第36話 奴隷商へ探りを入れてみる その2
両側にある牢屋のような小部屋を見ながら、先ほどの女性を心の片隅に置いてクイラムの後ろをついていく。
伊織はすでに、あの女性をここから救い出すつもりなのだが、この先にあるものを見てからでも遅くはないと思っている。
「シノ様には申し訳ないのですが、先月末に競りが終わっていまして女性の奴隷は残っていません。今残っているのは、入口近くにいた犯罪を犯した男たちと、つい先日買い取りましたこの娘だけになるのです」
その娘を見た伊織の心は締め付けられるように痛んだ。
その瞬間、全身の血液が沸騰するような感覚に襲われるが、なんとか抑え込んだ。
セリーヌに会う前の伊織であれば、きっとクイラムを斬り殺していただろう。
その娘はまだ身体が小さく、先ほどの令嬢と同じような貫頭衣を着せられている。
ただ、伊織の血を沸騰させた理由が一つだけあった。
両膝があり得ない方向に曲がっていたのだった。
逃げられないようにするためだろうか。
魔法具のような武骨で大きい首輪が付けられていて、足には歩けないのは見て解るのに足枷が付けられている。
黒い髪の上に見慣れないものが見えた。
猫のような耳が存在するのだ。
「……なんてこった」
伊織はつい口に出してしまう。
少女は伊織の声に気付いたのか、顔を上げた。
薄暗い部屋なのに、目が光って見える。
その縦に長い瞳孔は力なく開いていた。
「では、女性はこの娘と先ほどの女性だけなんですね?」
「はい、そうでございます」
「こうしましょう。この子は俺が引き取ります。お幾らでしょうか?」
「はい、金貨三枚になります」
伊織はクイラムに金貨を渡すと、クイラムは鉄格子の扉を開けた。
開いた扉に入り、伊織は少女を抱き上げた。
「ではシノ様、その首輪の魔石に血を一滴垂らしてください。それで所有権がシノ様に移りますので」
伊織はクイラムからナイフを受け取ると、左手の人差し指を傷つけて魔石に血を擦り付ける。
魔石が一瞬輝いたと思うと、赤く輝いていたものが青く変わっていった。
「これでこの娘の所有権はシノ様になりました。この首輪はミデンホルムで作られたものです。無理に外そうとすると首輪が締まって最悪、首が斬り落とされるまでありますのでご注意ください。お買い上げありがとうございました」
かなり厄介な魔法具のようだ。
首にかかる部分は、太めのネックレスのような細いワイヤー状の金属でできている。
伊織にとっては別に怖いとは思えなかったので、あとで対処しようと思った。
「うん。それで、あの男たちは本当の犯罪者なのかな?」
「はい、そうでございます。殺人、強盗など、間違いございません」
伊織はあの男たちが救う価値のないものだと認識する。
クイラムは伊織に嘘をつく必要がないのだから。
傷を治すなら伊織でもできるのだが、さすがに骨折ともなると下手にそのままやるわけにはいかない。
だから、戻ったら葉月にお願いするつもりだった。
「少しだけ我慢してね。なるべく早く治してあげるから」
「……あ、い」
伊織は痛みを和らげるために、その子から魔力を吸収するよう念じる。
すると、意識を失ったように眠ってしまった。
「クイラム」
「はい、なんでございましょう?」
「先ほどのご令嬢も俺が引き取ることにする。そうだな、ブロンドの短髪で目に傷を負っている男が連れ去ったとでも言っておいてくれ」
「はい、仰せのままに」
クイラムは鉄格子の扉を開いた。
魅了とはここまで従順にさせてしまうのだろう。
伊織はこの力の怖さに自分でも驚いてしまう。
「お疲れさん。少し眠るといいよ」
「はい、ありがとうござ──」
伊織はクイラムの肩に手を乗せると、魔力を吸収する。
途端に崩れ落ちたクイラムを確認すると、その女性に近づき、手を取った。
「聞こえますか? 貴女の身柄は俺が預かります」
「……あ、なた、は?」
「あとで教えますよ。シノと呼んでください」
「……はい」
そのまま宿屋の部屋に転移した伊織。
ヴンッ
『マール、すぐ宿屋へ戻ってくれるかな?』
『はい、メル姉さんとすぐに戻ります』
『ありがとう』
マールとメルリードが合流すると、そのまま伊織は工房へ転移してくる。
二人は伊織が連れていた女性と少女を見て、何も聞かずに察したようだった。
「この女性はあの国の元伯爵家の令嬢らしい。風呂に入れてあげて話を聞いてくれるかな? 食事もお願いできる? 消化のいいものがいいね」
