第53話 イオリ辺境伯邸の建築
第2部エピローグとなります。
伊織は旧ミデン地区、現イオリ・シノザキ辺境伯領に来ていた。
旧王城のあった場所の周りに作った城壁を取り去り、何もない広場の端にテントがぽつんと建っている。
それはいつも伊織が持ち歩いていたテントで、その中には新しく作った転移魔石板が置いてある。
なので今日は伊織一人で来ていたのだ。
部屋に書置きを残さなくてもアウレアかレーリアが伊織の所在を伝えてくれるはず、用事があれば魔石板を使って来ることができるようになっている。
伊織はアールグレイの建物を建てる前にやっていた、小さな模型を作っている。
ここをこうしよう、ここをもうすこし、とあれこれ悩んでいると。
「イオリ閣下」
「……あの、クイラムさん。その呼び方やめてくれませんか?」
言葉の通り、伊織は凄く嫌そうな顔をしている。
「いえ、閣下は辺境伯なのですから」
「……じゃ、クイラムさん。クビにしようかな」
「──えっ?」
クイラムは、いきなりの解雇通告に顔が青ざめていく。
「嫌だったら、その呼び方やめてくれませんか?」
「は、はい。では、ドルフ殿と同じように旦那様、でよろしいでしょうか?」
「まぁ、それならいいかな」
伊織は家臣に対して、あまり冗談を言わない。
というより、本音で話をするのでさっきの解雇通告は決して冗談にとれないのだ。
クイラムは深呼吸をして落ち着きを取り戻すと、報告を続けることにする。
「先日、旧王家に対しての処遇が決定いたしまして」
「あぁ、その話ね。マールのオッケーが出てれば別に問題はないと思うよ。俺は興味ないからね」
伊織はマールから簡単には聞いていたのだ。
基本は財産没収、といってもすでに着の身着のまま状態なのだが、その状態での放逐。
もちろん、この国に留まることは許さない。
人を殺めた者、それに準ずる者については、鉱山行きということになっている。
タダで飯を食わせる義理もないから、働いてもらうことになったのだ。
だから幽閉などは一切なし。
改心しそうな女性や騎士などは、下働きからやり直して働くかどうかなど。
そのあたりの振り分けはクイラムとドルフがもう既に終わらせていた。
伊織が元いた世界と違って、元王家や元貴族とはいえ他国に貯蓄があるわけがない。
本当の意味での裸一貫となるのだ。
それが贅沢な生活をしていた者にとって、どれだけ過酷なものか。
それだけで十分な罰になると考えている。
無血での解決を望んだ伊織に従って、このような処遇になったのだった。
「あのさ、クイラム」
「はい」
「どうしても処刑しなければならない人はいなかったんでしょ?」
「はい。ドルフ殿とアウレア様と話し合いまして、死ぬより過酷な処遇であろうと鉱山へ行ってもらいましたので」
「そうだね。プライドの高い人ならそうなるだろうから」
自分たちで開発した『隷属の首輪』で囚われるのだ。
伊織とマールが調べたところ、見事に抜け道がない仕様だったことで鉱山行きの者に使われることになったのだ。
あのリンダにすら温情を与えた伊織の話を聞いているクイラムとドルフ。
必死に頭を捻って、この度の処遇を考え抜いたのだろう。
それでなくても、伊織の力によって一瞬のうちに王家が解体されてしまったのだ。
一部の者を除いて、憎悪を抱く暇などなかっただろう。
伊織の姿を憶えている者も多くはないはずなのだから。
「そういえば、ヨールさんに会った?」
「はい。旦那様のご家族という話を聞いていましたので、同じ境遇の者として仲良くさせていただいております」
「そっか。仲良くしてくれると助かるよ」
伊織はある程度屋敷のアウトラインが決まると、今度は外に出てストレージから王城を壊したときの砂と赤土を出してみる。
地面しゃがみ、赤土と砂を軽く混ぜてから地魔法を使って魔力を流すと、それは赤茶けたレンガ色のブロックへと姿を変えた。
「ほほぅ。それはまた趣のある色ですな」
伊織の背後からぬぅっと影を作りながら覗き込むドルフの姿があった。
「これはね、俺の好きな建物の一つの素材っていうのかな。向こうでは『レンガ』って呼んでた。それに近いものができたと思うんだ。赤土と元の砂から作ったんだけどね」
伊織が住んでいた日本。
例えば、東京駅などのことを言っているのだろうか。
もちろん日干しレンガなどとは違うものなのだろうが、見た目が似た感じにできて、伊織はちょっとだけ満足していた。
「レンガ、ですか。なんか、こう、温かみのあるものでございますな」
「そうだね。これを無数に外壁と内壁に貼ってしまおうと思ってる。屋敷を建てるときにひとつだけ拘りたいな、と思ってたことなんだ。こんな感じのものにね」
そう言ってドルフに見せたミニチュアは、赤茶色のブロックに白いブロックの窓枠などが配置されている、少しだけ東京駅に似た感じの屋敷。
