第44話 公爵令嬢の覚悟
今年最後の更新になります。
暗い中ベッドに近づく女性の影があった。
伊織に近寄るといい匂いがする。
彼女の大好きな匂いだった。
宝物として取ってある折りたたんだ血のタオルやシーツよりも濃厚な匂い。
ベッドにそっと横になり、伊織の髪の毛に顔を埋めて深呼吸をすると、何とも言えない気持ちになっていく。
「こ、こんなことしていられないわね……」
伊織の顔を自分の胸に抱いて優しく包みこむ。
「──こうかしら? これでこうして、と。背中を擦って。確かこれでいいって教えてくれたのよね……」
伊織の背中を優しく擦る。
伊織は軽く顔を埋めてくる、凄く気持ちがいい。
「イオリさん、大好きよ。愛してるわ……」
「……うん、ありがと」
寝言だろうか、その声が聞こえると同時に、蕩けるような感覚に落ちていきそうになる。
それをぐっと堪えて、聞いてみる。
「イオリさん、私のこと好き?」
「……うん」
「私のこと、愛してる?」
「……うん」
「よかった、私も愛してるわ」
伊織の手が背中に回ってきた。
背中を擦る手は休めないで擦り続ける。
伊織の唇が近づいてきた。
「あむ、んっ、んっ、イオリ、さ……、ん。んちゅ、あむ」
伊織の手を自分の胸に誘導する。
伊織は無意識に触ってきた。
体中に胸を震源として体中を痺れの揺れが巡っていくような感じがする。
唇を離し、胸元を開けて伊織の顔をまた軽く抱いてみる。
伊織が右の胸を触りながら、左の胸に吸い付いてくる。
ちゅっ……、ちゅっ
薄い桃色のそれを吸われて、足の爪先まで電気が走るような感覚が突き抜ける。
「んっ、あんっ。あっ。イオ、リさん、好きっ……」
「……ん? 誰?」
「私……、セレン……」
「……セレン、お姉さん?」
聞いてた通りの反応だった。
伊織はセレンを姉として慕ってくれている部分があるのを知っていた。
セレンは姉という立場を顧みず、セリーヌからなんとかこの方法を聞き出したのだ。
それと葉月からなんとなくきいていた、伊織の甘えてくる瞬間のこと。
「うん、そうよ」
伊織は、また胸を吸ってくる。
ちゅっ、ちゅっ
「んっ、あっ。大好き、よ」
伊織の頭を軽く抱いて、髪に顔を埋める。
セレンの大好きな伊織の匂いがする。
気が遠くなるほど幸せな気持ちになっていく。
もう死んでもいいと思えるほどの幸福感がセレンを襲ってくる。
セレンの両足の指は、つま先をきゅっと握るように力が入っている。
「イオリさん、イオリさん、イオリさんっ……」
「うん、あっ。セレン……、姉さん? どうして、ここに? えっ? あぁあああ!」
伊織の意識が覚醒していく。
自分がセレンの胸を吸っていたことに驚いている。
「あ、あのね……。もう我慢できなくなったの。みんなと相談してね、お願いして譲ってもらったの」
「う、うん」
「だから、お願い。今ここで、私をお嫁さんにしてください」
「えっ? どういうこと?」
驚きと共に、伊織の意識は更にはっきりしていく。
「私、一生懸命がんばってるわよね?」
「うん、セレン姉さんは頑張ってくれてるよ。アールグレイをここまでいい街にしてくれたし」
「私ね、街を管理したりしかできないから。イオリさんについていって、イオリさんの背中を守ることもできないから」
「ううん、気にしなくていいよ。俺は凄く助かってるんだから」
「こんな寝込みを襲うようなことをして、ごめんなさい」
「……こっちこそ、寂しい思いをさせてごめんね」
ここで初めて気付いた。
セレンがブラウスとショーツ一枚しか着ていないことを。
「セレン姉さん、その恰好」
「うん。イオリさんに抱いて欲しいの。伊織さんのお嫁さんとしての、証が欲しいの……」
「セレン姉さんさ、赤ちゃん欲しいんでしょ?」
「そうよ。だからね、私、お父さまとお母さま、国王様とね話をしたの。王室法を少しだけ変えてもらう約束をしたわ。パームヒルド初の女性の公爵になることに決めたの。そうすればお父さまの義務がなくなるから」
「それってどういうこと?」
伊織の意識はもうはっきりしていた。
だが、セレンの目が真剣だったから邪険にできなかったのだ。
「私が当主になるとね、婚姻を宣言するだけでいいことになるのよ。誰が夫になっていても誰も咎めることができなくなるの。嫁ぐのと、婿を貰うのとはちょっと違うのよ。だからね、イオリさんはお婿さんになっちゃうの。ごめんなさいね」
「俺は、いいよ。セレン姉さんの婿なら、ね」
