マールの姉と王女様
2月23日発売記念として、遅くなりましたが第三部前の閑話の一話目として登録しました。
短くてすみません。
パームヒルドの王城にあるとある一室。
そこで窓際の木で組まれている桟に指をつーっと這わせる。
「ねぇねぇ、どう? トルテ」
「……全く駄目でございますね」
「うそぉ……」
落ち込んでいる可愛らしい少女はカレルナ・パームヒルド。
伊織の幼い婚約者でもあり、この国の第一王女。
ただその婚約には条件がつけられている。
現在十五歳であるカレルナは伊織から『炊事洗濯掃除を成人するまでにできるようなること』という約束をしたのだ。
指先についた埃を手ぬぐいでぬぐい取っている女性。
マールの一番上の姉で、王女付きの侍女長をしているトルテレット・クレイヒルド。
当年とって二十七歳、葉月と同い年の女性で、カレルナとは従姉妹の間柄だが、叔母と姪のような関係だったりする。
なにせ、カレルナが生まれてから知っているのだから仕方がない。
カレルナもトルテを尊敬していて、よく懐いてくれている。
「うちの妹たちは姫様のお歳になる前に、一通りできるようになっていましたよ?(まぁ、私が仕込んだんですけどね)」
トルテは従姉妹のファリル憧れて学校へ通ったが、魔法の才能に恵まれず、従姉妹のセレンと同じ辛さを味わった。
人並み外れた体力があったことから体術を収め、女性らしさを磨くために(母、コゼットが苦手としていたからもあったが)家事に目覚めてしまったのだ。
組み手だけでだけでいえば、師であるファリルからお墨付きを貰い(実際ファリルより強くなってしまって素手のとはいえガゼットを圧倒してしまうということもあった)、料理ではジータ一と囁かれるメルリードの姉、キャロラインに教えを受けた。
各所を巡って掃除、洗濯、裁縫を独学で磨き、パームヒルド一のメイドとまで言われるようになった。
弟がいたことから家にいる必要がなくなり、下の妹も嫁出てしまった。
自分よりも年上に見えるマールがいたことで、見合いの話も何故か後回しになっていた。
そんなこともあって、早くからカレルナの教育係を務めることになったのだ。
トルテの人柄と、他を圧倒する仕事ぶりから、彼女の評価は上がっていく。
最近では、侍女だけでなく文官までもトルテに伺いを立ててから事を運ぶまでになってしまった。
そうこうしている間に、城でのトルテの地位は不動のものになる。
だからカレルナと何をしていても、何もいう者がいないのであった。
妹のマールが興味を持った男、伊織を覗き見るためにこっそりとカレルナをギルドへ連れて来たのも、実はトルテの仕業だったのである。
伊織という青年は綺麗な顔立ちをしてるとマールから聞いていた。
トルテが何気なく話したとき、カレルナが興味を持ってしまったのだ。
カレルナを軽く変装させて、ギルドの入り口からそっと覗いたとき。
「あら? あの殿方が、マールの言っていたイオリ様なのですね。これはまた可愛らしい顔立ちをしているのですね……」
「あ、あ、あ……」
「どうかされましたか、姫様?」
「あのお兄ちゃん、凄く綺麗……。私、あのお兄ちゃんのお嫁さんになりたい」
「あらまぁ……」
と、これが伊織とカレルナの初の邂逅であった。
伊織は勿論気付いていなかったのだが。
「先日教えたように、全て掃除をしたと思っていても、目の高さの位置ではないところは案外忘れがちになってしまうものです。ですので、掃除する順番を決めておくようにとお教えしたではありませんか」
「そうだったね。うん、もしお兄ちゃんが見ちゃったら恥ずかしい思いをするのは私だもんね」
「えぇ、掃除は完璧です。と言った側からこのようなことがあれば、嘘をついたことになってしまいますね。お約束は絶対ですもの、姫様はもっと精進しないといけませんね」
「うん。頑張る。これ終わらないとお料理もあるんだもんね」
「そうですね。お掃除もお洗濯も、お料理もお裁縫も。少しでもいいのです、毎日続けないと腕が鈍ってしまいますからね」
「うん。負けられないからね、お姉ちゃんたちには」
クレイヒルド家にも、アールヒルド家にも、執事や侍女を始めとする主たちの身の回りの世話をする使用人はいるのだ。
だが、できないことを指示するのは難しいこと。
不可能なことを命令してしまうことは愚かなことだと、両家の女性は幼いころからある程度教え込まれる。
コゼットのように、苦手ではあっても知識としては有している。
それが貴族の一般常識でもあったのだ。
それは王家の者であっても変わらない。
できないことは仕方のないことだが、知らないことは恥だと育てられるのだ。
カレルナは砂が水を吸い込むように物覚えが良い。
気まぐれでトルテがカレルナに体術を教えたときに、何となく感じていた。
一手教えるごとに面白いように理解していく。
あまりに楽しくなってしまい、トルテが体得しているものを全て教えてしまったのがつい二年ほど前。
裁縫、掃除、洗濯、料理と順を追って基礎を教えてきた。
だが、どうしても裁縫と料理だけは上達しない。
持ち前の性格のせいだろうか、かなり大雑把なのだ。
裁縫は雑巾程度、料理は野営料理程度にしか上達しない。
知識としては十分と言える基礎は持っているのだが、この辺はどうにもならないだろうとトルテは思っていた。
「姫様は負けん気は強いのですが、大らか(流石に大雑把とは言えない)な性格ですからね……」
「ん? トルテ、何か言った?」
「いいえ、今日も可愛らしいですよ。イオリ様に褒めてもらえるように、頑張りましょうね」
「うん。私頑張るよっ!」