「落ち着いた感じの屋敷になりそうですな。これは守り甲斐があると言うもの。さて、私もクイラム殿と打ち合わせがございますので、これにて失礼いたします」
「うん。よろしくね」
元々ミデンホルム王城跡地は広大な広さがあった。
伊織は今建築中の屋敷を王城の大きさにするつもりはない。
転移魔石板を設置する都合上、アールグレイのように建物の住み分けをするつもりだったのだ。
アールグレイの町の建築を手伝ってくれていた技師たちも今、伊織の屋敷の建築を手伝ってくれている。
さすがに魔石板を使わせるわけにいかないため、伊織が馬車ごと転移させてきたのだった。
東京駅に似た外観ができあがりつつある状態で、伊織は無数の赤レンガを作り続けていた。
これを東京駅と同じように外側に貼り合わせていく。
砂の色で隙間をつくり、近寄ると色のコントラストが綺麗だった。
屋根部分にあたるところは、これまた東京駅と同じように黒みがかった色をしている。
この地はパームヒルド城下ほどではないが、ガゼット伯領より北に位置していて、雪も積もるという話を聞いていた。
そのため、屋根は東京駅っぽく雪が積もりにくい形にしてあるのだ。
屋敷と平行して、周りの庁舎も作っている。
伊織の屋敷でこの地を収める執務をするつもりがないため、執務を手伝う役人や騎士を駐留させる建物など。
様々な建物が伊織の屋敷を覆うような感じに建築されてきている。
「こう見るとイオリは辺境伯っていうより、職人の親方みたいだな」
「よう、ジムじゃないか。暇そうだな」
声をかけてきたのは、伊織の唯一の男の友人ともいえるジム・マグムレット。
彼はガゼットの義弟であり、ガゼット伯夫人のケリーの弟。
マグムレット家を継ぐつもりはないと言っているが、家名は残すらしいのだ。
「仕方ねぇだろう。義兄さんがここにできる練兵場で鍛錬するってきかないんだ」
「あぁ、すまない。俺の弟子ってことになっちゃったからなぁ……」
「全くだよ。昨日なんて鍛錬終わってから、ハヅキ先生のところでドルフさんと三人で人体の構造について補習することになっちゃったし。ケネスさんとデートの予定だったのに、怒られちまったよ。あの子、臍曲げると大変なんだ……」
「あー。それはお前が悪い。騎士は頭が悪いとできないだろう? それに基礎的なことがわかんないと、俺の話聞いてもさっぱりだろうに」
ジムとケネスとの関係も良好なようで、伊織は一安心しているのだ。
「それを言われると言い返せないよな……。義兄さんも姉さんも、剣にかけては物凄く口うるさいからなぁ……」
「あ、それと、ジム」
「ん?」
「お前、今日から男爵な。俺の寄子」
「え?」
辺境伯になった伊織は、自分の寄子であれば指名できるのだ。
「だから、頑張ってくれよ。ジム男爵閣下」
「えぇえええええっ?」
「お? 断るのか?」
「いや、断るなんてそんなことないんだけど。いや、せめてちゃんとした拝命をだな」
「んじゃ、そこしゃがんでくれ」
伊織はその場に立ち上がり、ストレージから刀を取り出し抜いて刃先をジムの肩に這わせる。
「これでいいのかな? ジム・マグムレット。お前は今日から俺の寄子。男爵だからな」
「はい、仰せのままに。イオリ辺境伯閣下。……でもなんか違うんだよな」
「知らねぇよ。俺だって貴族にされたときは『あなたは今日から名誉騎士爵』の一言で終わったんだぜ。まだいいだろうに」
「あ、あぁ。そうかもな」
「それにジムは俺の孫弟子みたいなものなんだ。寄子にもなったんだから、ちゃんとした屋敷も作ってあるぞ。ほら、あれだよ」
伊織が指さした場所には、伊織の屋敷の並びにある同じデザインの建物。
伊織の屋敷ほどではないが、そこそこ大きな屋敷だった。
「えっ? あれ、俺が貰ってもいいのか?」
「うん。いっそケネスちゃんと一緒に住んじゃえよ。男爵夫人なら文句もないだろう?」
「あ、あぁ」
「使用人はクイラムさんに紹介してもらってくれ。じゃ、この領地の防衛は任せたぞ、騎士団長」
「えぇっ?」
「騎士の任官の申し込みも来てるらしいから、そっちは任せた。これでひとつ厄介ごとが片付いたな」
「厄介ごとって……」
「ここにいたのか、ジム」
「えっ? あ、に、義兄さん……」
「ガゼットさん、いいところに。ジムは今日から俺のとこの男爵で騎士団長になったから。適当にお願いしますね」
「お、おう。そうか、騎士団長か。うんうん、それでこそ男の仕事だ。さぁ行こうか。仕事は山ほどあるんだからな、あっはっはっは」
ずるずると襟首掴まれて引きずられていくジム。
「ちょ、イオリ。そりゃねぇよ……。あれ? 騎士団長って、もしかして、パームヒルドの?」
「がんばってなーっ」
数日後、屋敷の外観はほぼ完成した状態になる。
伊織は内装の着手を始めていた。
内装といっても、壁の装飾や什器備品の設置などだ。
伊織の執務室はマールが楽しそうに手掛けている。
