第35話 奴隷商へ探りを入れてみる その1
伊織は路地裏に入ると周りを確認して瞬間的に転移する。
部屋へ戻ると、マールとメルリードの目が痛かった。
「先生、それやめてください」
「うん、それ嫌だな」
「あ、ごめん……」
伊織は元の姿に戻った。
「すみません、先生。生理的に嫌だったのでつい」
「仕方ないよ、さっきの姿じゃイオリだってわからないから。もしも、ドアから入ってきてたら矢を撃ち込んでるくらいだったわ」
「あははは。そこまでか。なら他の人にはわからないってことだね。いやー、不味い酒だったよ。でも収穫はあった。奴隷商らしき場所が特定できたよ」
「乗り込むんですか?」
「そうだね、この国とどう繋がってるかわからないから、とりあえずね。まだ事を荒立てるつもりはないから、場合によってはお金が続く限り身請けしてみようとは思ってる」
「先生……」
「マールが何を言いたいかわかってるでしょ? 何もイオリだけが背負い込む必要ないんだからね?」
「うん、それはわかってるよ。でも、助けられるなら助けたいと思うんだ。いざとなればクァールからもらった力を使ってもいいんだし」
「反則級の能力ですよね。それを私たちに使わないのが不思議なくらいに」
「使える訳ないでしょ! あんな危なっかしいものばかりなんだから」
「でも、魅了されてみたいとは思うのよね、あたし……」
メルリードは伊織の腕に捕まり、しな垂れつくように上目遣いをする。
「いや、それ間違ってるから。メルさんが言ってるのは魅惑のことじゃないのかな?」
「あっ……」
「メル姉さん。先生にベタ惚れなんだから、意味ないんじゃないですか?」
マールはからかうようにジト目でメルリードを見る。
「しょうがないじゃない、学校行く前に家出しちゃったんだから」
そのとき、伊織の右手の指輪から黒い靄が出てきた。
「……夜になった。我お腹空いた」
間髪入れずに伊織の指を両手で持つと、咥えて一気に吸い上げる。
「……いただきます」
じゅるじゅるじゅる
「ちょっと、クァ──」
問答無用で吸い尽くされた伊織は、その場で力なく倒れてしまう。
「……今日も美味だった。おやすみ」
そう言うと伊織の指輪に戻っていったクァール。
呆気にとられていたマールとメルリード。
「もしかしたら、クァールちゃんがこの世界最強なのかもしれませんね」
「そうね。イオリを一瞬で昏倒させる人は、なかなかいないでしょうね」
次の日の夜、伊織はガレムという娼館の前に来ていた。
場末の酒場の店主、バランに教えてもらった場所であり、奴隷の売買がされているというところでもあるのだ。
事実確認が終わり次第、伊織はある手段に出るつもりだった。
伊織は酒場での姿ではなく、そのままの姿で来ていた。
あえて偽装することをしないで、客を装って入っていった。
店員らしき男に待合室に案内された伊織が待っていると、さらに身なりが整った男がやってくる。
「いらっしゃいませ。本日はご利用ありがとうございます。私、こちらで支配人をしております。クイラムと申します」
伊織はそのキーワードを聞いたとき、クァールから授かった能力を試してみることにした。
クイラムと名乗った男が頭を上げた瞬間に、彼の目をじっと見た。
「シノですけれど、お忘れですか? 何度も来店していたじゃないですか」
男は一瞬酩酊したような表情になったが、すぐに元の表情に戻る。
「……そうでした、申し訳ございませんシノ様。歳は取りたくないものですね」
かかった、と思った伊織。
魅了の力を使ってみたのだ。
さらに深く魅了を試してみる。
クイラムの目をさらに覗き込む。
また酩酊しているかのような表情になったかと思うと、すぐに元の表情に戻っていく。
「ところでこの店はどんな商売をしているのかな? なるべく声を抑えて答えてくれる?」
クイラムは若干声の高さを抑えて伊織の質問に答える。
「はい。表向きは娼館を営んでいますが、館の奥では奴隷の買い取りや販売をしています。そちらが主な商いとなっていまして、娼館はそれを隠すための商いでございます」
誘導尋問どころではない情報が手に入る。
間違いなく魅了されているのを確認した。
「そうですか。新しい奴隷が手に入ったと噂を聞いたのですが?」
「これはお耳が早い。これからご覧になりますか?」
否定しないということは、定期的にそういうことがあるのだろう。
「お願いできるかな」
「はい、ではこちらへどうぞ」
伊織はバランの名を出さずに奥へ入ることができた。
支配人の後をついていくと、細い通路を通っていく。
突き当たりに着くと、そこには重厚な扉があり、クイラムが鍵を使ってその扉を開けた。
ギィイイイイ
扉の向こうは座席に挟まれた通路があり、その先にはステージのようなものがある。
本来であればショーのようなことがされているような感じではあるが、やはりお披露目や競りでもするのだろう。
両側に暗幕のようなものがかかっている出入り口があり、その先へと案内される。
楽屋のようになっている部屋があり、その奥にはまた重厚な扉があった。
ここまで厳重にする必要があるのだろうか。
この時点では奴隷の売買をしているようには見えない。
「ところで奴隷商としての商いは、この国では公認されているのかな?」
「はい、本国では私の娼館のみが国王陛下のお墨付きをいただいております。この先にお目当ての商品がございますので、少々お待ちくださいませ」
なるほど、国が認めているということだというのだ。
怒りを表情に出さず、握る拳に力が入っていく。
クイラムは先ほどのように鍵を開けると扉を開いていく。
不思議と音もなく開いていく扉。
扉をくぐると、両側に伊織も見覚えのある地下牢のような感じに鉄格子のはまった部屋がある。 それが一〇部屋ほど続いていた。
各部屋、二メートルほどの幅、奥行きが三メートルほどしかない小さな部屋になっている。
「こちらの区画は犯罪奴隷となっています。鉱山労働者としてしか使えませんのであまりお勧めできません。この奥に最近入手したものがいますので、そちらをご覧に入れます」
通りがかりの部屋には体中傷だらけの男や、膝を抱えた人相の悪い男たちが見える。
暗幕のかかった奥に続く場所、犯罪奴隷と言われた最後の部屋あたりに異質な感じを覚えた。
髪はブルネットで長く、軽く癖のついた感じ。
明らかに女性の体つきをしていたが、俯いていて顔が見えない。
服装は薄汚れた貫頭衣のようなものを着ている。
「ちょっと待ってくれないかな。この女性はなんです?」
「この部屋の者は政治犯ということになっています」
「なっているって?」
「はい。現国王の策略にはめられまして、先日取り潰しになりました元伯爵家のご令嬢だと聞いています。来月、王前で政治犯として裁かれる予定だと聞いています。その際、現在の公爵家当主の妾になる代わりに罪を猶予するそうです。この方は現在この国にいないことになっているため、当日まで私どもが預かることになりました」
魅了にかかっているからだろうか、本来極秘であろう情報をすらすらと喋ってしまうクイラム。
探りを入れに来ただけだったが、伊織は見逃せない事実に立ち会ってしまった。
「その元伯爵家というのは今は?」
「はい、この方を除いて処刑されたと聞いています」
「……そうか。少なくとも来月まではこの人は無事なんだな?」
「はい、それは大丈夫でございます」
伊織はクイラムについていき、奥へと歩いて行った。