マールさんは領地経営が苦手。
マールは困っていた。
伊織から辺境伯領の領主代理を引き受けてしまった。
マールは正直領地経営が上手なわけではない。
というより経験がないのであった。
従姉妹であるセレンは教わったわけではないのだが、しっかりと領主としての仕事を全うしている。
マールには兄がいたため、一応背中を見て育ったので領地を治めるという知識はなんとなくはあるのだ。
しかしこの状態ではどうなってしまうか先が見えないのである。
かといって、伊織との約束があるから放り出すこともできない。
「どうしよう……。大見得切ったのはいいけど、やり方が全くわかんないよ……」
マールはどっちかというと、領主向きというより研究者肌なのだ。
最近凝っている魔方陣の開発の方が楽しい。
伊織に褒めてもらいたくて、例の魔力消費軽減の魔方陣を開発することができた。
コンコン
「失礼いたします」
「あ……。入っていいって言ってないのに」
入ってきたのはアウレアだった。
「相当お悩みのようですね」
「そうなのよーっ。領地経営なんてやったことないのに、先生ったらできるって勝手に解釈しちゃって、もうどうしたらいいかわかんなくなっちゃったのよぉ……」
「そんなことでしたら、できる人を側に置かれたらよろしいのではないですか?」
「へ?」
「マール様は私から見ても研究者肌でいらっしゃいますよね?」
「あらぁ、バレてるのね」
「それは……。毎日見ていましたからね。こうなるだろうと思ってはいましたよ。これでも一応私も貴族でしたからね」
そういえばそうなのだ。
取り潰されてしまったとはいえ、アウレアも貴族の令嬢だった。
「あの、さ。アウレアさんは、家の再興とかか──」
「いえ、私は今が幸せなのです。覇王の器である旦那様のお世話ができる。これ以上の幸せがあるでしょうか?」
「あららら。そこまで先生に惚れ込んでいるのね。でも、奥さんになりたいってアピールはしないのね?」
「それは私も女ですから、そういう夢を持ったことはあります。ですが、あの絶望の淵から救っていただいた恩を返せていません。それに、私のような者では釣り合わないのは存じております」
「そんなことないんじゃないかなぁ」
「それに叔父であるドルフと一緒に旦那様に仕えることができるなんて……、あっ」
爆弾発言。
「えっ?」
「……さて、」
「それってどういう?」
「……ここだけの話にしていただけますか?」
「う、うん」
「私はね、亡くなった父が、ドルフの妹である私の母にちょっかいを出して生まれた妾腹なのです。父と正妻である亡くなった母様との間には子供に恵まれませんでした。それでも私を娘として可愛がってくれたのです。私には母が二人いるのと一緒でした。産みの母と育ての母ですね」
「それでも両方のお母さまは?」
「えぇ、あの事件で、父と一緒に……」
気まずかった。
アウレアの生い立ちのことは、伊織も聞いていないのだろう。
自分がそんなことまで聞いてよかったのだろうか。
「マール様は旦那様を戦場において、一番近い場所でお支えになっていました。覇王の所業を一番前で、それもかぶりつきで見ていらっしゃる、私はご婚約者の中で一番尊敬しているのですよ」
「(駄目だこの女性、優秀なんだけど、私とはちょっと違う場所で生きてるかも……)う、うん」
「ですので、差し出がましいとは思いましたが、こうなることを予想しておりましたので、旦那様の家人という立場を利用……、いえ、名前を語って……、語ってるわけではないですよね。ともかく、マール様の話をあちこちで聞いてまいりました」
「(駄目だ、自分の欲望の為なら悪魔にも魂売るタイプだわ……。人のこと言えないけどね)」
「どうぞ、お入りください」
「へ?」
「マールお嬢様、お久しぶりでございます……」
「ぷ、プリシラっ?」
「はい、マールお嬢様がお困りであると聞きまして、コゼット様からお暇をいただきまして、お傍へ来させていただきました」
「アウレアさん、あなたねぇ……」
