9話 再会。
久しぶりの更新です。
更新に合わせて、8話も加筆してあります。
長く時間が空いてしまってすみませんでした。
一気に足元の石畳が消え、壁も天井もただの砂粒に変換されていった。
だったのだが、さて困った。
これは予想外だ。
手に持った耳かきの明かりでわかるのだが、伊織が分解したのはワンフロア分だけのようだった。
貧乏性の伊織は分解した砂をストレージに突っ込んでおいた。
伊織的には結構な魔力を放出したつもりだったのだが、たったこれだけだった。
それでも結果的には前進したように思える。
何故なら、ぽっかりと空いた空間の四隅に魔石が落ちていたからだ。
『クァール。これじゃないか?』
『我もわかる。魔石で組んだ結界』
『何でも魔石でやれるってことか?』
『魔石に術式を組んでると思う』
『なるほどねぇ』
『伊織を幽閉するための結界だと思う』
『だろうね』
足元には石畳ではなく土。
恐らくは最下層なのだろう。
『他に結界はあると思うか?』
『広い範囲である、かもしれない』
『用意周到なこって……』
周囲を見回すと、牢屋数室分のスペースがぽっかりと空いているだけのようにしか見えない。
クァールが天魔と呼んだ輩たちは、伊織の転移を知っているのだろう。
それで魔石を使って結界を組んだのかもしれない。
『天魔とやらも、そこまで馬鹿じゃないってことか』
『我にはわからない』
『会ったことがないってこと?』
『興味がなかった』
『あらま』
慌てても仕方がないから、ストレージからパンを取り出して腹ごしらえをする。
『みんな心配してるだろうな』
『そうだな。伊織は愛されているから』
『ありがとう。クァールだって俺の家族だと思ってるよ』
『伊織は我の愛し子。そうでなければ加護は与えない』
『そっか。嬉しいわ。さて、どうしたもんかな』
相変わらず明かりは耳かきだけ。
その明かりの先には、一枚の扉だけ。
結界と思われる魔石はとりあえずストレージに放り込んである。
『そういやさ』
『なんだ?』
『天魔って強いのか?』
『伊織ほどじゃない。伊織は勇者の枠を超えた化け物』
『あのねぇ。油断さえしなければ勝てなくはないってこと?』
『そう。けど、数は怖い』
『数の暴力か。そりゃ怖いわな』
『クァール、腹減ってないか?』
『ちょっとだけ』
『いいよ、ほら』
伊織は指を立てる。
『慌てたって仕方ないよ。ちょっと眠れば回復するんだ。クァールだって油断しなきゃ負けないんだろう?』
クァールは指輪から姿を現す。
彼女も我慢していたのだろう。
伊織に一度頬ずりをすると、伊織の指を咥えた。
『いただきます』
いつもの魔力が抜けて行く感覚。
『大丈夫。今度は遠慮しないから。ゆっくり休んで。目を覚ましたら戦いが待ってる』
『わかったよ。おやすみ……』
伊織はクァールという相棒の言葉に安心して、意識を手放す。
扉の外に聞こえる足音で目を覚ました。
ゆっくりと身体を起す。
『おはよう』
『あぁ、おはよう。クァール。お客さんみたいだな』
『そうだな。天魔の気配がする』
『そっか。じゃ、戦闘開始だね?』
『いや。相手は一人。油断しなければ危険じゃない』
クァールが危険ではないと言うのだから、天魔一人くらいは物の数ではないとうことなのか。
伊織は胡坐をかいたまま、暗い空間の先にある扉を注視した。
鍵の開く音。
同時に扉から光が漏れてくる。
『ぎぃ』っと音を立ててゆっくりと開く。
そこにはローブを深く被った、思ったよりも背の低そうなひとりしかいないように見える。
「……めんなさい。また巻き込まれてしまったのね」
「あれ? 日本語?」
「っ! ご、ごめんなさい。また日本人なんですね。落ち着いて聞いてください。その首輪がされていると、逆らうことができないんです……」
声の主は女性のようだった。
それも伊織と同じ日本人のように思える。
「首輪ってこのこと?」
伊織はストレージから手のひらの上に取り出して見せる。
ローブの女性は驚いて伊織の手を握る。
「ど、どうやってこれを?」
「簡単だよ。……俺にはそういう……。あれ? どこかで会ったことない? 聞き覚えのある声なんだけど?」
胡坐をかいたままの伊織と、年若い女性と思われるローブを着た人。
「……えっ? その声……。もしかして、伊織ちゃん?」
声の持ち主は伊織を知っている。
とても優しい声。
伊織のことを『伊織ちゃん』と呼ぶのは知る限り二人しかいなかった。
一人は葉月。
そしてもう一人は。
「もしかして、小夜子。なのか?」
その女性。
亡くなっていたと思っていたその女性。
二度と会えないと諦めていた愛しい女性。
「いやっ! 見ないで。私、醜いから……」
「気にするな。顔、見せてくれないか?」
伊織は小夜子のローブを頭から下ろす。
そこに現れた懐かしい顔。
「……小夜子。だよな?」
「うん。だけど、もう。私じゃないの。私……」
彼女の瞳は、とび色ではなく真紅に。
口元には虫歯ひとつなかった綺麗な歯並びだった彼女には、なかった犬歯のような八重歯。
日本人形のように綺麗だった白い肌が、褐色の浅黒い肌になっている。
漆黒のお姫様のような黒髪も、白髪のような髪だった。
背中には天使のような翼。
それでも伊織にとって、愛しい小夜子に変わりはない。
『クァール。俺の幼馴染の小夜子だ』
『天魔、だね』
『そうか。天魔ってそういう意味なんだ』
『そう。吸血鬼と翼人のハーフと言われてる』
小夜子の首元には、見慣れた首輪。
「そうか。天魔なんだな。でも、この首輪。何でお前にまで?」
「逃げられないように、だと思う。このせいで私……」
「気にするな。こんなもん」
伊織の指先が首輪に触れた瞬間。
小夜子の身体から、長年感じていた嫌な感覚が逃げていく。
それは当たり前のように、伊織の手のひらの上にあった。
「……あれ? 嘘っ」
小夜子はきっと、こんなくだらないものに長い間縛られていたのだろう。
伊織にとっては『この程度』の代物なのだ。
「舐めてもらっちゃ困る。これでも俺、『勇者』だからな」
「『勇者』として召喚されたのね。初めて聞いたわ。……でも私、私。この手で、沢山の日本人を殺めてしまったの……」
「懺悔は後でゆっくり聞くよ。それに、仕方ないだろう。命令だったんだろう?」
「それでも。私……」
「気にするな。俺はこれから沢山の人を殺すだろう。俺は家族を守るためならもう、躊躇わない」
伊織は小夜子を力強く抱きしめた。
「これからはお前は俺が守る。ごめんな、この前は守ってやれなくて」
「ううん。私こそ、ごめんなさい。伊織ちゃんの前から消えてしまって……」
吸い寄せられるように、二人は長く触れていなかった唇を重ねていく。
「痛てっ」
「あ、ご、ごめんなさい……」
牙が伊織の唇に掠ったのだった。
「そんな細かいこと、気にすんな」
再び口づけを交わす。
小夜子の目にはもう枯れてしまったと思われた、涙の滴がそこにあった。