第4話 やっと、だったのに。
「よければ交易を結んでいただきたいのですが、どうでしょう?」
「えぇ、わたくしも喜んで、と言いたいところですが。人族との接触はまだ慣れていませんので」
「でしたら、リーブエルムであれば、パームヒルドとも国交を結んでいますので、メル姉さんどうかな?」
「そうね。あそこからならいいと思うわ。帰りにママに言っておくわね。エルフが訪ねてきたら迎えていただければ助かります」
「えぇ、喜んで」
足りない物資やこちらの交易品などの話を進めていく。
シェーラとメルリードの母、シルフェリアも旧知の仲だということからリーブエルムと交易を始めることにするのだった。
レーリアは今夜アリアと過ごすように言ってある。
メルリードと一緒に部屋を借りた伊織はベッドに座って寛いでいる。
「これで一段落だね」
「そうね、明日リーブに戻ってくれる?」
「いいよ。話をしてくるんでしょ?」
「そうね。イオリはこのあとどうするの?」
「んー。レーリアを送り届けてから魔族領を見て回ろうと思ってるんだけど。話しに聞いた前の族長さんにも会ってみたいし」
「ベルーラさんっていう人?」
「うん。貴族の家令をしてるって言ってたね。それもヴァンパイアの家だって言ってたし。会ってみたいんだ。俺よりも強いかもしれないって種族ともね」
「ほんと、怖いもの知らずよね……。ところでね、イオリ」
「ん?」
「そろそろあたしを……」
「あのさ、族長さんの家でそれはまずくない?」
「それはそうかもしれないけど……」
ちゅっ
伊織からメルリードにキスをする。
「えっ。珍しい」
「これで我慢してね。さすがにバレたら恥ずかしいどころの話じゃなくなるからさ」
「んもう……」
次の日早々にリーブエルムへ戻った伊織とメルリード。
「あら? イオリちゃんとメルちゃんじゃないの。どうしたの?」
「あのね、ママ──」
ワードキャットの集落との交易の話を詳しく説明していく。
「シェーラったら元気だったのね。懐かしいお友達の話が聞けてよかったわ」
「ママ、会いたい?」
「そうね、久しぶりに……」
「イオリ、いい?」
「うん。構わないよ」
ヴンッ
「えっ? うわっ、気持ち悪い……」
「あ、すみません。こういう人もいるんだ……」
「大丈夫よ。ここはどこかしら? って、転移魔法っ?」
「知ってらしたんですね。俺が復活させたんです」
「……メルちゃん!」
「はいっ」
「絶対イオリちゃんとの間に子供を作るのよ? 凄い子が生まれるかもしれないわ」
「そりゃもちろん。ねぇ、イオリ」
「あ、あぁ。そのうちね」
「んもう……。そうやってすぐ」
「はいはい。この中が集落になってますから」
防壁をくぐって集落に入る。
族長の家へ着いた三人。
「シェーラっ!」
「あら? その声はシルフェっ?」
「そうよ、久しぶり。シェーラ、老けたわねぇ」
「あなたみたいに長寿じゃないのよ。それにしても百年ぶりくらいかしら?」
同窓会で久しぶりに会った友達と喜びを分かち合っているような。
そんなほのぼのとした光景だった。
「レーリア、しっかり勤めるのですよ?」
「うん。ベルーナお婆ちゃんみたいな立派な人になりますにゃ」
シルフェリアとシェーラとの間の交易話もまとまり、一度リーブエルムに寄ってから屋敷に戻ることになった。
「シェーラさん。もしこの先ワードキャットの方を見つけましたら、事情を聞いてこちらへ連れてくるようにしますので」
「すみません。よろしくお願いします」
「お婆ちゃん、ママ、行ってきます」
しっかりとした礼をしてレーリアは二人に挨拶をした。
「シェーラ、またね」
「シルフェも元気でね」
馬車ごと転移して、リーブエルム経由で屋敷に戻っていった。
「アウレアさん、ただいま戻りました」
「お帰りなさいませ旦那様。レーリアも、きっと戻ってくると思ってましたわ」
「メル姉さん。戻ろうか?」
「そうね」
「じゃ、俺たちは魔族領に戻るから」
