第32話 偽装って便利だわ
馬車に乗っている間、偽装の練習をしていた伊織。
手鏡を見ながら髪と眉の色を変えていく。
「これをこうして、こんな感じにしてと。どう?」
「先生。それいいんですけど、なんか仲間はずれみたいでちょっと」
伊織はメルリードと同じ髪の色にしていた。
「じゃ、こんな感じは?」
伊織の髪の根元から色が徐々に変わっていく。
アッシュブロンド、いわゆるグレーがかったブロンドに変えてみた。
マールとメルリードの中間あたりの色味。
「うん、いいんじゃないの? これなら仲間はずれじゃないでしょ、マール」
苦笑しながらメルリードに言われたとき、マールは何げなく意地悪なことを言ってしまったことに気付いた。
「そ、そうですね。いい色だと思います」
「そっか、なら目はこんな感じかな」
伊織は一度目を閉じると、瞳の色を変えるようにに念じる。
伊織が目を開いたとき、ダークブルーになっていた。
「すっ、ごくかっこいいです。でも、ちょっと先生らしくないかな……」
「我儘なのね、マールは」
「あははは」
照れ笑いをするマールだった。
「じゃ、とりあえずこれでいきますか。って気持ち悪くなってきた」
揺れる馬車の上で手鏡なんて近い場所を見ていたら乗り物酔いのような症状が出て、吐きそうになるのは仕方がない。
伊織は遠くを見ることで気持ち悪さを解消しようとした。
馬車に乗っての移動は今日で二日目になる。
夕方になってきたのでそろそろ街道沿いに開けた場所を探すことにする。
暗くなる前にいい場所を見つけてテントを取り出す。
流石に二日続けて風呂に入れないのはきついと、寒くないようにちょっと厚めの天井壁で伊織は簡易的な風呂場を作った。
夕食が終わって風呂のお湯を張っているとき、指輪から変な音が聞こえてくる。
ぐぎゅるるるる
ぼわっと黒い靄が伊織の指を包んだかと思うと、クァールが出てきて。
「……我、もう限界。いただきます」
「ちょっと待って、ベッドに座るから。ここで気絶したら後が大変だから」
「……ん、ちょっとだけ待つ。早くする」
伊織はテントに戻ってベッドに腰かける。
「クァール、いいよ」
「……じゃ、改めて、いただきます」
伊織の指をぱくっと咥えると。
一気に吸い尽くした。
じゅるるるるる
「……我、満足。おやすみなさい」
「ということで、あとはよろ──」
ぼふっ
覚悟をしていたせいか、伊織の表情はあまり苦しそうではなかった。
寝ている伊織の左側に座って髪を指先で弄びながら、マールは呆れたような表情になる。
「ほんと、見事な吸われっぷりだね。気絶しても髪の色、変わらないんだね」
メルリードは伊織挟んで反対側に座る。
伊織の手をとって指輪を見たあと、そのまま自分の胸に抱いた。
「そうね。あ、あのさ、マール」
「なんでしょ?」
「あたし、凄く不安になってきたんだけど」
「ん? 何かあったんですか?」
「これ、いつまで続くと思う?」
「……あっ」
さすがにマールも気づいく。
ここ数日、毎晩伊織が気絶しているということに。
メルリードがちょっと悲しそうな笑顔でぼそっと呟いた。
「あたし、いつまで処女なんだろう……」
「私もあれっきりなんですよ……」
「お風呂、入ろっか?」
「うん」
まだ夜が明けないうちに目を覚ました伊織。
二人を起さないようにそっとキッチンへ行き、鏡に自分を映してみる。
気絶しても偽装は解けていないことに安心する。
部屋が暖かいことに気付いて、マールが伊織と同じようにしてくれたんだろうと思った。
暖炉に近づいて鉄の塊を加熱する。
部屋の温度が上がっていくのを感じると、伊織はテントの外に出て風呂場へ向かった。
湯船のお湯を沸かし直し、身体を流してからざぶっと肩まで浸かる。
「ふぅ。二日ぶりの風呂はいいわー」
髪の毛かき上げると手のひらに一本残っていた灰色ががったアッシュブロンドの毛。
なんとなしに、風呂場の壁にぺとっと貼り付ける。
伊織の手から離れても色が黒く戻らないことに気付く。
「あれ? 黒くならないな。これってどういうこと?」
最初は思った感じのイメージが自分に重なって見えるのが偽装だっと思っていた。
壁に残った髪の毛を見るに、クァールが伊織の髪を黒く染めたことが偽装だったなのではないだろうか。
試しに伊織は壁に着いた髪の毛を触って黒くなるように念じてみる。
すると、徐々に黒くなっていくではないか。
「あー、そういうことなのか。これ、クァールがやったことと同じかもしれない」
面白がって何度も色を変えて遊んでいると、湯あたりしそうになっていた。
さすがにまずいと思って風呂をあがることにする。
風呂から出るとき、壁に張り付いた髪の毛を忘れずに持って帰ることにする。
テントに戻るとマールとメルリードはもう起きていた。
「あ、先生、おはようございます」
「イオリ、おはよ」
「おはよう。あのさ、面白いことができるようになったんだ」
伊織がテーブルに座ると、マールがお茶を出してくれる。
「先生。朝からどうしたんです?」
「イオリが言うくらいなんだから非常識なことなんだろうね」
伊織はお茶を飲んで一息ついたところで、話を続けた。
「ちょっとこれ見てくれるかな」
テーブルの上には一本の髪の毛。
「イオリ、のだよね?」
「でもおかしくありませんか? 色が赤いような」
「これをさ、こうすると……」
伊織は左手で髪の毛の端を押さえると、右手の人差し指ですーっと撫でていく。
すると、色が黒く変わっていった。
「えっ? 何したんですか?」
「黒くなったけど」
「そうなんだ。前にクァールが俺の髪を黒くしたでしょ? あれと同じことが起きてるんだよ」
伊織はもう一度人差し指で毛を撫でる。
今度は金髪に変わっていった。
「それまさか、私にもできるんですか? 私、先生の黒髪に憧れてたんです」
「いいの? 何が起きるかわかってないんだけど」
「いいんです。やっちゃってください」
伊織はテーブル越しにマールの髪の毛に手をやり、漆黒の艶々の髪になるように念じて魔力を流した。
そうすると、マールの髪の根元から徐々に黒くなっていった。
毛先まで黒く染まると、全体に艶が出てくる。
最後にマールの眉毛に指を這わせる。
髪の毛と同じように黒く染まっていった。
「これでいいんじゃないかな。どうだろう?」
マールはキッチンにある鏡に自分を映してみる。
「やったー! 先生の髪と同じ、黒くてツヤツヤしたのになったの」
伊織に抱き着いて頬にキスしてくるマール。
ぽかーんと口を開けて見ていたメルリード。
我に返って、伊織に詰め寄った。
「あのね、イオリ。あのね、あたしね、マールみたいな金髪になりたいって思ってたのよ……」
マールと同じようにメルリードの髪と眉をブロンドに仕上げると、メルリードからもキスされまくることになった。
「んーっ、ぷはっ。イオリ、ありがとう。すごく満足してるわ。これなのよ、この綺麗な髪が欲しかったのよー」
よく見ると三人とも別人になっていた。
「いやぁ、偽装って便利だわ……」
「先生、この髪だと色んな服と合わせられるの。これから楽しみだわー」
「そうね。着られなかった服と合わせるのが楽しみだよね」
マールとメルリードは同じことを言っている。
男には解らないことだろうな、と伊織は思った。
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