第6話 悠久の魔女と十七歳の猫
「大丈夫かい? マールちゃん?」
「う、うん。大丈夫。でも倒れる寸前、ギリギリだったかも」
マールはプリシラに魔力を補充してもらっている。
「マールも転移魔法使えたんだね」
メルリードは驚いていた。
「一回で倒れちゃうけどね。魔力半分にしてこれだもん。先生、本当に化け物よ」
マールの魔法で五人はリーブエルムへ転移してきた。
ここからは転移なしで進んでいくことになるが、レーリアとワァルのおかげで行き先は決まっている。
ワァルの話では、人間社会の貴族とは意味が違っていて、魔族領であるノースルフィア連合国では貴族はヴァンパイアのことを指すのである。
その中でも最も若く美しいとされている『悠久の魔女』ことアイシャ・ローレンバッハと、その家令を務めるレーリアの曾祖母にあたる『十七歳の猫』ことベルーラに会いに行くことになっているのだ。
反魔王の勢力の情報を得るために魔王に謁見しなければならないのだが、二人に会うことでその近道になるかもしれない。
少なくとも葉月はそう思っているのだ。
マールが前方の雪を吹き飛ばし、減った魔力を葉月が補充していく。
そうして本来の速度で馬車を走らせることができている。
「そこを右。うん、次を左。それでぐるっと右回りに回って、ゆっくりと戻る」
「あ、あのね、ワァルちゃん。遊んでる暇ないのだけれど……」
「あぁ、これはね、結界を抜ける方法なんだよ。順序を間違うと迷い続ける結界が張られているんだよね」
「結界?」
「そうそう。ほら抜けた」
目の前には開けた場所が出てくる。
不思議なことに雪が全く見当たらない。
「あれ? 雪がなくなってる」
一生懸命雪を吹き飛ばしていたマールは拍子抜けをしたような表情をしていた。
「だから結界って言ったでしょ? 私の役割はここまでね。あの二人怖いから隠れてるね。あとはそこの狐さんが知ってるよ」
「ネタばらしは勘弁だよ……。せっかくマールちゃんに見直してもらえると思ったのに」
広大な敷地の中は春の陽気のような温かさだった。
後ろを振り向いても雪だらけの景色はなく、結界という意味が皆にもやっと解かる感じだった。
暫く進むと、小さな屋敷が見えてくる。
小さいと言っても、伊織の屋敷に比べたらという意味だ。
物凄く無防備な感じの庭が見えてくる。
その庭先にはレーリアを大人にしたような感じのワードキャットの女性がメイド服姿でお腹のあたりで手を組んでこちらを見ているのだ。
笑顔のようにも見えるのだが、よく見ると目が笑っていない。
「……あの女性。かなりできるようです。私程度では生きていられるかどうか」
ドルフが震えているように見える。
「なぁに、事を構える訳じゃないんだから、そんなにビビりなさんなって。おーい、久しぶり。元気にしてたかい?」
プリシラがその女性に声をかけると、笑っていなかった目が、とても面倒くさそうな感じになっていく。
「プリシエリーナ……。何しにきたのです?」
「あはは。どうしたんだいベルーラ? 我は古い友人に会いにきただけなんだがなぁ」
「御冗談は顔だけにしてください。さっさとご用件を言ったらどうなんです?」
間違いなく彼女はレーリアの曾祖母、ベルーラだった。
「そうかい? 我の主人が君に用があるから、もちろん君のご主人にも用があるから案内下までなのさ。マールちゃん」
「はい。ベルーラさんですね。レーリアちゃんとシェーラさんから聞いてお伺いいたしました。これをお読みください」
マールはレーリアから預かった手紙をベルーラに渡した。
「お預かりします。…………。メリッサよりも幼いのにしっかりとした方から教育を受けたのですね。そう、イオリ様という方の侍女になれたのですね。あなた、お名前は?」