「行ってらっしゃいませ旦那様」
「行ってらっしゃいませ、ご主人様っ」
「あぁ行ってきます」
「行ってきます」
伊織とメルリードが転移したのと入れ替えだった。
「あれ? 先生の声がしたみたいだけど?」
マールが二人の前に姿を見せる。
「はい。先ほど戻られましたが、魔族領へ行かれましたよ」
「うそん。戻っちゃったのね……」
「マールお姉ちゃん。ただいま」
「お帰りなさい、レーリアちゃん。お母さんと会えた?」
「うんっ」
「レーリア、はい、ですよね?」
「は、はいっ」
何気に厳しいアウレアだった。
防壁の前に転移した伊織たち。
「シェーラさんにもらった地図では、うわっ。こんなに大きいのか」
「そうね。魔族領はとんでもない広さなのよね」
「とにかく、人間の姿ではちょっとまずいかもね」
「そうねぇ。国交があるわけじゃないし」
「よし。耳だけメル姉さんと同じにしとくか。それだけでも違うでしょ」
伊織は自分の耳を触って偽装し始める。
「こんな感じかな。どう?」
「うん。それっぽく見えるわね」
「あと、髪もメル姉さんと同じ色にして、と。眉も一緒に」
「うわ。遠目ならあたしの種族と見分けがつか……、違うわね」
「そう?」
「こんなにかっこいい人いないもの」
「ありがと」
「とりあえず、この交易都市へ行ってみよっか?」
伊織が指さしたのは、ここから数日の場所と思えるヤードエランという町。
魔族の作った町らしいのだ。
「ベルーラさんのいる家が知らされてないらしいからね。魔族領の情報もほしいし」
「そうね。ヤードエランは聞いたことがあるわ。実は冒険者ギルドのようなものもあるらいしいのよね」
「へぇ。どこにでもあるんだね」
「確か『探索者』って名前らしいわよ。こっちでは」
「それっぽい」
「そうね」
パームヒルドより北に位置しているせいか、進んでいくにつれて雪深くなっていく。
北西へ伸びる街道を進んでいくと、比較的道は真っ直ぐになっていく。
これ幸いと見える範囲で転移を繰り返すと、半日ほどでそれっぽい大きな町が見えてきた。
「転移続けて半日とか。どれだけ広いんだよっ」
「だから言ったじゃない。これでも地図のはじっこよ」
「方角だけでも合ってたから助かったわ。これじゃ普通、遭難するぞ……」
ヤードエランの町は除雪がされていて、普通に馬車で進むことができた。
それにしても大きい。
そして何よりも、人間がいないのだ。
『メル姉さん』
『なに?』
『これはびっくりだよ。人がいない』
『魔族領なのよ?』
『そりゃそうだ』
普通ならば馬車で数ヶ月はかかってしまう距離を進んできたのだ。
それでもまだ魔族領では端の方。
額から角の生えている人や、水色の肌をした人。
見た目トカゲのような種族や、虎のような毛色をしたワードキャットに似た種族。
話し声から言葉は通じるように思える。
かなり訛りのある感じはあるのだが、大丈夫だろう。
「そういえばさ、城門がなかったよね?」
「そうね。ここは多分、統治されてるわけじゃないのかもしれないわね」
「なるほどねぇ。ところで、この金貨って使えるのかな?」
「多分大丈夫よ。そういう話は聞いてるわ。駄目なら換金してみましょう。あ、そこ宿屋って書いてあるわね」
「んー? あ、ほんとだ」
ちょっと高級そうな宿屋の門をくぐる。
「いらっしゃいませ。ご利用はお二人でよろしいですか?」
「はい。あ、この金貨使えますか?」
「おや? 人族の金貨ですね。大丈夫ですよ。私の方で換金できますので。買い物ではお困りになるでしょうから。先に換金されますか?」
「はい。お願いします。それでは五十枚ほどお願いできますか?」
「うわわ。お金持ちだ……。いえ、すみませんでした。少々お待ちくださいね」
受付の女性は肌の青い小柄な種族だった。
『きっとシルフ族ね』
『へぇ。そうなんだ』
『えぇ。風の精霊が始祖と言われてるらしいわね。あたしも始めて見るけど』