「はい、先生。メル姉さん手伝って」
「わかったわ、イオリはその子を連れてハヅキの所ね?」
「うん、ちょっといってくる」
伊織は葉月の病室に転移する。
ヴンッ
「伊織ちゃん、どうしたのその子」
「話はあと。膝がやばいんだ。すぐに診てくれるかな」
「わかったわ。メリーナさん、準備を」
「はい、先生」
メリーナと呼ばれた看護師の恰好をした女性。
ヨールのところから来た女性だということは知っていた。
診察台に少女を乗せた葉月は伊織に状況を聞く。
「この子意識がないようだけど」
「うん。痛みを忘れさせるために魔力を枯渇させたんだ。それで意識を失ってくれたんだ」
「そう。なら今のうちね」
葉月は膝を覗き込んだ。
透視してみると、膝の関節が粉々になっていて、筋肉や腱も断裂しているのが解る。
「ひどいわね。関節の粉砕骨折と筋肉の断裂、それに腱も切れてるわ……。ワァルちゃん、ちょっと手伝ってくれるかしら?」
葉月の右手の小指にある可愛らしい指輪から光が発せられる。
その光が収束していくと、ワァルが姿を現した。
「……ふぁ。むにゃむにゃ。葉月ちゃん、どうしたのかしら?」
「この子の膝を治してあげたいのよ。手を貸してもらえるかしら?」
「んー、これ、葉月ちゃんでも治せるわよ。前に教えたでしょ? 再生」
「えぇ、でも使ったことないのよね」
「大丈夫、私が見ててあげるからやってごらんなさい」
「ありがとう、ワァルちゃんがいてくれるだけで心強いわ」
葉月は透視の状態で両手を右膝に当てると、その部分から淡い光が発せられた。
まずは細かく砕かれた骨を丁寧に再生していく。
葉月の額に汗が滲んでいるのを、ガーゼでメリーナが拭っていく。
「ありがと、メリーナさん」
「いいえ、私まだ何もできませんから」
「助かってるわよ、いつもね」
骨の再生が終わると、腱と筋肉の再生を始める。
「伊織ちゃん、ごめんなさい。魔力が足りないみたいなの。手が離せないからキスしてくれるかしら?」
「うん? なんで、キスじゃなくても」
「お願い、その方が魔力を吸収しやすいってワァルちゃんがね」
「本当かな……」
「クァールちゃんがいつもどうやって魔力を食べてた? それにね、伊織ちゃんから分けてもらうと、その、気持ち良すぎて治療の妨げに、ね」
「あぁ……。そういうことね、それはなんていうか、ごめんなさい」
クァールは口から魔力を摂取、というか食べていたのを思い出した。
葉月が言いたいことは分け与えるのではなく、摂取するということなのだろう。
伊織が魔力を分け与えると、性的興奮を感じてしまうのをマールから聞いていたから知っている。
さすがにこの状態ではそうするわけにもいかないのだろう。
葉月は顔を上げて伊織を見るとにこりと笑う。
「さぁ、伊織ちゃん。お願い」
伊織は渋々膝立ちになり、葉月の顔に近づいていく。
葉月は伊織の唇に自分の唇を合わせると、舌を入れてきて貪るようにキスを始めた。
「んっ、んっ」
そのとき、クァールから吸われるような強い感覚に襲われる。
魔力が吸い上げられていくのだ。
「美味しそう……」
ワァルは指を咥えて羨ましそうにその行為を見ていた。
「わっ、わっ、羨ましい……」
メリーナは顔を赤くしながらも、うっとりと葉月と伊織の行為に見惚れていた。
伊織は、少女の膝の治療が終わるまでに三回葉月にキスを迫られることになった。
少し脱力感を覚えて、空いている診療台へ座り込んだ伊織。
「ふぅ。結構魔力使うんだね」
「そうね、初めて再生を使ったのだけれど、ここまで消費するとは思わなかったわ。目を覚ましたらリハビリしないと歩くの辛いと思うから、この子どうしましょう」
「うん、とりあえずセレン姉さんに相談するかな。ありがとう、葉月姉さん。助かったよ」
「いいえ、伊織ちゃんのお願いだもの。さて、と。メリーナ仕事に戻りましょうか」
「はい、先生」
伊織は少女を抱き上げると一度自分の工房に戻ることにした。
「じゃ、葉月姉さん。俺工房に戻るね」
「あっ。忘れ物」
「ん?」
葉月は伊織の首に両手を回すと、唇を重ねてくる。
「んー、んっ、んっ。これは魔力補充じゃなく、私のご褒美ってことでね」
顔を離すとウィンクする葉月。
「はいはい。お姉ちゃんありがと」
「どういたしまして」
「……羨ましい」
諸事情から更新が遅れがちになっていますが、これからもよろしくお願いします。