ちょっと不遇なメルリードさん
メルリードは伊織と同じように、酒に目がなかった。
伊織の強さに憧れ、伊織に恋をした。
メルリードの種族は強さこそが男の魅力だった。
今、メルリードは二十八歳。人間でいえば適齢期なのは知っている。
エルフでも早い人は結婚しているものもいる。
ただ、エルフの寿命からいえば、まだまだ精神的には少女の部分もあるのだ。
見た目も大事だが、自分よりも強いものに憧れるエルフ女性。
メルリードにはまだ現れていなかった。
ガゼットは強かったのだが、ガチムチは好みではない。
以前から伊織は気になっていたのだ。
コボルト集落の単独殲滅から始まり、憎っくきオークの拠点ごとの殲滅。
挙句の果てには、単独でのフレイヤード陥落。
十分すぎる程に強い。
しかし、彼には婚約者が既にいるのだ。
それも複数の。
王女でもあったメルリードには、自分が妻のひとりになることは別に問題ではない。
そういう習慣もあるということは知っているからだ。
だからこそ、お酒が入ると伊織の心が大らかになることをうまく利用して婚約者にしてもらったのだ。
そこまでは良かったのだが、そこから先がうまくいかない。
メルリードはまだ伊織との関係は、婚約者でありながらキスまでしか進んでいないのだ。
婚前交渉という感覚がこちらの世界で忌避されているわけではない。
むしろ伊織が来た世界と同じように、子供ができてから結婚するものもいるのだ。
メルリードはついこの間まで、皆と話し合ってかち合わないように順番を決めていた。
流石に朝から、昼から迫るわけにはいかず、夜になるとそっと伊織のもとへ遊びに行く。
すると。
「メルさん、いいところに来たね。今日、いい酒が手に入ったんだよ」
「えっ? 嘘っ?」
と、つい乗ってしまうのだ。
酒好きである自分を呪うことがある。
でも、伊織と飲む酒は美味しい。
そして何物にも代えがたい、楽しい時間なのだ。
ついにセレンが伊織に抱いてもらったという話をミルラから聞いてしまった。
羨ましい。
『おめでとう』とセレンには伝えたが、妬ましいのは隠せない。
今メルリードは、伊織から親しみを込めて『メル姉さん』と呼んでもらっている。
メルリードから見た伊織は、弟のように可愛い存在でもあり、理想的な男性でもあるのだ。
今度は自分の番だと言ったとき、伊織は『前向きに検討してくれる』と返してくれていた。
きっとセレンと関係を持ったとき、伊織の中で何かあったのだろう。
今後、伊織と同じ時間だけを歩んでいく。
あのとき自分が決めたことだ。
母にも許しを得た。
伊織が内包している魔力の総量から考えると、普通の人よりは長生きをするだろう。
それにしても、メルリードの寿命からは全然足りないのだ。
伊織だって化け物と言われる存在だが、この世には、伊織よりも強く危険な存在がいるのだろう。
もしも、伊織に何かあったとき、または伊織が老衰で天寿を全うしようとしているとき。
メルリードは伊織の命の炎が消えるそのとき、一緒にこの世を去るつもりなのだ。
それが伊織に対するメルリードの愛情なのだろう。
それだけでメルリードは嬉しかった。
だから焦るのをやめた。
明日、伊織が死んでしまうかもしれない。
それはメルリード自身にも言えることなのだが、それ以外の意味で、明日こそ、明後日こそ、と焦るのが馬鹿らしくなってきているのだった。
伊織は自分のことを考えてくれている。
今はそれだけで十分ではないか。
別に母から孫の顔をすぐに見せろとは言われていない。
エルフ独特、子供ができる確率の低さからの長い寿命。
そういう意味では、それなり以上の回数、伊織に抱いてもらわなければならない理屈になる。
ただ、伊織を種馬のように思いたくない。
子供は授かりものなのだから、努力しても無駄なときもあるのだ。
皆と同じように伊織を支え、愛し続けることが許されている。
新しい伊織の領地に屋敷ができる。
そこに自分の部屋を持ってもいいと言われた。
レーリアの里帰りも兼ねているが、ライバルの同伴しない伊織との旅もこの先待っている。
メルリードの伊織に対する見立ては、伊織はこの世界にひとりしかいない闇の精霊であるクァールと契約していることも含めて、間違っていなかったと言えるだろう。
今となってはパームヒルドとメルリードの国、リーブエルムとの交易は盛んになっている。
そのリーブエルムを経由して、そこからはメルリードにとっても、伊織にとっても未開の地。
魔族領が待っているのだ。
伊織との旅は楽しみで仕方がない。
いつもならばマールもついてくるのだが、今回は伊織の領地を立ち上げ、通常に機能するまでの間の領主代理をすることになっている。
だからついてくることはできないのだ。
今回の旅で、ちょっとでもチャンスが巡ってくる。
レーリアというおまけがついているが、レーリアもメルリードと仲が良く、妹分のような間柄なのだ。
伊織の周りにいる人の中で唯一、メルリードだけが人間ではない。
だからレーリアの相談にもよく乗っていた。
伊織の好きな料理を知りたいということから、自分の姉であるキャロラインに紹介したりもしたのだ。
おかげで毎朝、伊織は朝食をとてもいい笑顔で採ることができている。
伊織と酒を交わすときも、レーリアがつまみを作ってくれるのだ。
レーリアは伊織を主として生きていきたいと言っていた。
その願いは聞き届けたいと思っている。
そのためにも、魔族領にいる両親に会わせ、無事を知らせなければならないだろう。
今夜もメルリードの番が回ってくる。
伊織と二人きりになれるのは、心の底から嬉しくてたまらない。
アウレアもレーリアもその準備が終わったら、気を利かせてくれて自分の部屋に戻ってくれる。
執事であるドルフは言うまでもなく気を使いまくってくれるのだ。
「「「こんばんは、メルリード(姫)様」」」
「あははは。いつも悪いね」
「ドルフと私は部屋へ戻ります。レーリア、配膳お願いね」
「はい、アウレアさん」
レーリアはくるくると忙しく、可愛らしくつまみの準備をしてくれる。
伊織と二人でその姿を優しく見守るのが、最近の夜の始まりだった。
「では、ごゆっくりどうぞ。失礼いたします」
「うん。ありがとう、レーリア」
「おやすみなさい、レーリアちゃん」
最近板についてきた綺麗な所作で一礼をすると、レーリアは部屋へ戻っていった。
「さて、メル姉さん。いつも通りだけど、珍しい酒がね」
「うん。ご馳走になるわ。どんな味なのかしら? 楽しみ」
そうして、笑顔で酒を酌み交わす。
飲み友達のような気軽な関係。
しっかりキスは何度も要求しているのだが、それ以上は焦らない。
伊織の気分を優先しながらも、少しずつ前進しているのだ。
メルリードの伊織攻略は、まだ始まったばかり。
そうして楽しい夜はゆっくりと更けていくのだった。