「お待ちどうさまです。換金の手数料に銀貨五十枚ほどいただきますがよろしいですか?」
「はい。構いません。お願いします」
伊織はストレージから金貨を出して並べていく。
「間違いなく五十枚預かりました。では、こちらをどうぞ」
「ありがとうございます」
「お泊まりは奥様とお二人でよろしいですか?」
「え、えぇ。そうですね」
「……奥様だって」
「はいはい」
「あら? 違いましたか?」
「いえ。婚約者なんです。多少値が張っても構いませんので、いい部屋をお願いします」
「あらぁ。ご結婚前のご旅行でしたか。それはおめでとうございます。でしたら、前金で銀貨二十枚お預かりしてもよろしいですか? 精算時にお返しいたしますので」
「はい、構いませんよ」
伊織は銀貨を置いた。
「ありがとうございます。最近、こうしないと逃げちゃうお客さんがいるので……。では、お部屋にご案内いたしますね。こちらへどうぞ」
「どこも大変なんだね」
「そうね」
階段を上がって二階の一番奥の部屋に案内された。
「こちらです。当店で一番いい部屋ですよっ。これが鍵になります。ごゆっくりどうぞ」
「ほぉ。こりゃ凄い部屋だわ」
伊織の部屋の倍はある広さ。
ちょっとしたスイートルームのような部屋だった。
「素敵な部屋ね……。ここで……、うわっ」
メルリードは顔を真っ赤にしてしまう。
「メル姉さん。まだ陽が高いってば」
「じゃ、今夜抱いてくれるのね?」
「あー、うん。努力します……」
「んー。なんだろう。この違和感。レーリアのごはんが恋しい……」
「大味ね、確かに。いいものは使ってるみたいだけど」
「駄目だ。酒は自分で持ってきたのを出そう」
「やった。ワインがいいわ」
「はいはい」
ストレージからワイングラスとワインを出す。
「はい。メル姉さん」
「ありがと。……んー、美味しいわ。イオリと飲むお酒って最高ね」
「そうだね。これでつまみがもうちょっと」
「そういう意味で、レーリアは優秀よね。姉さんの料理を再現した上に自分でアレンジしちゃうんだから」
「そうだよ。あれこそ日本食。レーリアはうちの料理長にするんだっ」
「はいはい」
その夜。
「あの、ね。あたし本当に始めてだから」
「うん」
「不束者ですが、よろしくお願いします。……これでいいんだっけ?」
「うん。よろしくお願いします」
「……痛い、痛いってばっ」
「ごめん……」
「イオリが悪いんじゃないの。もう一度お願い」
「うん」
すったもんだがあって、なんとか結ばれた二人だった。
伊織はふと目を覚ましてしまった。
隣を見るとメルリードが静かに寝息を立てている。
「幸せそうに寝てるな。ごめんね、今までかかっちゃって」
メルリードの気持ちに気付かなかった、鈍感な自分のことを言っているのだろう。
セレンに、マールにあれだけ言われたのだ。
そういう意味ではしっかりと反省したつもりだった。
メルリードは見た目からはわからないほど一途な女性だ。
いくら寿命が長い種族だとはいえ、待たせすぎだと気付いたのはつい最近。
自分のことばかり考えていた伊織は、相手の気持ちには鈍感だった。
今は本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだ。
伊織はこの部屋にあるベランダのような部分に出てみた。
「んー。寒い」
それはそうだろう。
真冬だというのに半裸でベランダに出ているのだから。
緩んでいた気持ちを引き締めるのには十分すぎる寒さ。
「でも雪止んでるな。綺麗な月、なわけないよな。でもそれっぽいのが出てるな」
今の伊織であれば、この程度では風邪もひかないだろうが。
「さすがに間抜けだからさっさともどろ──」
そのとき伊織に恐ろしい眠気が襲ってくる。
「……あれ? どうした、んだ?」
「……ごめん。我にも抑えられない。無理」
「クァール? ……どう、し、た?」
意識が遠のいていく。
その晩、伊織はメルリードの前から姿を消してしまった。