第15話 決意
呆然とする伊織。
それはそうだろう。
先ほど迄の自分はCランクでないという苛立ち。
そして唐突にその壁が取り払われてしまった驚き。
口を大きく開いたままの伊織を見て、マールは口に手を当ててクスクスと笑っている。
「本当は来週明けてから説明するつもりだったのですが、私を怖がらせたちょっとした仕返しです」
マールはちょっと拗ねたような表情で上目遣いに伊織を見る。
「先ほどは、本当にすみませんでした。頭に血が上ってしまって、つい……」
「許しません! って言うのは嘘ですけど、駄目ですよ。年下の女性にあのような殺気だった振る舞いをしては。本当に怖かったんですから……ちょっとちびっちゃったし……ごにょごにょ……」
マールは段々小声になっていき、最後は聞こえないくらいの声だった。
よく見るとマールは先ほどの服装ではなかった。
着替えてきたのだろう。
(ありゃ、本当だったんだ……ごめんなさい……)
心の中で手を合わせる伊織。
「年下って、俺二十歳ですけど」
「はい、私十八ですよ……これでも」
「ありゃ、落ち着いて見えたから俺より年上かと思ってました。ホント、すみません……」
「はい、許しますから話を進めましょうか」
マールは先ほどのことは気にしていないと言わんばかりに、笑顔で伊織を見ている。
実に大らかで優しい女性だった。
「──ということは週明けと同時に、俺にもその依頼を受ける権利が出来るという訳ですね」
「そういうことになりますね。ですが、あくまでも討伐を依頼するというものではありません。討伐したものに対しての報酬が定められているということです。私の言っていること、わかりますよね?」
ギルドとしてはこう言いたいのだろう。
討伐依頼ではなく討伐されたものに対する報酬を用意してある。
決して複数の討伐を依頼するものではない。
そのような危険な行為は推奨もしていないし。
何が起こってもギルドは責任を持たないと。
「なるほど、理解できましたよ。誰に遠慮することなく、俺が全部喰ってしまってもいいということですね……」
マールは伊織の表情が、まるで獲物を狙う獣のようなものになっているのに気付く。
「ちょっと、何を言っているんですか?」
マールの表情の変化に気付いた伊織は、血の沸騰をどうにか抑え込み。
マールに対して無理して微笑みかける。
「いえ、深い意味はありませんよ。個別に時間をかけて倒していけばいいんですよね。当面のいい目標ができました。色々教えて頂いてありがとうございます」
「わかってもらえましたか、よかったです……」
ホッとする表情をするマール。
そして伊織は残ったお茶を飲み干し、その場で立ち上がる。
「来週の準備を整えておかなければならないのでこれで失礼します。ギルドカードの書き換えのときに、また」
「えぇ、長くなって申し訳ありませんでした」
伊織はマールに一礼すると、ギルドを後にする。
そのまま武器屋へ向かう伊織。
そう、結構長い間、マールから話を聞いており。
外に出ると陽が傾いていたからである。
逸る気持ちを無理やり押さえつつ、歩いている伊織。
(そうだよな、全部俺が喰ってしまってもいいんだよな……)
まったくわかっていない伊織だった。
今の伊織は、正義感で動こうとしている訳ではない。
あくまでも伊織の自己満足を満たすためだった。
それも、憤り、怒りからくる欲求のはけ口を求めているだけ。
伊織は気付いていなかった。
往来をすれ違う人々が、伊織の目を見るなり怯えていたということを。
武器屋へ着き、店内に入ると同時におかみさんが慌てて出てくる。
「──なんだい、イオリだったのかい。悪いんだけど、その殺気を押さえちゃくれないかな?」
おかみさんは伊織にとって、ビジネスパートナーのようなものであり。
母親と同じくらい年上の女性でもある。
慌てて深呼吸をする、そして頬を二回ほど叩く。
パンパン……
「すみませんでした」
「どうしたんだい?」
言葉少なく伊織を心配してくれている。
「はい、研ぎが終わっているかと寄らせてもらいました」
「いや、聞きたいのはそんなことじゃないんだよ。今の殺気はなんなんだい?」
「すみません。実は…来週、オークを喰らうことにしました」
「そうかい、また無茶なことをするつもりなんだね」
「無茶ですか……来週、ギルドランクがCになります。それで、喰えるんですよ、オークが……」
伊織はそのことを口に出してしまうと、また気持ちが昂ってくる。
「ほら、また殺気を漏らしてるじゃないか。もう二十になったんだろう? 子供みたいにはしゃいでるんじゃないよ。まったく……」
「そういえば、おかみさん、お名前は何というのですか?」
「あぁ、まだ名乗ってなかったかね? 私はこの店の店主、ナタリアって言うんだよ」
「ナタリアさんですね、ありがとうございます」
「あのね……イオリ。私の夫がさ、Aランクの冒険者だったんだよ」
「だった……ですか」
やれやれ、という表情をするナタリア。
「そう、今のあんたみたいな戦闘狂だったのさ。私の打った武器を有名にする、だなんて嬉しいことを言ってたもんさ。一昨年の今頃だったかな。親類の娘がこっちに遊びに来ると連絡が入ったとき、村が偶然オークに攫われたんだ。それを聞いて、助け出すって当時の仲間と出て行ったきりでね。結局、誰も帰ってこなかったんだよ。全く、いい男だったけど。バカな男でもあったね。やれやれ……」
伊織は戦闘狂と言われ、上っていた血が冷えたようだった。
「亡くなったんですか……?」
「どこかで生きててくれたらいいんだけど。まず、無理だろうね」
Aランクと言えば、かなりの手練れだったのだろう。
ナタリアは研ぎ終わった刀をカウンターの上にだす。
「頼むから、あんたは帰ってきておくれよ。その刀、貸してるんだからね」
貸しているということを強調するナタリア。
「わかってます、これ大事に使いますよ。勿論、次も砥いでもらいにきます」
「ならいいんだ、気を付けていっておいで」
ナタリアは踵を返すと、工房へ戻って行った。
伊織は母親と同じ世代のナタリアに言われた帰ってくるということを噛みしめて、部屋へ戻るのだった。
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