「はい。マールディア・クレイヒルド・シノザキと申します。馬車にはハヅキ・シノザキ。メルリード・リーブエルム・シノザキが控えています。御者をしているのは、ドルフ。イオリ様の執事でございます。プリシラは私の侍女であり、幼いころからの姉であり、師匠でもあります。どうぞよろしくお願いいたします」
マールはベルーラと同じように前で手を組み、彼女の目から視線を外さずそう答えた。
ベルーラはこの屋敷の主人ではない。
だからあえてこういう挨拶をしたのだった。
「しっかりとしたお嬢さんですね。ご丁寧なご挨拶お受けいたしました。私はこの館で家令を務めておりますベルーラと申します。ご案内いたします。ここで馬車を降りていらしてください」
「よかったねマール。さ、いこうよ」
「はい」
庭を抜けて正面玄関へ案内されると思っていたのだが、そのまま縁側のような作りになっている場所に五人は連れてこられる。
そこには銀色の美しい髪、深紅のドレスを纏った女性が座ったまま小さな少年と小さな猫耳のメイド服を着た少女を膝の上で寝かせている。
愛おしそうに深紅の瞳でうっとりと二人を眺めているのだ。
「あら? こんな姿でごめんなさいね。私はアイシャルーレ・ローゼンバッハこの館の主人です。この子は私の息子のギルファード、息子の侍女のメリッサちゃんです」
マールはつい見惚れてしまった。
年若い少女のようなその女性、アイシャの母性に圧倒されてしまったのだ。
慌てて取り繕うように姿勢を正し、左手をスカートの裾に、右手を胸に当てて片膝をついて首を垂れた。
「初めてお目にかかります。マールディア・クレイヒルド・シノザキと申します。この度はお忙しい中の訪問、申し訳ございません」
「アイシャ、久しぶり。この子が今の我のご主人様なんだ。よかったら話を聞いてくれると嬉しいんだけどね」
「プリシラっ、そんな挨拶の仕方──」
「いいじゃない。我の数少ない友人なんだからさ。ねぇアイシャ?」
「構いませんよ。それにしてもプリシエリーナ、あなたが主を選ぶなんて思ってもみなかったですよ。よろしくねマールディアさん」
「元々はこの子の母親に恩があったんだけどね。アイシャも見えるだろう? この子の才能に惚れたんだけど、我の教え方が悪かったのか、なかなか育たなくてね。でも、この子の未来の旦那様がね、開花させちゃったんだよ」
「えぇ。これは興味深いわね。そう……、人間でもここまでになれるのね。マールさん、後ろに控えてる美しい化け物はどなたかしら? ご紹介していただける?」
マールがアイシャの目線を追うと、その先にいたのは葉月だった。
なるほど、美しい化け物。
思わずマールは納得してしまう。
葉月はアイシャの視線を感じるとマールの横に並ぶと、まるで和服を着ているときのような所作で正座をし、背筋を正して三つ指をつく。
軽く会釈をして頭を下げたままアイシャに応える。
「お褒めに与り、光栄に存じます。私、葉月篠崎と申します」
言葉を終えた瞬間、葉月は挨拶代わりと魔力を開放して見せる。
出し惜しみしても仕方ないのだ。
今の現状を見せて尚、助力を仰がないと伊織は救えない。
「これは凄いわね。この気持ち悪いほど強い光の魔力……。もういいわ、魔力を抑えてくださらない? 私が消えてしまうかもしれないわ」
「申し訳ございません……」
葉月が魔力を抑え込むと、アイシャは苦笑いをしていた。
「あなた、この世界の人間ではありませんね? それにこの感じ、ワァルさんもいるんですよね?」
魔力だけで解ってしまうのだろうか。
指輪から現れて、葉月の肩に座って一言。
「バレてたんだ。久しぶりだね、アイシャ。二百年くらいかな?」
「えぇ、ご無沙汰しております。ワァル様」
「やっぱり、そんな気がしてたんだよね。ワァル様、いるなら教えてくれたらいいのに」
