第46話 ミデンでのお散歩
「アウレアさん、レーリアちゃん。ちょっと外出してくるからお願いね」
「はい、いってらっしゃいませ旦那様」
「はい、お任せくださいご主人様」
この街、アールグレイでは顔が知られすぎている。
そろそろ肌寒くなってきているのもあって、ジータもあまり変わらないだろう。
ガゼット伯領もまだ慌ただしいかと思い、飛んだ先はミデンホルム地区。
伊織は、部屋から直接飛ぶことにした。
ヴンッ
間もなく雪も降ろうとしているパームヒルドと違い、こちらは風も弱くて暖かく感じる。
それに以前と違って治安は悪くないようだ。
目つきの悪い兵士の巡回はなく、町の人々にも笑顔が戻っているように見える。
治めていた王族とその取り巻きの評判が悪かっただけで、城下町自体はそれなり以上に発展しているいい町だったのだ。
「えっ? ここは?」
「お兄ちゃん、ここって?」
「うん、アウレアさんがいた国。ミデンホルム王国だったとこ、かな。セレン姉さん、ミルラ、寒くない?」
「えぇ、こちらは暖かいんですね」
「大丈夫だよ。それに女の子はね多少寒くても我慢して可愛い服を着るものなんだからね」
セレンはブラウスにベスト、ミルラに至っては肩が露出した格好をしている。
確かに可愛らしい服なのだが、キャミソールというか、ほぼ水着の上に何かを羽織ってるような感じにも見えるくらい露出度が高い。
「そういうものなのかな。うん、確かに可愛いよね」
「そ、そう? 服が? それとも、わ・た・し?」
伊織はミデンが暖かく感じたので、長袖のシャツの袖を捲っていた。
ミルラが腕に抱きついていたもんだから、ミルラの胸が当たり、おまけに素肌の感触まで感じるのだ。
見てはいけない、そう思った伊織。
「も、もちろんミルラが、だよ」
「えへへーっ……」
ミルラは自分で言っておきながら、しっかり照れていた。
「あら、私は可愛くないんですか?」
セレンも言うようになったものだ。
「もちろん、セレン姉さんも可愛いですよ。……というより、綺麗、かな?」
「あら、嫌だ。綺麗だなんて……」
実に似たもの姉妹であった。
町自体はパームヒルドのような日本のテイストは盛り込まれてはいないが、ヨーロッパの田舎町のような、石やレンガで作られた街並み。
商売が盛んで、ぱっと見はパームヒルドより交易が盛んにも見える。
「そっか、ここってお兄ちゃんが開放したって国なんだね」
「うん。ま、何もしてないんだけどね、実際は」
何もしていない、間違ってはいないのだ。
ただ、膨大な魔力を開放して圧倒的な力を見せつけて、王城を一瞬で消し飛ばしてしまった伊織の噂は、人々の間ではあっという間に広がっていたようだった。
「もしかして、イオリ様じゃないか? よかったこれ食ってくださいよ」
そう言って伊織に投げよこされた果物。
柄はいいとは言えないが、とてもいい表情をしている果物屋の店主のようだ。
「すみません。これ、お幾らですか?」
「いや、いいんだ。イオリ様のおかげで商売がやりやすくなったし、町の雰囲気も格段に良くなったんだ。みんな知ってるよ、あの王城を一瞬で砂山にしちまったって、ね」
にやっと笑う果物屋の店主のおっさん。
伊織は貰った果物を見ると、今、アールグレイで採れている果物に負けないくらいのいい香りがした。
「悪いね。ありがたく貰っとくよ。屋敷ができたら定期的に買いに来させるからさ」
「おう。冗談でもうれしいですぜ」
口は悪いが、気のいいおっさんだ。
「イオリ様、これももっていってくださいな」
「イオリ様、これどうぞ」
自分のところの商品をアピールするようなものだろう。
伊織を見かけた商人が色々なものを持たせてくれる。
そもそも領主クラスの存在が町中を歩いているのがおかしいのか。
それだけあのときの事件が国民にとって衝撃的だったのだろう。
人々から貰ったものは、伊織の右側に寄り添って歩いているセレンが手提げの篭に入れて持ち歩いていた。
ミルラは伊織の左手にぶら下がるようにして、町中を見ながら歩いている。
「お姉ちゃんここ、いい感じの町だね。商人の目から見てどう思う?」
「ジータより交易が盛んな感じかしら? イオリさん、皆さんの表情がすごく柔らかいのですが、聞いていた話と違いますね」
「そうだね。俺が最初来たときはもっとピリピリしてたかな。兵士が徘徊してて、嫌ーな感じだったね。……っていうかミルラ。腕におっぱい当たってるから、もうちょっとその……」
「いいんだもん。兄妹なんだから、そんなこと気にしちゃ駄目よ。それに当たってるんじゃなく、当ててるのっ」
「ちょっとミルラ、あなたは──」
「お姉ちゃん。最近、凄く綺麗になったよね。イオリさんにえっちし──」
「──やめてっ! こんなところでそんな……」
セレンは押し黙ってしまった。
お小言を言おうとしたセレンの出鼻を挫くほど、露骨な表現で切り返すミルラ。