暫くは彼女が使うことになるから、伊織から好きにしていいと言われていたのだ。
「これをこう置いて。うん、いい感じ。あ、先生」
「マールどう? 終わりそう?」
「いいでしょ、この部屋」
「う、うん。可愛らしいと、思うよ」
実に少女趣味に仕上げられた伊織の執務室。
色味といい、家具などもマールの趣味で揃えられている。
「あ、アウレアさん、それこっち置いてね。レーリアちゃん、それはこっち」
「はい、奥様」
「やだなぁ、まだ違うってば……」
奥様と言われて照れ照れなマール。
「はい、言ってみただけでございます」
実に見事なマールのあしらい方。
伊織の筆頭メイドとなったアウレアは、マールよりしっかりしているのだ。
「あははは。マールお姉ちゃん。真っ赤だよ」
「レーリアちゃんったら。んもう……」
「じゃ、アウレアさん、レーリアちゃん。マールの手伝いお願いね。俺は自分の部屋見て来るわ」
「はい、かしこまりました。旦那様」
「はーい、ご主人様っ」
執務室を出て、暫く進むと入り口に『伊織』と日本語で書かれたプレートが貼ってある部屋に辿り着く。
ドアを開けて中に入ると、そこは伊織が無茶をして作った日本間。
土間があり、靴を脱いで上がると、そこには畳もどきで作られた二十畳ほどの広さ。
この畳も、い草に似たような植物を干して作った伊織の自信作である。
香りも畳みそっくりで寝っ転がると、いい香りがする。
「ふぅ。いい匂いだな」
見上げた天井も日本家屋のように模して作ってある。
梁があり、窓枠も木製だ。
壁も木製で、檜に似た香りの木を探すのに手間がかかったが、いい感じに仕上がったと思っている。
ベッドはなく、ミルラに作ってもらった布団が畳んである。
綿の再現もしっかりできていて、高級木綿布団のような仕上がりになっていた。
中央に掘り炬燵が設置してあり、足を下して座ることができるようになっている。
この炬燵布団もミルラに無理を言って作ってもらったのだ。
これから寒さが厳しくなるこの地域。
必需品になるだろう。
この炬燵で暖をとりながら、ミカンに似た果物を食べる。
最高の冬のシチュエーションだ。
洋室も悪くはないのだが、やはり日本人である伊織はこのような和室が落ち着くのだ。
葉月も気に入っていたようで、病院がなければここに住みたいと言っていたくらいだった。
屋敷の内装のチェックも一通り終わり、伊織は一休みをしに戻ってきたのだ。
伊織は掘り炬燵に足を下ろし、ぬくぬくと温まりながら自分でお茶を入れて啜り始める。
「ずずず……。はぁ、やっぱり日本人はこれだよねぇ。これが日本茶で、野沢菜でもあれば最高なんだけど」
なんという贅沢な妄想。
伊織がこの地で驚いたのは、農産物に米があったことだった。
あとは味噌としょう油に近いものを探せば、レーリアに毎朝美味しいごはんを作ってもらえる。
今でも十分すぎる程の日本食の再現度合いなのだ。
レーリアはどうやってあのような料理を再現したのだろう。
伊織は不思議だったが、食べられる喜びの方が大きかったため、ツッコミを入れるつもりはなかったのだ、
この付近の建物が全て完成し、伊織を中心とした辺境伯領としてスタートできるのはもうすぐだろう。
そうすれば一度、メルリードとレーリアを連れて魔族領へ足を運ぶ予定になっている。
レーリアの両親に会い、彼女の無事を知らせなくてはならない。
レーリア自身がここに残りたいと言っても、両親の了解を取らなくてはいけないだろう。
今まで伸び伸びになってしまっていたが、もうすぐ行くことになる。
伊織も魔族領は楽しみなのだ。
様々な魔族や、魔王にも会ってみたい。
メルリードの話によると、伊織を凌駕する力を持っている種族もいるという話だ。
ワァルやクァールがその存在だったことから、伊織はすぐに信じることができた。
伊織は人間の間では最強の部類に入るのだろう。
だが、それ以上の強さの存在がいるのだ。
伊織の興味は尽きない。
手合わせもしてみたいと思っている。
伊織はその場に横になり、目を瞑り、思いをはせる。
この領地の北にも東にも、他国が存在する。
ある意味ここがパームヒルドの防衛線。
だからこそのイオリ辺境伯なのだ。
まだまだ見ていない世界が広がっている。
一休みしたら、この周囲の建物の仕上げをしなければならない。
それが終わったら、イオリ辺境伯領の簡単な式典もする予定になっているのだ。
ミデンホルムが解体され、イオリ辺境伯領となった。
かといって伊織はここで大人しくしている性質ではない。
理不尽が嫌いだと言って、自分から厄介ごとに頭を突っ込んでいくのだろう。
すぅっと意識が遠のいていく。
い草に似た香りと、檜に似た香り。
日本的な香りに包まれて、伊織は居眠りをしてしまう。
今回で、第2部は終了となります。
あちこち間違いを直した後、第3部を開始する予定です。
これからも宜しくお願い致します。