「別に用事はなかったからね。それより葉月、用件を話したら?」
「いいのかしら?」
「えぇ、構いませんよ。私に何も用事がないのに結界に入ってくることはないでしょうからね」
一連の話を聞いてメルリードはとにかく驚いていた。
ワァルが様付けされているのはなんとなく理解できるのはエルフとして理解してはいたが、魔族領での貴族をみるのは初めてだったのだから。
「あら? そこにいるのはリーブエルムの、王族の娘ね。こっちいらっしゃい。お名前を利かせてくれるかしら?」
「は、はい。あたしはメルリード・リーブエルム・シノザキと申します」
「あら、お姫様だったのね。よろしくね」
「はい。よろしくお願いいたします」
「それでハヅキさん、用件は何かしら?」
「はい。私たちの大事な男性、伊織篠崎が何者かに攫われてしまったと思われます。ドルフさん、あの箱を」
「はい。葉月様」
ドルフから箱を受け取ると、ベルーラに渡した。
「お預かりいたします。アイシャ様」
「はい。開けてもよろしいのですか?」
「えぇ。お願いします」
アイシャが箱を開けると、三つの魔石が姿を現す。
「うっ。臭いわ。天魔の匂いがするわ……」
箱を閉めてベルーラに戻した。
「天魔、初めて聞く名前ですね」
葉月の知識にはない言葉を聞いて問いただした。
「えぇ。私たちの住むノースルフィア連合国に属さない魔族ですね。でもおかしいわね。あなたからは天魔の匂いがしないのよ」
「えぇ。私は伊織ちゃんにこちらへ呼んでもらったのです。その魔石で呼ばれたわけではないのですから」
「そうなのね。これも興味深いわ。マナさんとはまた違う育ち方をしたのね、そのイオリちゃんは」
「そうだよ。あの子にはクァールちゃんがついてるからね」
「クァール様が、なるほどですね。闇の魔力……。あの人たちがほしがるかもしれないわね……」
葉月にはちょっとだけ意味が解らなかった。
「あの、勇者なのに闇とは?」
「そうね。私にも勇者が何者なのかはよくわからないのです。天魔が何をしているのか興味はありませんでしたが、このようなことをしていたのですね。ただ言えるのは魔力には形があるということなのです。あなたが光であるように、マールちゃんは火、そちらのお姫様は風ですね。私は闇。あなたのイオリちゃんも同じなのです」
「というと?」
「イオリちゃんでいいかしら? 彼は私たちと同じ魔族と同等に育ってしまった。人間の姿をした魔族と言ってもいいかもしれないわね」
「そうですか。理由はどうであれ、私は伊織ちゃんのおかげでこちらへ来ることができました。そのとき世界を越えたことで異常が現れたんだと思います」
「そんなことがあるのね。確かにマナさんもそんな感じだと言っていたわね。マナさんも光だったのです。あなたほどではなかったのですけどね」
「天魔と呼ばれるものが、なぜ伊織ちゃんを?」
「可能性が高いというだけで確証はないのよ。そうね。魔力と知識を引き出すための道具。悪い言い方をすれば、家畜というところかしら」
「……家畜、ですか」
葉月の表情が変わっていく。
「怒らないで聞いて欲しいの。真実を述べているだけですからね。その可能性もあるということですよ。あの種族は人間を何とも思っていません。それどころか他の魔族も同様なのです。ですから、今の魔王様に従えなかった。そういうことです」
「すみませんでした。あのもうひとつよろしいですか?」
「えぇ。構いませんよ」
「魔族にも、他の世界から人間を呼び出すことをする習慣はあるのでしょうか?」
「そうね。その昔、どうしても解決できない問題が発生したときに、助言を得るために行ったことがあった、という古い言い伝えは聞いたことがあるわね。けれどね、ハヅキさんのような現象は実に興味深いとしか言えないわ」