「ミルラ。ちょっとそれは……」
「えへへへ……」
ちゃんとフォローするのを忘れない伊織。
「セレン姉さん、そんなにむっつりしたら、綺麗な顔が勿体ないですよ。それに、その篭いっぱいになってるやつ、ストレージに入れちゃった方が」
そう、セレンもかなりの量をストレージに保管できるようになっていたのだ。
どれくらいの量かは聞いてはいないが、毎晩マール式魔力操作鍛錬法を欠かさず、その増えた魔力で倒れる寸前までストレージ操作をしまくっているという話を聞いたことがある。
伊織がストレージを魔法だと解明してしまったことから、セレンはストレージ術師と言ってもおかしくないほどの練度を高めてしまっていた。
一度は諦めた魔術師への道ももしかしたら開けるのではないかというくらい、一般の人と比べたらかなりの魔力を保有しているかもしれない。
「綺麗だなんて……、あ、いいんです。イオリさんの人気あるところをもっとアピールするんですから」
「いや、俺そんなに目立ちたくな──」
「お兄ちゃん、もう遅いんじゃない? 結構有名人みたいだよ、ここでは」
「そうだよねぇ……」
伊織の姿を見かけると、小さな子供まで手を振ってくる。
ちゃんと伊織も笑顔で応えている。
セレンの持っている篭にはもう入りきらないほどの試供品が詰まっていたのだ。
「マールが暫定的に領主になるって宣言したんだけど、すっかり俺の名前の方が通っちゃってるんだよね。もしやクイラムあたりが触れ回ってたりしないよな……?」
「どっちにしても、お兄ちゃんは見た目とは違ってとんでもない魔術師に見られてるんだろうね。わたしも見たかったな。一瞬で城を砂に変えちゃったってところ」
「そうね。私もイオリさんがそうしているところは見たことないんだもの。報告でしか知らないのよね」
「そうそう見せるものでもないと思うんだけどなぁ」
「イオリ様、これ持って行ってください。……あら、綺麗な奥様ですね。そちらの可愛らしいお嬢さんは妹さんかしら?」
「そうです。俺の嫁です。こっちは可愛い子は妹なんですよ」
伊織は右手でセレンの肩を抱き、左手でミルラの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「イオリさん、嫁だなんて、私まだ……」
「嬉しいな、すっごく嬉しい……」
ミルラはそう言いながら伊織に思考話でそっと語り掛ける。
『お姉ちゃんの機嫌、直ったみたいだね』
確かに沈みがちになっていたセレンの機嫌も元に戻ったように思える。
『そうだね。あれ? ミルラちゃん、もしかして』
『そうだよ。お姉ちゃんの手前、言わなかったけどね。わたし、魔法が使えるんだ。お兄ちゃんから魔石貰ったあとね、マールちゃんからやりかた教わってたんだよ。だから今、魔石使ってないんだよねーっ』
『そっか。いい、妹だよ。ほんとに』
『でしょ? もっと褒めてくれてもいいんだからね。あ、部屋戻ったら……』
『ん?』
『今日はホントはね、わたしがお兄ちゃんに甘える日だったんだよね。でも、お姉ちゃんが落ち込んでたから、こんな日もいいかなーって』
『そっか。うん』
「よし、セレン姉さん、そろそろ戻ろうか。姉さんも仕事あるんじゃないの?」
「あっ、忘れてたかもしれません……」
セレンは楽しかった散歩ですっかり仕事のことが頭から飛んでいたようだ。
伊織が開放したこのミデンホルムのことや、伊織の立場などの調整がまだ終わっていない。
実際、揉めているのだ。
伊織をこのまま騎士爵という低い位にしていいのかという話が持ち上がっているのだ。
それを言い出したのはもちろん、ロゼッタとコゼットなのだが。
アールグレイの発展、ガゼット伯領の開放、そしてこのミデンホルム。
これだけの功績をあげた伊織をそのままにするのはパームヒルドとしても困るのだ。
表に出たがらなかった伊織のことを考えて、今回調整していたのがセレンだった。
セレンも色々大変な時期なのに、伊織のことが最優先だったりするのだ。
「じゃ、戻ろっか。ミルラちゃんもいいかな?」
「また連れてきてくれるんでしょ? お兄ちゃん」
「それはもちろん」
「じゃ、帰ろ」
「そうね。あ、イオリさん、私は実家に送ってもらえないかしら?」
「いいですよ。じゃ、ジータからだね」
伊織はこの国では表だって転移をしてしまっているから、その場から転移することにした。
「では皆さん、今日はこれで。また来ますので、その時にでも」
その声で皆の視線が三人に集まる。
ヴンッ
一瞬で三人の姿が消える。
「うへぇ、大魔導士って話は本当だったんだな」
「そうね。あの豊かと言われたパームヒルドになったんですもの。イオリ様が領主様になれば、ここももっと豊かになるかもしれないわね」
人々は伊織がいた場所を見て、この地の未来の期待を胸に伊織への感謝を込めて噂をするのだった。