを手に握り、伊織の前に出す。

「この魔石を手に入れるのにどれだけ苦労したと思うのよ。金貨三万枚よ、どうしてくれるのよ……牢へ入れて拷問でもしなさい。多少の事では壊れることはないでしょう、勇者様なのですから。気分が悪いわ、連れて行きなさい」

 伊織は言われるままに、抵抗せず連れていかれるのであった。

 後ろも振り向かず、言葉を投げる。

「別にこの世に未練はないし、あんたに協力するなんて絶対ないわ。諦めるんだな、黒い笑いの王女様」

 薄ら笑いを浮かべながら連行されていく伊織。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