第12話 そんな暇はないのに、お説教タイム。
「伊織ちゃん。……正座」
「……はい」
伊織は小夜子の言いつけを守り、その場に正座するしかなかった。
正座した伊織の前で向き合うように、小夜子も背筋を正し、正座をして座る。
その表情は『駄目な子』を叱るときのその顔だ。
昔もこんなことがあった。
キスをしてるときについ調子に乗って、小夜子の胸を揉んでしまったときだったか。
あのときも、普段明るい小夜子に顔を真っ赤にして怒られた記憶がある。
今怒られている原因は、もちろん。
伊織が既に結婚していて、婚約者が複数いるという事実に対してなのだろうか。
「あのね、伊織ちゃん」
「はいっ」
「あなたは元とはいえ、あの篠崎家の次期当主だったんです。礼儀正しくて、神童とまで言われたんですよ?」
「はいっ」
「人見知りのくせして、他人の嫌がることを進んで行う。伊織ちゃん。あなたは、あなたが思っている以上に。周りからも慕われていたのですよ?」
「はいっ」
「婚約という事実に胡坐をかいて、私が伊織ちゃんに全てを任せなかった責任は感じています。伊織ちゃんはこんなにかっこいいんですから。女性からモテるもの仕方ないんです。こんなに可愛らしい、美しい女性に囲まれ、慕われたら。拒み続けることが難しいことくらい、私にだってわかります」
「はい。ごめんなさい……」
「日本は一夫一妻制でしたが、この世界はそうではないと聞きました。伊織ちゃんが辺境伯という貴族になったのなら、婚約者が何人いようと。伊織ちゃんがそれだけ甲斐性があるということなんでしょう。それについて攻める気持ちはありません。悔しいとは思いますけれど……」
ここまでの小夜子は『仕方ないわね』という表情だったのだが。
「そ、それなら。許してく──」
「ですが私はそんなことに怒っているわけではありません!」
「ひっ……」
その瞬間、小夜子は美しい『般若』になる。
元々天魔は吸血鬼と翼人のハーフではないかと言われていた。
そのせいか、昔の小夜子よりも数段、怒ると怖いのだ。
伊織の後ろに控えていたドルフが、なぜか一緒に正座をしていた。
そのドルフまで、すくみ上ったように、顔を真っ青にしている。
マールも葉月も豹変した小夜子に物凄く驚いている感じがした。
マールの侍女、プリシラはひたすら笑いを堪えているようだった。
「こちらのメルリードさんに話を聞きました。なんでも深い仲になったその夜、伊織ちゃんは『パンツ』一枚で真冬の寒いテラスに出たそうですね?」
「はいっ」
「そこで攫われてしまったと聞きました。攫った天魔の送った者に、全責任はあるとは思います。ですが、あなたはどこまで怠けきっていたのです? 馬鹿ですか? 女性に溺れて変わってしまったのですか?」
小夜子は本郷家で厳しく、真っすぐに育てられたはずだ。
そのため、曲がったことが好きではない。
その点、昔の伊織であれば、理想的だったのかもしれない。
「……すみません」
「ひとり残されたメルリードさんの立場はどうなるんです? いくら火照った身体を、その、ごにょごにょ……。だからといって、この体たらくはなんですか? あの頃の純真な伊織ちゃんを返してください」
「はいっ。申し訳ございませんでしたっ」
伊織は土下座で誠意を見せる。
何故かドルフも伊織に倣って土下座をしてしまっていた。
「サヨコ。もうそれくらいにしてあげて。イオリだって、好き好んで攫われたわけじゃないんだし」
「そうですね。ですが、先生は最近だらしないところもありましたから。これくらい叱ってくれる人がいるのはありがたいです」
メルリードがフォローしたのに、逆にマールは火に油を注ぐような言葉を投げる。
「あのね、小夜子ちゃん。みんなね、形は違えど、伊織ちゃんに助けられたの。私もそう。伊織ちゃんはね。確かにずぼらな部分はあるの。でもね。この子も死ぬほど後悔したのよ。あなたを助けられなかったって──」
葉月は小夜子に、伊織が壊れていた時代の話をする。
あのときの伊織の悲惨な状況。
こちらで再び、小夜子が死んでしまった事実としてとらえていた状況証拠。
残された伊織の家族の記憶に残らなかった事実。
再び壊れそうになっていた伊織のこと。
「……そんなことが、あったんですね。葉月さん。伊織ちゃんのこと、ありがとうございます。ごめんなさい。伊織ちゃん」
「ううん。いいんだよ。わかってくれたな──」
「でも、それとこれとは話が別です。そんなだらしない伊織ちゃんを認めるわけにはいきません」
「はい。今後は気を付けますっ」
こうして小夜子のお仕置きタイムは終了となった。
「先生。ここから先に見えるのは、レーリアちゃんのお婆さん、ベルーラさんと。そのご主人のヴァンパイア。アイシャ様が住む館なんです」
マールが指差した先には洋館があった。
「アイシャ様の協力を得て私たち、魔王様に会ってきたんです。そこで天魔の結界を破る方法を教えてもらってきました。それなのに先生は自力で脱出してるんですから。本当に非常識ですよ」
「あーうん。本当に悪かったと思ってる。そっか。ヴァンパイアか。なるほど。あ、これ。その結界」
伊織がストレージから取り出した赤く濁った色の魔石。
それをマールに握らせた。
「これがそうだったんですか? 先生」
「そうだね。これが、牢屋の隅に埋め込まれてたんだ。転移と思考話ができなくて、崩すことだけはできたんだよね。そのときにこれだけ残ってたんだよ」
「また牢屋ですか?」
「マール。またって、言わない」
「ほんと、先生って牢屋に縁がありますね」
「全くだよ……」
マールの案内で、伊織たちは館に向かって歩き出した。
そのとき。
伊織の指輪からクァールが飛び出してきて。
「我知ってる。これ、懐かしい匂い」
「伊織ちゃん、この子は?」
「俺の相棒。闇の精霊、クァールだよ」
「転生天魔だね。よろしく」
「クァールちゃんでいいのよね? 私、伊織ちゃんを攫った天魔のひとりなんだけど。その」
「大丈夫。全部聞いてた。小夜子は悪くない。悪いのは腐った天魔の一部」
「あり、がとう」
「ありゃ。クァールもそういう認識だったんだ。手あたり次第やっちゃわなくてよかったよ……。とにかく。魔王さんと仲を取り持ってくれたアイシャさんにお礼を言わないと。それと、一刻も早く手を打たないと。俺が逃げたことを知ったあいつらがどう出るか……」
屋敷に向かう途中の庭先で、どこから現れたか。
ひとりのワーブルキャットの女性が。
その姿は、伊織にとって日本食を毎日食べさせてくれる、家族に等しい侍女のレーリアを大人にしたような感じの人。
その人は伊織の前に現れると同時に、伊織の右手を両手で握ると、深々と頭を下げてくるのだ。