「マール様は傍仕えを置いておられないことは存じておりました。旦那様が魔族領へ行かれいている間は、ドルフと私もつくことはできます。ですが、旦那様がいるときは、私は、マール様を優先するわけにはいかないのです。それで、一番近しい方は誰か、お調べさせていただきました」
「ほんっと、優秀すぎるわよ。どうやってプリシラのことを調べたんだか……」
「いえ、少々コゼット様を脅し、いえ、お話しさせていただきまして、最初はフレスコット様を引き抜こうかと思ったのですが、『勘弁して』と泣かれてしまいまして、プリシラ様の話を伺ったのです」
「……駄目だこりゃ」
プリシラはマールにとって、『姉や』的存在なのだ。
料理から勉強に至るまで、全て教えてもらっていた。
コゼットが経営している店舗を統括するフレスコットと最高級店の経営を任せていたプリシラを測りにかけたのだろう。
結果、泣く泣くプリシラを手放したということ。
母、コゼットの渋い顔が思い浮かんでしまった。
「では、私は旦那様のところへ戻りますので、プリシラ様、よろしくお願いいたします」
アウレアは、恐ろしいほどに綺麗な所作で礼をして出ていく。
あれでは物語の魔王の配下ではないだろうか、と思えるくらいに気持ち悪い位に優秀なのだ。
マールが『化け物』とからかう伊織の下には、本当の意味で『化け物』が揃っていく。
呆れているマールも十分『化け物』だったことに気付いていない。
「あの、さ。プリシラ……」
「はい」
「そろそろ素に戻ってもいいわよ。気持ち悪いし」
プリシラは髪を左右に振ると、長い耳が姿を現す。
メルリードとは違う、ふさふさとした白く長い毛を携えた少し大きな耳。
スカートの裾から覗く白く長い尻尾。
プリシラは魔族だったのだ。
「……マールちゃん。気持ち悪いはないんじゃないかな? これでも猫を被って頑張ってたんだけどなぁ……」
アウレアに劣らず綺麗な所作でいながら、口が悪い。
でも、肩の力が抜けていく。
リラックスできるのだ。
「猫じゃなくて、狐じゃないの。狐が猫被ってどうするのよ……」
「細かいことはいいんだよ。さぁて、何がわかんないのかな? あれだけ教えてあげたのに、もう忘れちゃったのかな?」
「だって、兄さんが家を継いだのよ。私に関係ないじゃないの」
「あれぇ? イオリ様に大見得を切ったんじゃないのかな?」
「な、なんでそれを」
「マールちゃんを昔から知ってる我にはわかるんですよ」
齢千年を超えるまで生きると言われている狐の大妖。
パームヒルドに迷い込んだ最初の魔族。
それがプリシラだったのだ。
こう見えてもまだ年齢は三百を越えたあたり。
人間でいうと二十代後半にしか見えない。
迷い込んだとき、若いころのコゼットに助けられて恩義を感じ、クレイヒルドでメイドをしていたのが始まりだった。
マールが乳児の頃から『姉や』として面倒を見ることになり、家庭教師のような、姉のような存在になっていたのだった。
「母さんも帰っていいからって言ってなかったっけ?」
「いえ、マールちゃんが心配で帰れるわけないじゃないの。それに、あっち戻ってもねぇ……」
「先生はあげないからねっ?」
「大丈夫、取って食べちゃったりしないから。でも、可愛いのは確かなんだよねぇ……」
プリシラはニヤリと嫌らしく笑う。
「あの暴力的な魔力、彼ってさ、勇者なんでしょ?」
「あ、それ本人の前で絶対言っちゃだめよ。嫌われちゃうからね」
「わかってるってば。勇者とマールちゃんの赤ちゃんかぁ。育て甲斐がありそうだなぁ。あははははは」
「ちょっ、まだ。一回しか……」
「あれ? 教えなかったっけ? 男の子の攻略方法」
「あれは、先生には通用しなかったのよ……。それより、これ。役人の配置なんだけど、リスト渡されてもさっぱり見当がつかないのよ」
「どれどれ……。結構優秀な人揃ってるじゃないの。ふむふむ……」
プリシラはクレイヒルドの領地経営のアドバイザー的な存在でもあったのだ。
とにかく人を使うのがうまかった。
適材適所に人員を配置して、その人に合った仕事を割り振ってしまう。
こうしてマールの苦しいが楽しい内政代行が始まっていったのだった。
「私に化けて先生を襲うのもなしだからねっ」
「ちぇっ、バレてたか」