「ありがとう。王室法にはね、長男が世継ぎとなると決められているんです。だからその条文を改正してもらうことにしたの。そうしてくれないと、イオリさんと一緒に国外にでちゃうわよって脅したの」
凄くいい顔でセレンは微笑んだ。
「あははは。それ、酷いわー」
伊織も腹を抱えて笑った。
「でしょ、私もそこまで簡単だとは思わなかったわ。でもね、カレルナちゃんがね味方についてくれたの。それならカレルナちゃんも一緒に出ていくってね」
「カレルナちゃんなら言いそうだね」
「そこでやっと、国王様が折れてくれたの。準備ができ次第ね、私は公爵家当主になるわ」
「それとさっきの話は?」
「だからね、もう、通達もお披露目もいらないの。今は、イオリさんのお嫁さんだって実感が欲しいの。私だって、すぐに赤ちゃんができるとは思っていないわ。でもね、その、いつまでも処女だというのが、寂しすぎるの。マールちゃんやセリーヌちゃんだけずるいわ」
「……セレン姉さんはそれでいいの?」
「赤ちゃんが育ってからでも、私がおばさんになってからでもいいの。いつか、ケリーさんみたいに、教会で結婚式ができたら。私はそれでいいの……」
「今までね、セレン姉さんが結婚してからと言ってたから。我慢してきたの知ってるからさ」
「ごめんなさい」
「俺もそのときに応えようと思ってはいたんだ」
「ありがと……」
「今でいいんだね?」
「はい。先代の勇者様がね、伝えた挨拶があるの」
「うん?」
セレンは正座をし、三つ指をついて伊織に頭を垂れる。
「……不束者ですが、末永く、よろしくお願いいたします」
「こ、こちらこそ、お願いしますっ」
伊織の挨拶は、何故か土下座になってしまっていた。
「うふふふ」
「いやぁ、あははは」
こうして、セレンは伊織と初めて結ばれることになった。
伊織はセレンを背中から抱きしめるように座っている。
セレンは自分の臍の下あたりを愛おしそうに両手をあてている。
「……ここにイオリさんがいたのね。ううん、今もお腹いっぱいになるくらい、ここにいるのね……」
「まだ痛む?」
セレンは後ろを振り向き、笑顔で応える。
「正直に言っていいかしら?」
「ど、どうぞ」
「イオリさんの肩を噛み千切りたいくらい、痛くて仕方なかったわ。それこそ、〔ぐー〕で殴ってしまいたいほどに……、ね」
セレンは笑顔だったが、目はちょっと恨めしそうな感じもしないでもない。
この〔ぐー〕という表現は、先代の勇者がじゃんけんを伝えていたことからだろう。
「うわ。なんかもう、ごめんなさい……」
セレンにとってはそれだけ痛かったのだ。
もう完治してしまったが、伊織の首と肩の間に、セレンの歯が喰い込み、シーツにも血が流れた跡があるのだ。
「でもね、通り過ぎてみると、嬉しい痛みだったわ。疲れてるのに何度もごめんなさいね」
「俺はいいんだよ。傷は治るし。セレン姉さんの、そのときの痛さはわかってあげられないんだから」
枕元とは違う、シーツの中央に残った赤い染みを見て、改めて伊織はセレンを大事なものを奪ってしまったことを実感する。
セレンは伊織の胸に頭をちょこんと乗せた。
「イオリさん、愛してるわ」
「うん。ありがと」
「イオリさんの胸にいるサヨコさん、よろしくね。こんなはっきりしない女でごめんなさい。あなたと一緒にイオリさんを愛し続けることを約束しますね」
これはマールとセリーヌから聞いていたのだろう。
セレンなりのサヨコへの挨拶なのだろう。
伊織は嬉しかった。
「ありがと、セレン姉さん」
「これで小夜子さん許してくれるかしら?」
「大丈夫だと思うよ。俺も一緒に背負うからさ」
「ありがとうございます、イオリさん、サヨコさん」
セレンは伊織を胸に抱いて、背中を擦った。
「うん」
「ごめんなさいね。お風呂に入りたいでしょうけど。もうすこしだけ、ここにね、いてほしいの」
伊織の手をセレンのお腹に置いた。
伊織の子供が欲しい。
そういうことなんだろう。
そうなってほしいと伊織も思う。
「うん。そうなったらいいなと思う。俺も逃げてた部分があるからさ。セレン姉さんはもう少し我儘になってもいいと思うんだけど」
「そんなこと言われたら、甘えてしまいそうで怖いわよ」
伊織の胸に抱き着いてくるセレン。
「二人っきりのときくらい甘えてくれてもいいんだよ。俺にとってはずっと大切なお姉さんの一人なんだから。それこそ、俺が甘えちゃうときだってあるんだし」
「そうね、お互い様なのね」
「うん。だからさ、前みたいにため込むのだけはやめてね」
「ありがとう。イオリさんの前では、強がる必要ないのね」
伊織は今日、セレンとの距離がまた少し縮まったと思った。